心は必ず正しくすること

 心が不正とは何か?つまり彼は何時も自分を煉功人としないことである。煉功人は修煉 中難に遭うはずで,この難が来る時,人と人との間の摩擦の中に現れるかも知れず,心を 探り暗闘するなどのことが出現し,直接あなたの心性上のものに影響を及ぼす,この方面 のものは割合多い。またどんな事に遭えるのか?我々の身体は突然具合が悪くなる,業を 返すから,各方面に体現して来る。一定の時期になるとあなたに本当か、偽りかが区別し にくいようにさせ,あなたにはこの功が存在するかどうか,修められるかどうか,一体上 へ修煉できるかどうか,佛はいるかどうか,真なのか偽りなのかということを感じさせる 。将来あなたにこの状況が出現して見せ,この錯覚を造って,あなたにそれは存在しなく ,全て偽りのように感じさせるが,あなたは確固としているかどうかを見る。あなたは必 ず確固不動にすると言う,この様な心なら,その時になるとあなたは真に確固不動ができ れば,自然に良くやれる,あなたの心性が既に向上したからだ。現在あなたはそんなに安 定していないのだ,若し現在あなたにこの「磨難」を出現させれば,あなたは根本に悟ら ず,根本から修められない。各方面からも「磨難」の出現は可能である。

 修煉の過程に,人はこの様に上へ修煉しなければならない。だから我々のある人は一旦 身体のどこかに具合が悪い気がすると,自分に病気があったと思う。彼はいつも自分を煉 功人とせず,この事に遭うと,彼も自ずから病気だと思い,何故こんなに多くの厄介なこ とが出るのか?教えてやるが,既にあなたの為に沢山消してやった,あなたのその厄介な 事が余程小さくなった。消してやらないなら,あなたはこの厄介に遭えば命を取られるか も知れず,またそこで横になって立ち上がれなくなるかも知れない。だからあなたはこれ 位の厄介に遭っても,苦しいと思うか,そんなに心地よいことが有り得るか?例を挙げよ う,長春で班を行った時,ある人は「根基」が非常に良く,全く人材で,私もこの人を気 に入った。それで彼の難を少しばかり大きく加え,彼に速く返済させ,彼に開功させる, 私はこの様にやろうとするつもりだ。しかしある日,彼はふっと脳血栓のような症状にな り,ばったりと倒れ,動けなくなり,四肢も効かなくなったように思った,病院へ応急手 当に送られた。それから彼は歩けるようになった。皆さん考えてください,脳血栓に罹っ たらこんなに速く歩けるものか,腕も、足も動けるのか?その後で彼は法輪大法を勉強し たので,彼に偏差が出たと言った。彼は考えていない,脳溢血はこんなに速く治れるのか ?今日彼は若し法輪大法を学んでいないなら,もんどり打って,そこで死んだかもわから ず,永遠に半身不随になり,本当に脳溢血になったかも知れない。

 人はなかなか度しにくいもので,彼の為にこんなに沢山やったのに,彼は悟っていない ばかりか却ってこの様に言ったのだ。ある古い学員は,先生,私は何故どこも辛いのか, 良く病院に行って注射しても効かない,薬を飲んでも効き目が無いと言った。彼は私によ くも平気で言えるものだ!それは勿論効き目が無い,それも病気ではないから,効き目が 有り得るか?あなたは診察に行ったら,病気が無く,あなたは辛いばかりだ。我々のある 学員は病院に行って注射器の針を何本も曲がらせ,最後にその一本の薬を全部溢しても, 差し込めなかった。彼は分かった:そうか,私は煉功人だよ,注射を止めよ。彼はようや く注射はしないことを思い出した。だから我々は磨難に遭う時,是非この問題に注意して ください。ある人は私が彼に病院へ診に行かせないと思うから,すると,あなたは病院へ 診に行かせないなら,気功師に診て貰おうと思った。彼はやはりそれを病だと思って,気 功師に診て貰う。真の気功師をどこで探せるのだろうか?若し偽物なら,当時すぐあなた を駄目にさせるのだ。  

