気を盗む
気を盗むことを言うと,ある人は虎の話をするだけで顔色が変わるように,怖いと思っ
て煉功する勇気が無くなる。多くの人は修煉界で走火入魔とか、気を盗むなど現象を人が
言う為に敢えて煉功をせず,敢えて気功に接触しない。若しこれらの言い方が無ければ,
もっと多くの人々が煉功するかも知れない。一部の心性が良くない気功師は,専らこれら
のものを教え,気功界を混乱に陥ったようにしたが,実は彼の言ったように怖いことはな
い。我々は気は気だと言う,あなたはそれを混元気だと,この気だと,あの気だと言うが
。人体に気があるかぎり,この人は
病健身という層次にあるので
,まだ煉功人だと言えない。人に気があれば,この人はまだ身体の高度的浄化に達してい
ず,病があるのだと証明している,これは肯定的なのだ。気を盗む人も気の層次の中にあ
り,我々煉功の人は誰がその混濁な気が欲しいか?煉功しない人は身体の気が非常に濁る
,煉功してから清くなって来る可能性がある。病気のある所に密集度がかなり大きい一団
の黒色物質が現れる。煉り続けて行けば,真に
病健身に達した時
,気が次第に微かに黄色くなる。更に煉り続けて行けば真に病気を除き,気も無くなるの
で,乳白体の状態に入る。
それではつまり気があれば病があると言うのだ。我々は煉功人で,煉功は気を貰って何 にするのか?自分の身体は浄化が必要なのに,何故まだ混濁な気が欲しいのか!絶対に要 ってはいけない。気が欲しい人も気の層次の中にあり,気の層次の中で彼はどれが良い気 か,どれが悪い気か見分けることができず,彼にはこの腕が無い。あなたの身体の丹田に あるその「真気」を彼は動かすことができず,その「元気」は高功夫のある人こそ動かす ことができる。身体のその混濁の気を,彼に盗ませるが良い,何も大した事も無い。私は 煉功する時気を注ぎたいのなら,ちょっと思うだけで,間もなく腹一杯になる。
道家は「天字椿」に立つことを重んじ,佛家は気を捧げて灌頂 することを重んじる,宇宙の中に気が幾らでもある,あなたは一日中に中へ注いでも良い 。労宮穴を開いて,百会穴を開いて,あなたは中に注いで,意が丹田を守り,手で中に捧 げて,間もなく一杯になる。あなたは幾ら充満しても何の効果があるのか?ある人は気を 練って沢山あるように練った時,手指の腹も張るし,身体も張ると感じる。他人は前に来 ると,周囲に場があると感じられる。ほら,あなたは功を上手に練ったね。私に言わせる と何にもならない,どこに功があるのか?やっぱり気を練るものだ,気が幾ら多くても功 に代わることができない。気を練る目的は外の良い気で身体の中の気を取り替えることで ,身体を浄化させるためであるが,気を溜めて何にするか?あなたはこの層次の中にあっ て,本質の変化が起こっていない時,それも功ではない。あなたは幾ら多く盗んでも,大 きな気嚢に過ぎず,それは何の効き目があるのか?それも高能量物質へ転化していない。 だからあなたは何を恐れるか,彼は真に気を盗みたければ盗ませて良い。
皆さん考えて見なさい,あなたの身体に気があれば病がある。それで彼が盗んでいる時 、あなたの病気までも一緒に盗んで行ったのではないか?彼は根本的にこのものを見分け ることができない,気を欲しがる人も気という層次にあり,彼は何も腕が無いからである 。功の有る人は気が要らない,これは肯定なのだ。信じなければ我々はテストして見よう ,真に気を盗みたがるならあなたはそこに立ったまま彼に盗ませて良い,あなたはこっち で宇宙の中から中に注ぐように思い,彼は後ろで盗んでいる。ほらこれはなんと素晴らし いだろう,あなたの為に身体の浄化を速め,あなたが「冲灌」「冲灌」をすることも省い た。彼の出した心は悪く,他人のものを盗むことである。良くないものを取ることでも, 彼は徳を損した事をしたので,彼はあなたに徳を与えるのだ。それは一つの対流となって ,こっちからあなたの気を取り,あっちからあなたに徳を与える。その気を盗む人は知ら ないのだ,彼が知っているのなら彼はやる勇気が無い筈だ。
凡そ気を盗む人は,顔色が青く,皆そうであるのだ。公園へ練功に行くが,多くの人は 病気を除く為であり,どんな病気も彼が持っているのだ。他の人は病気を治療する時,ま だ外へ排出しなければならないが,気を盗む人は排出もしないばかりか,身体に一杯付け て,どんな病気もあり,身体の中までも真っ黒になる。彼は何時も徳を損しているので, 彼の外でも黒く,業力場が大きい,徳を多く損したら,中も外も黒くなる。気を盗む人は 彼は自分自身にこの様な一種の変化が起こり,人に徳を与え,この様な一種の馬鹿な事を していることが分かった時,彼はやらないものだ。
ある人は気を不可解なものにして言う:あなたはアメリカに居て,僕が気を発するとあ なたは受けられる;あなたは壁の外側で待っていれば,僕が気を発するとあなたは受けら れる。ある人は非常に敏感で,気を発すると受けられた。しかしその気は此処の空間を通 らず,それは別の空間を通り,別の空間の此処には壁が無い。何故ある気功師は平地で気 を発するが,あなたは感じが無いのか?別の空間の此処に間隔があるので,気というもの は我々が言ったように大きな貫通力があるほどではない。
真に作用をすることができるのはやはり功である。煉功人が功を出せる時,彼には既に 気が無くなり,出した一種の高能量物質は,天目で見れば一種の光りである。他人の身体 に発したら,一種の熱い感じがあり,直接常人を制約できる。処が完全に病気を治療でき る目的に達することができず,抑制の作用しか働けない。本当に病気を治すには功能の存 在が無ければならず,様々な病に対して様々な功能が即応している。極めての微視の下に ,功の各個の微粒の上は,あなた個人の形象と同じである。彼は人を識別できるし,皆霊 性があるもので,高能量物質で,他人は盗んで取ったとしても,それはそこに居られるも のか?それもがそこに居ず,置いても置けない,自分自身のものではない。凡そ真に煉功 する人,功が出てからの人は皆師父に管掌されており,その師父はそこであなたが何をし ているのを見ている,人のものを盗むなど,彼の師父も許さないよ。