誰が煉功すれば誰が功を得る

 誰が煉功すれば誰が功を得るという問題は一つ極めて肝要な問題である。他人は私に法 輪大法に何の良い所があるかと聞いた,私は法輪大法は功が人を煉ることに達して,煉功 時間を短縮することができ;煉功する時間が無いが、長期的に功に煉られるという問題を 解決できると言った。同時に我々は真の性命双修の功法であり,我々のこの物質身体は変 化がかなり大きくなるはずだ。法輪大法は又一番大きな良い所がある,以前私はずっと話 していないが,今日初めで我々は言い出すのだ。それは一つのかなり大きな歴史的渊源の 問題に及ぶので,修煉界に対する影響面も相当大きく,歴史上に従来より敢えて掲示する 人はいないし,彼らが掲示することも許されない,処が私は言わなければいけないのだ。

 ある弟子は:李洪志大師のお話しは一句一句もが「天機」で,天機を漏らすことですと 言った。しかし我々は真に高層次上へ人を連れて行くことで,人を度すのだ。皆さんに責 任を負って,この責任を担うことができるから,天機を漏らすことではない。責任を負わ ずに勝手に喋ることは天機を漏らすことである。今日我々はこの問題を説き出す:つまり 誰が煉功すれば誰が功を得る問題だ。私の見た処では現在あらゆる功法は,歴代の佛道二 家と奇門功法を含めて全て人の副元神(副意識)を修め,皆副元神が功を得るのだ。我々 はここで言った主元神は,つまり自分の思惟を指すことで,自分は自分が何を考えている のか,何をしているのか分かっていなければならない,これがあなたの真正の自身である 。副元神が何をやるかあなたは根本的に知らない。彼はあなたと同時に生まれ,同じ名前 で,同じ身体を主宰し,有り様も同じであるが,厳格的に言えば,彼はやはりあなたでは ない。

 この宇宙の中には一つの理があり,誰が失えば誰が得る,誰が修煉すれば誰が功を得る 。歴代の功法は人に煉功の時ぼんやりし,何も考えず,それから深度的に入定し,しまい に自分が何も知らない程入定すると教えている。ある人は三時間座禅したが一瞬間のよう で,他人は彼の定力に敬服する。実は彼は煉ったかどうか?自分は根本的にも知らない。 特に道家功法は「識神死に元神生れ」と説く* 彼の言う識神は,我々が主元神と言い,彼 の言う元神は,我々が副元神と言う。あなたは真に識神が死んだら,それであなたは本当 に死んだのだ,主元神が真に無くなったのだ。他の功法を煉る人は:先生,私が煉功の時 ,家の人を私は皆知らなくなると言った。又ある人は私に:私が他人のように朝早く起き 夜遅くまで煉功などしません,家に帰って来てソファの上へ横たわると,自分が煉功へ出 て行く,私は寝て彼が煉るのを見ていると教えた。私は悲しいことだと思うが,悲しいこ とではない。

 人は何故副元神を度するのか?呂洞賓はこういう一句の話があった:むしろ動物を度す るとも人を度しないという。人は本当に余りにも悟りにくい,常人は常人社会に迷うので ,現実の利益の前でその心を放下できない。あなたは信じないが,ある人は受講が終わっ て講堂を出ると,直ちに常人になり,誰かが彼に逆らったとか、彼に触れたとかすると, 彼はすぐ怒る。暫くしてから,根本的に自分を煉功人としない。歴史上の多くの修道の人 は皆この一点を見つけた,人は随分度しにくいもので,人の主元神は余りにも迷いなのだ 。ある人は悟性が良く,ヒント与えると直ちに分かる。一部の人は幾ら話しても信じず, そしてあなたは法螺を吹くのだと思う。我々はこんなに彼に心性を修煉させても,彼が常 人の中に入るとやはり我がままにする。彼は常人の中のその確実な、撫でられる、触れる この僅かな利益はやはり実利的だと思って,やはりこれが欲しい。先生が説いた法は,聞 いたら道理もあるが,実行できない。人の主元神は一番度しにくいが,副元神は彼は別の 空間の光景が見える。だから人は:私はあなたの主元神を度するには及ばない,彼もあな たであるから,彼を度したら同じではないか?どちらもあなただから,どちらが得ること も得ることだ,何れもあなたが得たのだと思った。