我々が言う,その気功師は本物か偽物かをあなたはどこから見分けられるか?多くの気 功師は皆自任したものだ。私は測定を経たことがあり,私の手元に科学研究部門の私に対 する測定資料を持っている。多くの気功師は偽物で,自任したもので,はったりを掛けて 詐欺を働くものは沢山いる。あの偽気功師も病気を治療できる。何故病気を治療できるの か?彼には憑依があるのだ,憑依が無ければ彼は人を騙すこともできないのだ!その憑依 も功を出すことができるし,病気を治療することもできる,それも一種の能量の存在で, 常人を制約するのが非常に容易である。しかし私が言ったように,その憑依が病気を治療 するなら,あなたの身体に何かを出すのか?極微視の下に全てがその憑依の形象で,あな たの身体に出したら,あなたはどうしようか?神を請うのは容易いが神を送るのは難しい という。常人の事を我々は言わないが,彼は常人だけになりたい,彼は暫く気楽にしたい だけだ。しかしあなたは煉功人であり,あなたは不断に身体を浄化しようとするのではな いか?このものを身体に付けてやったら,何時まであなたはそれを排出できるのか?しか もそれにも一定の能量がある。ある人はこう考えた,それでは法輪はどうしてそれを入ら せるのか?先生の法身が我々を保護するのではないか?我々のこの宇宙の中に一つの理が あり:あなた自分が求めるものなら誰も干渉しない,あなた自分が欲しいなら,誰も拘わ らない。私の法身はあなたを阻止し,あなたに暗示を与えてやるが,あなたは何時もこの 様にするなら,放置して置くのだ,強いて人に修煉させることがありえるのか?強いてあ なたに修めさせ、無理じいにあなたに修めさせてはいけない。あなた自分が真に向上する のによるのだ,あなたが向上したくなければ誰も仕方が無い。理も説いてやったし,法も 説いてやったが,あなた自分がやはり高めようと思わなければ,誰に不満を言うのか?あ なた自分が欲しいなら,法輪も干渉せず,私の法身も干渉しない,絶対にこうであるのだ 。またある人は別の気功師の場に行って報告を聞いたが,家に帰るとなかなか辛いと,そ れは当たり前のことだ。法身は何故防いでやらないのか?あなたは何をしに行ったのか? 聞きに行くのは,求めに行くのではないか?あなたが耳に入れなければ,それが入れるも のか?ある人は自分の法輪を変形させた。私があなたに教えよ,その法輪はあなたの生命 よりも価値が高い,彼は一種の高級生命であり,勝手に彼を壊してはいけない。現在偽気 功師はかなり多い,あるものは名望がかなり大きい。私が中国気功科学研究会の指導者に 言ったように,古代には妲己が朝廷に害を及ぼすということが出現したことがあり,その 狐はなかなか酷く撹乱したが,それでも現在の偽気功が酷くすることに及ばない,全く全 国に害を及ぼし,被害者はどれくらいだろう!あなたは表面を見ればかなり良いようであ るが,どれ程の人の身体にそのものが付いているのか?彼が出すとあなたに付けてやって しまい,大変猖獗だ,だから常人は外観からなかなか見分けることができない。

 ある人はこう考えているかも知れい:今日気功報告会に参加して,李洪志の話を聞いて ,なるほど気功はこんなに博大精深なのか!今度は他の気功報告があれば私は又聞きに行 こう。私に言わせれば是非行かないでください,良くないものを聞けば耳から中へ入れら れる。一人の人を度すことはかなり難しい,あなたの思想を変えることは非常に難しい, あなたの身体を調整することも非常に難しい。偽気功師は幾らでもいる,真正の正伝気功 師でも,その気功師は本当にきれいだろうか?ある動物はかなり凶暴で,それらのものが 彼の身体に付くことができないが,彼も追い出すことができない。彼は大面積的にこれら のものに手出しをする能力が無く,とりわけ彼の学員だ,彼はそこで発功をすると,混雑 な何物もある。彼自分は割りと正であるが,彼の学員は不正で,各種の憑依がついていて ,何でもある。

