自心生魔
「自心生魔」とは何か?人の身体は各層空間の中にも一つの物質場の存在があり,特殊 な場の中には,宇宙中のあらゆるものは影のようにあなたのこの空間場に照射して来る, 影であるが,それも物質存在である。あなたの空間場の一切は,皆あなたの大脳意識の支 配に従う,つまり,あなたは天目で見る時,念を働かせずに静かに見れば真実のものであ り,ちょっと念を働かせると,見えたものは全て偽物である,これが「自心生魔」で,「 心に従って変化する」とも言う。ある煉功人は自分が自分自身を一人の修煉の人とし得ず ,自分が自分を把握できず,功能を追求し,小能小術に執着し,甚だしきに至っては別の 空間で聞いた何らかのものに執着し,それらのものを追求するのに執着するから,この類 の人は一番「自心生魔」しやすいし,一番落ちやすい。幾ら高く修煉したとしても,この 問題が出ると底まで落ちてしまい,底まで損ねてしまう。これは一つの極めて重大な問題 である。他の方面と違って,心性の試練が今回通らなかったが,転んでも立ち上がって, 続けて修めれば良い。しかし自心生魔という問題が出れば行けない,彼のこの一生はこれ で壊されてしまうのだ。特に煉功で一定の層次に天目が開いた人には,この問題が出やす い。又一部の人は自分の意識が始終外来の信息の邪魔を受け,外来の信息が彼に何かを教 えても,彼がそれを信じる,こういう問題も出現する。だから我々のある人は天目が開い てから,方々面々の信息の邪魔を受けるはずだ。
我々は一例を挙げる。低層次の修煉は心が動かないのは,とても難しい。先生はどんな 顔ですかあなたははっきり見えないかも知れない。突然ある日,あなたは高くて大きな一 人の「大神仙」が来たと見えた。この大神仙はあなたを少し褒めて,それからあなたに何 かを教えてやり,あなたも受け取ったら,それであなたの功が直ちに混乱してしまう。あ なたは心が嬉しく,彼を師父とし,彼について勉強したが,彼も正果を得ないもので,そ の空間に於いて大きくなったり小さくなったりすることはできるのだ。これはあなたの目 の前に現れ,あなたはこの大神仙を見ていて,本当に激しく感動した!歓喜心が起きると ,あなたは彼について勉強しないはずはないだろう?修煉の人は自分を把握できなければ 「度化」が非常に難しい,自分を駄目にしてしまいやすい。天人は皆神であり,しかし彼 も正果を得ていないもので,相変わらず六道に入るのだ。あなたは勝手に師父になっても らって,彼について行ったら,彼はあなたをどこへ連れて行くだろう?彼でも正果を得な いので,あなたは無駄に修めたのではないか?結果としてあなた自分の功も混乱してしま った。人の心が動かないのはなかなか難しいことだ。私が皆さんに教えておくが,この問 題は非常に厳しい,将来我々の多くの人にこの問題が出現する。法は私が説き出してやっ たが,把握できるかどうか全くあなた自分による。私が言ったこれは一種の情況である。 別の門派の覚者を見ても心動かさず,一門の中だけで修める。どんな佛でも,どんな道で も,どんな神でも,どんな魔でも,私の心を動かすことはできない,これなら必ず成功の 見込みがある。
自心生魔にはまだ別の情況もある:世を去った肉親の邪魔が見え,泣き泣き,あなたに あの事や、この事をやらせ,どんな事も出現する。あなたはこの心を動かせないことがで きるか?あなたの子供を溺愛し,あなたの父母が好きだ。あなたの父母が既に世を去った ,何をやってくれと彼はあなたに教えて,又‥‥‥何れもそのやってはいけない事ばかり で,あなたはやったらそれで終わりだ,煉功人はこんなに難しいものだ。人々は佛教が乱 れた,儒教のものも佛教の中に入った,親孝行とか、児女の情とか皆入ったと言っている が,佛教の中にこの内涵が無いのだ。どういう意味だろうか?一人の真正の生命は元神だ から,あなたの元神を生んだその母親こそあなたの真正の母親である。あなたは六道輪廻 の中にいるので,あなたの母親は人類のもあるし,人類でもないのもあり,数え切れない 。生々世々にあなたの子供がどれ位いるのか,それも数え切れない。誰があなたの母親か ,誰があなたの子供か,両目を閉じると誰が誰だか判らず,あなたの借りた業は相変わら ず返さなければならない。人が迷いの中におり,どうしてもこのものを放下できない。あ る人は子供のことを下ろせず,如何に良いかと言うが,彼が死んだ;母親は如何に良いか と言うが,彼女も死んだ,彼は悲痛窮まりなし,まるで下半生はついて行きたい程だった 。考えて見なさい,これはあなたに纏わりに来たのではないか?この形式であなたに楽に 暮らさせないのだ。
