根基

根基は人の別の空間にある身体が持つその徳の物質の多少により決まるのだ。徳が少な く,黒色物質が多ければ,業力場は大きい,それではこれは根基が良くないことに属する ;徳が多く,白色物質が多ければ,業力は小さい,それではこれは根基が良いことに属す る。人の白色物質と黒色物質との二種の物質は互いに転化できる,どの様に転化するのか ?良い事をすれば白色物質が生じる,白色物質は苦しみに耐え,苦痛を受け,良い事をし たため得たものだ。黒色物質は悪い事をしたり,良くない事をやったりしたため生じたも ので,それは業力である。それにはこの様な一つの転化過程がある,同時に,それはまだ 一つの携帯関係がある。それは直接元神に付いて行き,一生一代のものではなく,一つの 久しくて遠い年代で蓄積されて来たものである。だから業を積むとか、徳を積むとかと言 われており,そして先祖からも下へ積むことができる。私はある時思い出すことだが中国 古人或いは老人は:先祖が徳を積んだ,或いは徳を積むとか、徳を損ねるとかと言ったが ,その言葉は何と正しいか,本当に非常に正しいのだ。

根基の善し悪しは一人の人の悟性の善し悪しを決定することができる。根基の良くない 人は人の悟性をもかなり悪くさせることができる。何故だろうか?根基の良い人は白色物 質が多く,この白色物質は我々宇宙と融和し,『真 善 忍』の特性とは一緒に融和するこ とができ,間隔は無い。宇宙の特性は直接あなたの身体に反応し,直接あなたの身体と繋 ぐ。しかしこの黒色物質はちょうど反対で,良くない事をして得たもので,我々宇宙の特 性と背離するものであるので,この黒色物質は我々宇宙の特性と一種の隔離が生じる。若 しこの黒色物質が多い時,それは人体周囲に一つの場を形成して,人を包囲している。こ の場が大きい程その密度も大きくて、厚くなり,この人の悟性を悪くさせる。彼は宇宙『 真 善 忍』という特性を受けることができないことも,彼が良くない事をした為に黒色物 質を生じたからだ。往々にこの様な人は修煉をいよいよ信じなく,悟性が良くない程,業 力の阻害を受ける;苦しみが大きい程,信じなくなり,修煉するのも困難になる。

白色物質の多い人は修煉がしやすい,彼は修煉過程の中で,宇宙の特性に同化さえすれ ば,彼の心性を向上することができれば,彼のその徳が直接功に転化する。けれども黒色 物質が多い人は,工場で製品を生産するのと同じように,手続きが一つ多くなる,他の人 に来たものは既製の材料であるが,彼に来たものは半製品化した材料であるから,改めて 一度加工しなければならない,この様な一つの過程を経なければならない。だから彼は先 ず苦しみを受け,彼の業力を消し,白色物質に転化し,徳という物質に形成してからこそ, 彼には高功が長じることができる。しかし往々にしてこの様な人自身は悟性が良くないし ,あなたは更に彼に沢山苦しみを受けさせれば,彼は尚更信じないようになり,更に我慢 できなくなるから,黒色物質の多い人は修煉しにくい。昔道家或いは単独に伝える法門は 師父が徒弟を探すことで,徒弟が師父を探すことではないと言ったが,彼の身体に携帯す るこれらのものの多少を見て決めるのだ。

根基は人の悟性を決定するが,絶対的なことでもない。ある人は根基がとても良くない が,家庭環境はとても良く,多くの人は皆煉功する,また一部の人は宗教居士であり,修 煉の事をとても信じる。こういう環境の中で,彼が信じるようになり,悟性が良くなるよ うに促すこともできる,だから絶対的なことでもない。ある人は根基がとても良いが,往 々にして我々の現実社会の現有のそれしきの知識の教育を受け,特に数年前の絶対化の思 想教育方法は,人の思想が非常に狭隘に成るようにし,彼の知識面を超えた一切のものを 彼は全て信じない,彼の悟性にも酷い妨害を受けさせることができる。

一例を挙げよう,私は班を行った時,二日目に天目を講じた。ある人は根基が良くて, 急に彼の天目をかなり高い層次に開いてやった,彼は他人が見られない色々な景象が見え た。彼は他の人に:おや,私は全伝法場で雪の花のような法輪が人の身体に落ちたことが 見えた;私は李先生の真体はどんな様子であるか見えた;私は李先生の光輪が見えた,法 輪はどんな形か,法身は幾らいるか見えた。違う層次で李先生が法を説いており,法輪は どの様に学員の為に身体を調整していることが見えた。また先生が授業をする時,一層又 一層、違う層次にも先生の『功身』が説いていることが見え,そして天女が花を散らすな どが見えたと言っていた。こんなに美妙なものは彼も見えた,この人の根基は相当悪くな いと証明している。彼は話しに話しては,最後に:私はこれらのものを信じないとの一句 を言った。一部のものは既に現有の科学に実証された,多くのものも現有の科学の中から 解釈を得ることができ,一部のものは我々も既に論述した。気功の認識したものは確かに 現代科学の認識を超えている,これは肯定的なことである。これで見れば根基は完全に悟 性を制約することではない。