 私は彼の具体的な修煉方法を述べよう。人は若し「遥視功能」があれば,この様な一種 の状況が見えるかも知れない:あなたが座禅する時,あなたは入定した瞬間に,「ホイ」 と突然あなたの身体の中から一人のあなたと同じ容貌のあなたが出ることが見える。しか しあなたはあなたの自我がどこにいるか弁別すると,ここに座るのだ。あなたは彼が出て から,師父が彼を連れて師父の「演化」したある空間の中で修煉することを見た,過去の 社会形式であるかも知れないし,現在の社会形式であるかも知れないし,別の空間の社会 形式であるかも知れない,彼に煉功を教え,彼は少なくない苦しみを嘗めた,毎日は一時 間か、二時間だ。彼は功を煉り終わって帰って来ると,あなたも出定した,これは見える ことである。 

 若し見えないなら尚更悲しい,何も知らず,ぼんやりと二時間入定してから出定する。 ある人は寝るのだ,寝ると二時間か、三時間する,彼も功を煉り終わったと言えるが,完 全に他人に渡した。これは間接的に完成したことで,毎日これくらいの時間座禅する。別 に一回だけで完成するのもある,皆さんは達磨が面壁9年ということを聞いたことがある かも知れないが,昔は多くの僧人が座ると数十年経ち,歴史上の記載によれば一番長いの では90年余りであるが,もっと長いのもあり,瞼の上の埃がかなり厚くなり,身体に草 も生えたが,やはりそこに座っている。道家にもこれを重んじるものがあり,特に一部の 奇門功法は寝ることを重んじ,寝ると数十年も出定せず,目が覚めない。しかし一体誰が 煉ったのか?彼の副元神が出て煉ったのであり,若し彼が見えれば師父が副元神を連れて 煉ることが見える。副元神もかなり大きな業力の借りがあり,師父は業力を全部消す腕前 が無い。それで彼に:お前ここで良く功を煉っていてくれ,俺はちょっと出掛けて,暫く 帰って来る,お前待ってくれと言った。

 師父はどのような事が発生するか良く分かっているが,この様にしなければならない。 その結果魔が来て彼を脅かしたり,美女に化けて彼を誘惑したりし,どんな事もあった。 見ると彼は確かに心が動かない,副元神は割りと修めやすく,彼はこの真相が分かるから だ。その魔が怒って彼を殺そうと思い,恨みを解け仇を報いる為,本当に彼を殺した,こ れで債務を全部返済した。殺されてから,副元神は飄々として,煙のように,出て来た。 又転生して,非常に貧しい家に生まれ変わった。小さい時から苦しみを浴びて,事が分か る頃になると,師父がやって来た,勿論彼は知っていない。師父は功能で彼が預けた思惟 を開いてやると,さっと思い出した,この方は師父ではないか?師父は彼に:今はもう結 構だ,煉っても良いと教えた。この様に多くの年を経て,師父は彼にものを伝えてやった 。

 伝え終えてから師父は又彼に:お前は沢山の執着心を捨てなければならない,お前は行 脚に出てくれと言い付けた。行脚はかなり苦しい事で,社会の中を放浪し,乞食をし,色 々な人に逢って,嘲られたり,罵られたり,苛められたりして,どんな事にも遇うことが できる。彼は自分を煉功人として,人との関係を正し,心性を守り,不断に心性を向上さ せ,常人の色々な利益の誘惑の下で心を動かず,多年を経て彼は行脚して帰って来た。師 父は:お前は既に得道した,圓満になった。別に何もなかったら,お前は帰って片付けて 離れる;何かあったら,お前は常人の中の事をやり上げてくれと言った。この様に長年が 過ぎ去って,副意識が帰って来た,彼が帰って来ると,こっちの主元神も出定して,主意 識は目が覚めた。