常人は理解できないかも知れない,あなたはこのものに執着すれば,全然修煉できない ,だから佛教の中にこの内涵が無い。あなたが修煉しようと思えば,人間の情を放下しな ければならない。勿論,我々は常人社会の中で修煉して,親孝行をし、子供を教育するの は何れも当たりまえのことで,各種の環境の中に於いても他人に親切にし,人に善を為す べきで,況してあなたの肉親は言うまでもない。誰にでも同じように,親にも、子供にも 優しくして,至るところで他人の事を考慮する,この心は私心ではなく,皆慈善の心であ り,慈悲である。情は常人の中のもので,常人は情の為に生きているのだ。
多くの人は自分を把握できなくて,修煉の困難をもたらした。ある人は,佛様が何かを 言ってくれたと言った。凡そあなたに今日は一つの難があるとか,何か事が起こるとか, 如何にそれを避けるかと教えること。或いは誰かがあなたに,今日の一等賞の宝くじは何 番かを教え,あなたに引かせること。生命危険がある時あなたに如何に排除するかを教え ることだけは別として,凡そ常人社会の中であなたに利益の取得を教えるものは何れも魔 である。常人の中で益を得て,この一難を越えられないなら,あなたは向上できないのだ 。あなたは常人の中で心地よく良い暮らしを送るなら,あなたは如何に修めるのか?あな たの業力は如何に転化するのか?あなたの心性を高めあなたの業力を転化する環境は無く なったじゃないのか?皆さんは是非この事をよく覚えてください。その魔はまだあなたを 褒めて,あなたはどれほど高いとか,どんな高い大佛だとか,どれほど高い大道だとかと 言って,あなたは偉いなどと思うが,これは何れも偽りなのだ。真に高層次上へ修煉する 人は,あなたの各種の心も放下しなければならない,この問題に逢った時,皆さんは是非 用心してください!
我々は煉功する時天目が開いた。天目が開いたら天目の開いたなりの修めにくい処があ り,天目が開かないが天目の開かないなりの修めにくい処があり,どっちも修煉しにくい 。天目が開いた後,各種の信息があなたに邪魔する時,あなたは自分を把握するのが非常 に難しい。他の空間は,至る処も美しい玉は目に一杯で,非常に奇麗で,非常に素晴らし い,どれも心を動かすことができる。心を動かすとあなたは邪魔され,あなたのその功も 混乱してしまう,往々にしてこの様になるのだ。だから自心生魔の人は,自分を把握でき ない時,まだこの様な状況が現れるはずだ。例えばこの人は不正の念を生むと,非常に危 険になる。ある日,彼は天目が開いて,しかもはっきり見られる。彼は,この煉功点では ,僕だけ天目が良く開いた,僕は一般の人ではないだろう?僕は李先生の法輪大法を学ぶ ことができ,これ程良く勉強することができ,他人より勝り,僕も一般の人ではないだろ うと思った。この思想は既に正しくなくなった。彼は,僕も佛だろう,ほら,僕は自分を 見て見ようと思った。彼は自分が本当に佛だと見えた。何故だろうか?彼自分の身体周囲 の空間場範囲の中の一切物質が,皆彼の念頭に従って「演化」するから,「随心而化」と も言う。