 あなたは真に法輪大法を修煉しようとするなら,聞きに行かないでください。勿論あな たは法輪大法を修煉したくないし,何かも煉りたいなら,行っても良い。私もあなたに構 わず,あなたも法輪大法の弟子ではない,問題が起きたら法輪大法を煉った結果だと言わ ないでください。あなたは心性基準によって実行し,大法に基づいて修煉し,それで初め て真の法輪大法の人になるのである。ある人は問った:他の気功を煉る人と接触すること ができるか?私があなたに教えよ,彼は気功を練るものだけで,あなたは大法を修煉する ものであり,この班から下りて,引き離した層次はどれ程遠いのか判らない,この法輪は どれくらいかの世代の人が修煉して初めてこのものを形成したので,強大な威力がある。 勿論あなたは接触すれば,彼のどんなものも受け入れないし,要らないし,ただ一般の友 達とすることを保持できるなら,それは問題は大きく無いが。但しその人の身体に何かの ものが本当にあれば大変悪いから,接触しない方が一番良い。夫婦では,他の功を煉る者 がいるのなら,問題も大きく無いと私は思う。処で,あなたは正法を煉るものだから,一 人で煉功しても,他人が受益になるのだ。彼は歪門邪道を練るものなら,身体に歪門邪道 のものがあるかも知れない,あなたの安全の為に,彼にも整理してやるのだ。別の空間で は何でも整理してやる,あなたの家の環境も整理する。環境を整理しなければ,各種のも のがあなたに邪魔すれば,あなたはどう煉功するか?

 但しある一種の情況は私の法身が整理してやることができない。私のある学員だが,あ る日私の法身が来たのを見たので,彼は嬉しくて堪らなかった:先生の法身が来られまし た,先生どうぞ部屋にお入りくださいと。私の法身は:この部屋の中は余りにも乱れ,も のが多すぎると言っていた。彼はそれで帰った。一般的に言えば,別の空間の霊体が余り にも多いが,私の法身が整理してやるはずだ。しかし彼の部屋には目茶苦茶の気功書が一 杯あったのだ。彼は分かった,片付けて,焼いたり,売ったりした,それから私の法身が 又来た。これは学員が言ってくれたのだ。

 又ある人は他人に占いをしてもらう。ある人は私に:先生,私は法輪大法を煉っている が,《周易》や占いなどのものに興味を持っている,私はまた使っても良いでしょうか? と聞いた。こう言ってあげよう,あなたが若し一定の能量を持っていたら,言い出した話 は作用が働くのだ。そういう事ではないのに,そういう事だと言ってやったら,それであ なたは悪い事をやったかも知れない。一人の常人としては非常に弱いもので,彼の存在す る信息は皆安定していないので,何らかの変化が起こるかも知れない。あなたは口を開け て言い出したら,その一難が存在することになるかも知れない。例えば若し彼の業力がか なり大きければ,彼は償還しなければならない,あなたが何時も彼に良い事があると言っ たため,業力が返せなくなるならそれは良いのか?あなたは人を害するのではないか?あ る人はどうしても放下できず,これらのものに執着するだけで,まるで腕前があるみたい ,これは執着ではないだろうか?しかもあなたは本当に知っているとしても,一人の煉功 人として心性を守るべきで,勝手に一人の常人に天機を漏らしてはいけない,この道理な のだ。《周易》を以てどう推断するのか,どうせあるものは既に真実ではなくなった,推 測しに推測したが,本当なのか偽りなのか,常人社会では占いというものの存在を許すの だ。ではあなたは真に功のある人であり,私に言わせれば本当の煉功人は高い基準で自分 自身を要求すべきである。しかしある人は他人に占いをしてもらって,占ってください, 私はどうだろうか,この功を煉ったがどうだろうか?私は何か難がないかを見てもらいた いと言った。彼は他人にこれを占ってもらうのだ。その難は推断してやれたとしたら,あ なたはどうして向上するのか?煉功人の一生は改変されたもので,手相、面相、生辰八字 と,身体に持っている信息のものは既に違って,改変されたものだ。あなたは彼に占って もらう時,彼を信じたのだ,そうでなければあなたは何を占ってもらうのか?彼が言った のは表面の事で,言ったのはあなたの過去の事であるが,実質には変化が発生したのだ。 では皆さん考えて,あなたが彼に占ってもらったなら,あなたは聞いたではないか、信じ たではないか?それであなたの精神に負担をもたらしたではないか?負担になったら,あ なたは心の中にそれを考えれば,執着心になったではないか?それではこの執着心を如何 に除去するのか?これで人為的に一難を加えたのではないだろうか?生じたこの執着心は 又余程苦しみを受けて初めて除去できるのではないか?一関毎に、一難毎にも上へ修め上 がるか或いは落ちるかの問題が存在している。本来も難しいのに,又別に人為的にこの難 を増やしたら,どう越えるのか?あなたはこの為で難や、厄介に遭うかも知れない。あな たの改変されたこの道を他人に見られるのは許されない。他人は見てから,あなたのどこ に難があるのかを全て言い出してやれれば,あなたは如何にして修煉して行くのか?だか ら全然見させないのだ。他の法門の誰にも見させない,同門の弟子でさえも見させない, 誰でも言い当てることはできない。その一生は改変され,修煉する一生であるからだ。

