歓喜心

 こういう問題を言うが,これも歓喜心に属する。多くの人は長時間の煉功を経たが,あ る人は功を煉ったことがない,処が彼の一生の中に真理、人生真諦に対する追求があり, 考えている。彼は一旦我々の法輪大法を学んでから,彼が人生の中に沢山の知りたいが、 その解答を得ない問題がすぐ分かるようになった。彼の思想に伴って昇華して来て,彼の 気持ちは非常に激動するかも知れない,この点は肯定的なことだ。真に修煉する人はその 軽重が分かり,彼は大切にすることが分かると私は知っている。けれども往々にしてこの 様な問題が出現する,人の嬉しいことのため,不必要な歓喜心が生じた,それで彼は形式 上でも,常人社会の人と人との付き合いの中でも,常人社会環境の中でも表現が常態を失 することを引き起こす,これでは駄目だと私は言う。

 我々のこの揃いの功法の大部分は常人社会の中で修煉するのだ,あなたは自分を常人社 会を離脱させてはならず,あなたははっきり分かりながら修煉すべきである。人と人との 間はやはり正常な関係であり,勿論心性はかなり高く,心態はかなり正しく,自分の心性 を高め,自分の層次を高め,悪い事をせず良い事をする,ただこの様な一つの表現だけで ある。ある人の表現は精神が正常でなくなったようで,浮き世を見限ったようで,言った 話も人に理解されなくなる。法輪大法を学んでからこの人はどうしてこの様になったのか ?精神がおかしくなったようだと人に言われる。実はそうではなく,彼は興奮し過ぎて, 理知ではなく,常理に合わないためである。皆さん考えて見て,あなたはこの様にするの も正しくなく,あなたは又別の極端に入った,それも執着心である。あなたはそれを放棄 して,皆さんと同じように正常に常人の中で生活をし、修煉するべきである。常人の中で ,あなたは気が転倒すると人々に思われ,人々はあなたを相手にせず,あなたから遠く離 れて,誰もあなたに心性を高める機会を提供せず,誰もあなたを正常人と見なさない,私 に言わせるとそれはいけないのだ!だから皆さん是非この問題に注意し,是非自分を良く 把握してください。

 我々の功法は一般の功法のような,ゆらゆらし,ぼんやりし,気が転倒することと違う 。我々の功法はあなたにはっきり分かりながらあなた自身を修煉させている。ある人は何 時もこう言う:先生,私は目を閉じると揺れる。私はそうとは限らないと言う,あなたは 既に自分の主意識を放棄する習慣を付けたから,目を閉じると自分の主意識が緩んで,無 くなった,あなたは既にこういう習慣を付けていた。ここに座ってあなたは何故揺れない のか?あなたは目を開けている状態を保持し,軽く目を閉じていればあなたが揺れるか? 絶対に揺れない。あなたは気功をこの様に煉るべきだと思い,一種の概念を形成したので ,目を閉じるとあなたがいなくなり,どこへ行ったのかも分からい。我々が言ったように あなたの主意識は必ずはっきりしなければならない,この揃いの功法はあなた自身を修煉 するので,あなたははっきり分かったままで向上すべきである。我々にも静功があるが, 我々のこの揃いの静功はどの様に煉るのか?我々は皆さんに要求があり,あなたは幾ら深 く入定しても自分がここで煉功していることが分かるべきで,その何も分からない状態に 入ることを絶対に許さない。それでは具体的にどんな状態が出現するか?そこで座ると, 自分が卵の殻の中に座っているように美妙で,非常に楽な感覚で,自分が煉功していると 分かるが,全身が動けないと感じるということが出現する。これは皆我々のこの功法に必 ず出現する状態である。もう一種の状態があり,座りに座っては足が無くなったと気が付 き,足がどこに行ったのかはっきり覚えず,身体も無くなり,腕も無くなり,手も無くな り,頭だけが残っている。更に煉って行けば頭も無くなり,ただ自分の思惟があるだけで ,僅かな意念は自分がここで煉功していることを知っている。我々はこの程度に達するこ とができれば十分だ。何故だろうか?人はこの様な一つの状態の中で煉功すれば身体は最 も充分な演変の状態に達したので,一番良い状態である,だから我々はあなたにこの様な 状態で静に入ることを要求する。しかしあなたは眠りに入ったり,ぼんやりしたりしては いけない,それでは良いものは他人が煉って得るかも知れない。

 我々の全ての煉功人は常人の中で表現が常態を失しないように是非注意しなさい。常人 の中であなたは良い作用をしなければ,法輪大法を学んでから何故こうなったのかと人に 言われたら,それは法輪大法の名誉を破壊することに等しい,是非この事に注意してくだ さい。修煉の他の方面と過程の中でも歓喜心を生じないように気を付けて下さい,この心 はとても魔に利用されやすいのだ。