宇宙の中から対応して来たものは,全部彼の念頭に従って変化する。彼の空間場範囲の 中のものは全て彼の支配に帰するので,影も物質存在であり,同じである。彼は思う:僕 は佛だろう,僕の着ているものも佛の衣服だろう。それで彼の着ている衣服は佛の衣服だ と彼は見える。おや,僕は本当に佛だ,嬉しくて堪らない。僕は小佛ではないだろう,見 ると,自分はなおかつ大佛だ。僕は李洪志よりも高いかも知れない!見て見よ,おや,僕 は本当に李洪志より高いのだ。又ある人は耳から聞いたのだ,その魔は彼に邪魔して,あ なたは李洪志より高い,李洪志よりどれくらい高いかと言った。彼も信じた。あなたは今 後どう修めるかを考えたか,あなたは修めたことがあるか,誰があなたに修めることを教 えたのか?真佛が降りて事をするとしても新たに修めなければならず,元の功も一切与え ず,ただ現在は修めるのが少し速いに過ぎない。こうして,この人に一旦このような問題 が出てから,彼はもうなかなか自ら抜け出せず,すぐこの心が出て来る。出てから,彼は 何もかも敢えて喋る:僕が佛だ,他人に学ばないでおくれ,僕が佛だ,お前らにどうすれ ば良いかを教えるぞ。彼はこのようなことをするようになるのだ。
我々長春にもこの様な人がいたじゃないか?最初は悪くない人だったが,その後だんだ んこの様な事をするようになった。彼はもう佛だ,最後に誰よりも高いと思った,人が自 分を把握できなく,執着心が起きて招いたのだ。どうしてこの現象が現れるのか?佛教が 言う:あなたは何かが見えたら,彼を相手にしないで,皆「魔幻」だ,あなたはただ自分 が入定して上へ修めるだけだ。彼は何故あなたに見させないか,何故そのものに執着させ ないのか?この問題が起こるのを心配するからだ。佛教中の修煉には何も強化の方法が無 く,経書の中にもあなたに如何にこのものを避けるかを指導するということも無い。釈迦 牟尼は当時この法を説いていなかった,自心生魔、随心而化という問題を避ける為,彼は 修煉中に見えた一切の光景を全部「魔幻」だと言いなす。だから一旦執着心があったら, この魔幻が生じられ,人はそれからなかなか抜け出せない。それで注意しないとこの人は もう終わりだ,魔に陥った。彼は自分を佛だと言いなしたから,彼が既に魔に陥った,最 後に憑依或いは他の何かの事を招いて,彼が徹底的に駄目になるのだ。彼の心も悪くなり ,すっかり落ちてしまう,この様な人はかなり多い。この班には今も自分がすごいと思う 人がおり,その話す態度も違う。自分のことは一体どんな事なのか,佛教の中でもこのも のを極力避けるのだ。私が先程言ったことはもう一種の状況であり,これは自心生魔と言 い,随心而化とも言う。北京にはこの様な学員がいたし,一部の地区にも出現した,そし て煉功人への邪魔はかなり大きい。
ある人は私に聞いた:先生,あなたは何故これを処理しませんか?皆さん考えてくださ い,若し我々は修煉のこの道に於いて障害物を全部処理してやったら,あなたはどう修め るか?魔の邪魔がある状況の下でこそあなたは修めて行けるかどうか,あなたは真に道を 悟れるかどうか,あなたは邪魔されるかどうか,あなたはこの一法門をはっきりさせるこ とができるかどうかということが体現できる。大波が砂を研ぐが如く,修煉は取りも直さ ずこの事で,残ったものこそ真金である。あなたにこの形式の邪魔が無ければ,私に言わ せれば人の修めはあまりにも易しい,私はあなたの修めは余りにも易しいと見ている。そ れらの高層次上の大覚者が見て心の中は更に不平になる:あなたは何をしますか?人を度 しますか?この道に何も障害物が無く,修めると最後まで修められ,これは修めることで しょうか?煉れば煉るほど楽になり,邪魔が一切無く,それは行けるでしょうか?この問 題だが私もこの問題を考えているのだ。初期の時,私はこの様な魔を多く処理してやった 。いつもこの様にして行っては,私も適切ではないと思った。彼らも私にこう言った:あ なたは彼らに余りにも容易に修めさせた。人は自分の難がそれしきだけで,人と人との間 にはそれだけの事だが,やはり多くの心が除去できない!惑乱の中であなたの大法そのも のに対して認識できるかどうかやはり問題でしょう!この様な一つの問題があるので,邪 魔があり,試練があるはずだ。今言ったようにこれは魔の一種の形式である。真に一人の 人を度すのはなかなか難しいが,一人の人を駄目にさせるのは極めて簡単である。あなた は自分の心が不正になると,直ちに駄目になる。