第八講

辟谷

 ある人は辟谷の問題に言及した。辟谷という現象は存在するのであり,修煉界に有るだ けでなく,我々の全人類社会の中で少なくない人にはこの状況が出現した。ある人は数年 或いは十数年食うことも飲むこともしないが,良く生きている。ある人は辟谷をある層次 の中の体現だと言う;又ある人は辟谷を身体浄化の表現だと言う;又ある人はそれを高層 次の中の修煉過程だと言う。

 実はそうではない。ではそれはどういう事だろうか?辟谷は実際は我々が特定の環境の 下で採用した一つの特殊な修煉方法である。どの様な特定な環境の下でそれを採用するだ ろうか?中国の古代に,特に宗教が創立されなかった前に,多くの修煉の人は皆一種の「 密修」、「独修」というような方式を採用して,深山の中或いは山の洞窟の中に入って修 め,人の群れから遠く離れていた。一旦こういうふうにすると,それで食べ物の出所の問 題に及ぶ。もし彼は辟谷の方法を取らなければ,根本的に修煉できず,中には餓死したり 喉が渇いて死んだりすることになる。私は重慶から武漢へ法を説きに行った時,船に乗っ て長江に沿って東へ行き,三峡の両側を見たら,半山腹に幾らかの洞窟があり,多くの名 山にもこれがある。過去あの修煉の人は縄で這い上がり中に入ってから,縄を切って,洞 窟の中で修める,修成できなければ,中で死んでしまうのだ。水も無く、食べ物も無い, 彼はこの様な一つの極めて特殊な環境の下で一つの特殊な修煉方法を採用したのだ。

 多くの功法はこの様な伝承の過程を経過して来たので,それは辟谷を帯びる;多くの功 法は辟谷を帯びず,我々が今日社会で伝え出した功法の中で大多数はこれを帯びない。我 々が言ったように煉功は専一でなければならないから,あなたは人為的に考えたようにや ってはいけない。あなたはそれが良いと思うから,あなたも辟谷したいが,あなたは辟谷 をして何をするのか。ある人は良いとか,好奇だとか思い,或いは自分の功夫が高くなっ たとか,誇示して見たいと思い,各種の心態を持つ人もある。この方法を採用して修煉し ても,自身の能量を消耗して身体を補充しなければならないので,得ることより失う方が 多い。皆さんの知っているように,特に宗教があってから,あなたが廟の中で座禅をして も、閉関をしても,お茶ご飯を供給する人がいて,この問題に及ばない。特に我々は常人 社会の中で修煉するから,あなたが根本的にこの方法を採用する必要が無い,しかもあな たのその法門の中に無いなら,あなたがやたらにしてはいけない。若しあなたがどうして も辟谷をしたいなら,それではあなたが修めても良い。私の知る所では,往々に師父は高 層次上へ功を伝え,真に人を取りたいなら,彼のこの法門の中に辟谷がある,こういう現 象が出現するかも知れないが,彼は普及することができない,往々に徒弟を連れて密かに 修め、単独に修めるのだ。

 現在人に辟谷を教える気功師もいる。辟谷をしたのか?最後には辟谷をしていない,誰 が辟谷をしたのか?私が見たら入院したものは少なくないし,生命危険が出たものも少な くない。ではどうしてこの状況が出たのか?辟谷の現象はあるのではないか?あるのだ。 しかし一点があり,我々常人社会のこの状態は誰かが簡単にそれを破壊するのを許さず, 破壊してはならない。全国で煉功して食うこともせず飲むこともしない人がどれ位いるか を言わず,長春という所だけで誰でも食いもせず飲みもしないなら,私に言わせるとそれ は手間が省けるのだ!急いでご飯を作ることも要らないのだ。農民は野良仕事で苦労して いる,誰も食べないなら,それは手間を省くね,働くだけで,ご飯を食べない。それはで きることだろうか?それは人類社会だろうか?絶対にいけない,この様な事が大面積的に 常人社会に邪魔することは許されないのだ。

 一部の気功師が辟谷を伝える時,危険が沢山現れた。一部の人は辟谷を追求することに 執着しているが,彼のその心は捨てず,多くの常人の心は捨てず,美味しいものを見なが ら食べないと口がいやしくなる,彼の心が起きると,それで駄目になる。彼が焦ると,物 を食べたくなり,欲望が出ると食べたくなり,食べなければ飢えると思う。しかし食べる と吐き出して,食べられなくなり,これで精神緊張を引き起こして,すごく怖く感じる。 多くの人が入院し,確かに多くの人に生命危険が出現した。私の所へ来てこれらの目茶苦 茶な事を処理してくれと頼んだ人もいたが,私はこれらの事に構うことが嫌だ。一部の気 功師はやたらにやる,誰が彼の為にこれらのやたらな事を片付けたいだろうか。

 その上に,あなたが辟谷をして問題が出たが,それはあなた自身が求めたせいではない か?我々はこれらの現象が存在していると言うが,それは何かの高層次に出現した状態で はなく,何かの特殊な反映でもなく,それは特殊な状況の下で採用する一種の煉功方式に 過ぎないが,それも普及はできない。少なくない人は辟谷を追求し,しかもそれを辟谷や 、半辟谷などと言う,まだ等級など分ける。ある人は彼が水を飲むと言い,ある人は果物 を食べると言う,それは全て偽辟谷であり,時間が長くなると,必ず全部駄目になる。真 に修煉する人は,洞窟の中に入って,食うこともせず飲むこともしない,それこそ本当の 辟谷だと言える。