 処が彼は確かに修煉していなかった,副元神が修煉したのだから,副元神は功を得た訳 だ。しかし主元神も苦しく,何と言っても彼は全部の青春をそこに座らせ,常人の年月は 全部過ぎ去ってしまった。それではどうしたらいいだろうか?彼は出定すると自分が功を 煉り出した,功能があったと思う,彼は病気治療がやりたく,何かやりたければ何でもで きる,副元神は彼に満足させる。彼は結局主元神であるから,主元神は身体を主宰し,決 めるのだ。そしてこんなに長年に彼はここに座って,一生涯も過ぎた。百年になってから ,副元神は離れて,各自が各自の道を歩む。佛教の言うことによれば,彼はやはり六道に 入る。彼の身体から一人の大覚者が修成したので,彼も大徳を積んだのだ,それではどう なるか?来世は大官になり,大金持ちになるかも知れない。こうなるに過ぎない,それは 無駄に修めたのではないか?

 この事について我々は持ち出して言うことも,なかなか手数が掛かってようやく言うこ とを同意されたのだ。私は一つの千古の謎,絶対に言えない秘中の秘を掲示した,歴代の 修煉された各種の修煉方法の根底を全部掲示した。私は関連した歴史の渊源がとても深い と言ったのではないか?それがこれらの原因である。あなたが考えて見なさい,どの家で も、どの門でもこの様に修煉するのではないか?あなた自身は修め来り修め去ったがあな たは功が無い,あなたには悲しいことではないのか!それは誰のせいにすることができる のか?人というものはこんなに迷って,どうしても悟らず,幾ら手引きしてやっても駄目 だ。高く言うと不思議だと思うが,低く言うと悟らない。私はこんなに言ったが,ある人 はまだ私に病気治療を頼みたい,私は彼に何も言えないのだ。我々は修煉を重んじる,高 層次上へ修煉して始めて構うことができるのだ。

 我々のこの一法門は主意識が功を得るものだ,ではあなたは主意識が功を得ると言えば ,主意識が功を得るものか?誰が許すのか?こうではないのだ,それは先決条件が無くて はならない。皆さんが知っているように,我々のこの一法門は常人社会を避けずに修煉し ,矛盾を避けず、逃避しない;常人のこの複雑な環境の中で,あなたは明晰で,はっきり 分かりながら利益の問題上に損を受け,他人に利益を盗み取られた時,あなたは他人の様 に争ったり闘ったりしない;色々な心性の邪魔の中に,あなたは損を受ける;あなたはこ の様な苦しい環境の中で,あなたの意志を煉磨し,あなたの心性を向上し,常人の色々な 良くない思想影響の下に,あなたは超脱できる。

 皆さん考えて見なさい,はっきり分かりながら苦しんでいるのはあなたではないのか? 払いをしたのはあなたの主元神ではないのか,常人の中であなたはものを失い,あなたが はっきり分かりながら失ったのではないか?それでこの功はあなたが得るべきで,誰が失 えば誰が得る。だからこれは何故我々のこの一法門が,常人のこの複雑な環境から離れず に修煉を行うかの原因である。我々は何故常人の矛盾の中で修煉するのだろうか?我々は 自分自身が功を得る為なのだ。将来専修の弟子は寺院で修煉するが常人の中へ行って行脚 しなければならない。