 ある人は私に聞いた:他の宗教の本や,気功書は読んでも良いのか?我々に言わせれば ,宗教の本について,特に佛教の本は,皆人々に如何に心性を修煉するかを教えるものだ 。我々も佛家のだから,問題が無いと言うべきだ。しかし一点があり,沢山の経書の中の 一部のものは翻訳の過程に既に間違いが有ったのだ,それに多くの経書の解釈も,違う層 次に立って解釈したもので,勝手に定義を定め,これが法を乱すのだ。一部の出鱈目に経 書を解釈した人は,佛の境界まで随分掛け離れていて,根本にその真の涵義を知らないの で,問題に対する認識も違う。あなたは完全に解るようにそれを読むのは,あまり容易な 事ではなく,あなた自分では悟っても解らない。しかしあなたが言う:我々はどうしても 経書に興味を持っているのだ。あなたは何時も経書を巡って学べば,それでその法門の中 で修煉することになる訳だ,経書もその一門の功と法を一緒に合わせたもので,学べばそ の門を学ぶことになる,という問題がある。若しあなたが入り込んで,彼のものに基づい て修めれば,それでその法門を歩んだかも知れず,我々のこの法門ではなくなるのだ。修 煉は従来より不二法門を重んじる,あなたはこの一門を真に修めれば,この一門の経だけ を読むものだ。

 気功書について,あなたは修めようとすれば読まないでください,特に現在出版された それらの本は,読まないで。《黄帝内経》、《性命帰旨》或いは《道藏》などについても 同じことで,それらの良くないものは無いが,中にも各種の層次の信息の存在が付いてい る。そのもの自身も修煉方法であり,読むとあなたに付けて,邪魔することになる。あな たはこの話は正しいと思うと,よし,これで付いて来る。あなたの功の中に入り込む,良 くないものではないが,突然本の少し別のものを入れてやったら,あなたはどういうふう に煉るのか?問題にもなるのではないか?我々はテレビの中のこの電子部品に,別の部品 を一つ多く入れれば,このテレビはどうなるだろうか?直ちに壊れてしまう,この道理で あるのだ。しかも今のある一部の気功書はその多くが偽物で,色々な信息がある。我々の ある学員が気功書を開いたらその中から一つの大きな蛇が飛び出て来た。勿論詳細なこと は私が言いたくない。私が先程言ったのは我々煉功人自分が自身を正確に対処できない為 ,少し厄介をもたらし,つまり心が不正で招いた厄介である。我々は皆さんに言って置く のは有益な所があり,皆さんに如何にやるか,如何に彼らを鑑別するかを教え,将来問題 が起こらないことを図る。私は先程この話を重く言っていなかったが,皆さん是非注意し てもらいたい,往々にして問題になるのはここにあり,往々に問題がここに出るのだ。修 煉は極めて苦しいし,非常に厳粛なことで,あなたはちょっと注意しないと落ちて,一朝 にして烏有に帰すかも知れないので,心は正しくしなければならない。