 ある人は言った:今別の功法も常人の中で煉るのだろう?処がそれらは皆 病健身を普及するもので,真に高層次へ修煉することについて単独に伝えるこ とを除いて公開的に伝える人はいない。本当に徒弟を取るなら,既に徒弟を連れて行って ,密かな処で伝えた。長年の間に,大勢の前にこれを講じることがあるのか?講じる人は いないのだ。我々のこの一法門はこの様に説いた,我々はこの様な一種の修め方で,この 様に功を得るのだ。同時に,我々のこの一門の下した幾千幾万に上って止まないものを, 全部あなたの主元神に下してやって,真にあなた自身に功を得させる。私が言う、私は一 件の先人が曾てやったことがない事をして,一枚の最大な門を開いた。私のこの話はある 人が聞いて分かったが,私は本当に不思議な事を言ってはいない。私には一つの習慣があ り,私は一丈のものがあっても,私はただ一尺のものしか言わない,あなたは私が法螺を 吹くと言っても良い。実はこれはただほんの少しだけを言い出したが,更に高くて深い大 法については層次の差があまりにも大きいから,私は根本的に少しもあなたに言えないの だ。

 我々のこの一法門はこの様に修煉するもので,あなた自身に本当に功を得させる,これ は天地開闢以来最初の事であり,あなたは歴史を調べても良い。良い処はあなた自身が功 を得る,しかしそれもかなり難しい。常人の複雑な環境の中で,人と人との心性の摩擦の 中で,あなたは抜け出られる,これは一番難しい。難しい処はあなたははっきり分かりな がら常人の利益の中で損を受け,切実な利益の前で,あなたは心を動かすか;人と人との 間の心を探り合って暗闘する中で,あなたは心を動かすか;肉親友人が苦痛を受ける時, あなたは心を動かすか,あなたは如何に判断するのか,一人の煉功人としてはこれ程難し いのだ!ある人は私に:先生,常人の中で良い人になれば結構でしょう,誰が上へ修成で きますか?と言った。私は聞いて本当に悲しくなった!何も彼に言わなかった。どの様な 心性もある,彼はどれ程高く悟ればそれ程悟って良い,誰が悟れば誰が得るのだ。

 老子説く:道,可道,非常道。それは若し至る所にもあり拾うと修成できれば,それも 貴重ではなくなるのだ。我々のこの法門は矛盾の中であなた自身に功を得させるから,我 々は最大限度にして常人に合わせ,物質上であなたに本当に何かを失わせることではない 。しかしこの物質環境の中であなたはあなたの心性を高めなければならない。方便な処も ここにあり,我々のこの一法門は一番方便であり,常人の中で修煉ができ,出家しなくて も良い。それで一番難しい処もここにあり,常人のこの一番複雑な環境の中で修煉する。 しかし一番良い処もここにあり,それはあなた自身に功を得させる,これは我々のこの一 門の一番肝要なもので,今日私は皆さんに言い出した。勿論,主元神は功を得るが,副元 神も功を得る,何故か?あなたの身体の一切の信息,一切の霊体,あなたの細胞は皆功が 長じているから,無論彼も功が長じるべきだ。しかし何時までも彼はあなたより高いこと はなく,あなたは主で,彼は護法である。

 ここまで言及して,私はもう一句を言いたいと思う。我々の修煉界にはこういう人は少 なくなく,ずっと高層次へ修煉したいと思っている。あっちこっちへ法を求めに行って, 金が沢山掛かって,津津浦浦まで回って,有名な師を探すが見つからなかった。有名の名 は必ずしも本当な明白の明ではない。結局往復むだ足を踏んで,人力と財力を無駄にして ,何も得られなかった。こんなに良い功法は,我々が今日あなたの為に持ち出した,私は 既にあなたに捧げてやった,あなたの家の門口まで送ったのだ。これはあなたが修められ るかどうか,行けるかどうかによる訳だ。あなたは行けるならば,修めて行きなさい;あ なたは行けないならば,修められないならば,それでこれからあなたはもう修煉できない のだ。魔があなたを騙す外に教える人はいないのだから,今後あなたはもう修められない のだ。私さえあなたを度することができなければ,誰もあなたを度することができない。 実は今の処本当の正法師父を探してあなたを教えることは,天を登るよりも難しく,全然 構う人はいない。末法時期では,かなり高い層次も末劫の中にあるから,常人には更に構 い切れないのだ。これは一番方便の法門であり,そして宇宙の特性により直接修煉するか ら,修めは一番早く一番近道であり,直接人心を指しているのだ。