第六講

走火入魔

 修煉界ではこの様な一種の言い方があり,「走火入魔」と言う,大衆の中で影響もかな り大きい。特に一部の人はこの事を大いに宣揚して,一部の人が敢えて煉功しないように させた。人は煉功すればまだ走火入魔になると聞いて,驚いて煉功しようと思わなくなっ た。実は私は皆さんに教えておきたいが,走火入魔なんて根本的に存在しないのだ。

 少なくない人は自分の心が不正なので,何らかの憑依を招いて来た。自分の主意識は自 分自身を制御できないが,却ってこれが功だと思う。身体は憑依に制御され,ちんぷんか んぷんで,呼んだり叫んだりしている。人々が見て、練功とはこういうものなのか,怖く て練るのを止めた。我々の多くの人はこれが功だと思っているが,これが練功することな ものか?これは最低の最低のその病健身の状態のみであり,しか しそれは却って非常に危険である。あなた自身がこれに慣れたら,あなたの主意識はどう してもあなた自身を制御できず,それではあなたの身体は副意識或いは外来の信息や、憑 依ぐらいのものに制御されるかも知れず,何らかの危険な行為を行うかも知れない,そし て修煉界に対する破壊力が極めて大きい。これは人心が不正なので引き起こしたことで, 執着的に自分自身を誇示し,これは走火入魔ではない。ある一部の人はどのようにしてあ のいわゆる気功師になったのか知らないが,彼も走火入魔を言う。実は煉功は走火入魔す るはずはなく,多数の人は主に芸術作品の中から聞いたのであり,侠客小説などの中から この名詞を聞いたのだ。信じなければあなたは古書を繙いて見て、修煉の本の中に,この 様な事がないわけである。なんで走火入魔なんかあろうか?根本的にこういう事が出現す るはずはない。

 一般の人が思った走火入魔には幾つかの形式があり,私が先程述べたのもその一種の形 式である。自分の心が不正なので,憑依を招いて来て,何か気功態を追求して自分を誇示 するなど各種の心態。ある者は直接功能を追求し或いは偽気功を練ったので,練ると自分 はいつも自身の主意識を緩めることに慣れ,何もかも判らないようになり,身体を他人に 渡した,はっきり分からずに副意識或いは外来の信息に身体を主宰され,何らかの特殊な 行為をする。彼にビルから飛び降りさせれば彼が飛び降りる,彼に川に身投げをさせれば 彼が身投げをする。彼自身も生きていたいとは思わず,身体をも他人に渡したのだ。これ は走火入魔に属しないが,これは練功が誤った道に踏み入れたことに属し,初めから意識 的にこの様にして形成したのだ。多くの人はゆらゆらと揺れることが練功であると思い, 実はこの状態で真に練功したら,重大な結果を引き起こすはずである。これは練功ではな く,常人の執着と追求により引き起こしたのだ。

 もう一種の情況は煉功の時に気がどこかに塞がれて通じなくなり,気が頭上に来て下り ないので,彼は怖くなったということである。人の身体は一つの小宇宙で,特に道家の功 法は関を通り越す時,これらの煩わしい事に遭うはずで,通り越せないなら,気がここを 旋回しているようになる。頭上だけでなく,別の部位でも同じだが,人の一番敏感な所は 頭上である。気が頭上に上がって下へ衝いて、関を通れない時,彼は頭が重く、頭が張り ,かなり厚い気の帽子を被るなどの現象を感じられる。しかし気には如何なる制約作用も 無く,それは人に何か厄介な事が出るようなことを招くこともなく,根本的に何か病気な どを生むこともない。ある一部の人は気功の真実な情況を了解もせず,摩か不思議に出鱈 目に意見を発表し,結果として一種のかなり混乱の現象を引き起こした。人々は気が頭上 に上がって下りなければ走火入魔となるとか、偏差が出るとか等と思う,その結果多くの 人は彼自身から怖がるようになる。

 気が頭上に上がって下りないことは,それはある時期の状態のみである,ある人は長い 時間,半年も下りない。下りないなら本物の気功師に頼んで導いてもらえば下げられる。 それで凡そ我々が煉功する時に関を衝いて通れず、気が下りない時,我々は心性上の原因 を探して見て,その層次に誤っている時間が長すぎて,心性を高めるべきなのではないか !あなたは真に心性を高めたら,あなたの見た通りにそれが下りられる。あなたは一途に あなた自身の功の変化を強調してあなたの心性の変化を強調しない,それはあなたの心性 の向上を待っており,それで初めて全体の変化が起こる。人は本当に気が通らなくても何 も問題が起こらない,往々にして我々の自分の精神が作用し,それに偽気功師の気が頭上 に上がって,何か偏差が出るのだという話を聞いて,彼は怖くなる。彼は怖くなると本当 に厄介の事をもたらすかも知れない。あなたは怖がると,恐怖心であり,それは執着心で はないのか?あなたの執着心が出ると,あなたの執着心を除去しなければならないのでは ないか?怖くなればなるほど,病気のようになり,あなたのこの心を除去しなければなら ない,あなたには今回の教訓を汲み取らせ,従って恐怖心を除去させて,向上させる。

 煉功人は将来修煉しても心地よくなることはなく,身体に多くの功が出現し,何れもか なり強烈なものがあなたの身体の中で動いていて,あなたにこうしても辛く,ああしても 辛く感じるようにさせる。あなたの心地よくない原因は主としてあなたが何時も自分の身 体に何か病気に罹るのを恐れるからであり,実は身体の中にもうそんなに強烈なものも出 て来た,出たものは全て功であり,全て功能であり,それにまだ多くの生命体がいる。動 くなら,あなたは身体が痒い、痛い、辛いなどと感じられ,末梢神経の感覚もかなり鋭敏 となり,各種の状態も出現するはずだ。あなたの身体が高能量物質に変えられていない前 に,ずっとこういう感覚があるのだ,本来は良い事である。一人の修煉人として,あなた はいつも自分が常人だと思い,いつも病気があると思うなら,それは煉れないじゃないか ?我々の煉功の中に「刧難」が来た時,あなたはやはり自分を常人としているなら,私に 言わせればあなたの心性がその時常人の処に落ちてしまったのだ。この問題に於いて,少 なくともあなたが常人のその層次に落ちてしまった。

 我々は一人の真正の煉功人として,随分高い層次に立って問題を見るべきで,常人の観 点により問題を見ては行けない。あなたが病気があるのだと思った時,それで病気がある ことを招くかも知れない。あなたはそれに病気があると思った時,あなたの心性が常人の 高さと同じになった。煉功と真に修煉する者なら,特にこの状態なら,それは病気を引き 起こすことはない。皆さんが知っているように真に病気に罹るものは,七割は精神にあり 三割は病気にある。往々にして人の精神が先に崩れ,先に駄目になり,負担がかなり重く なり,これで病状を急激に悪化させる,往々にこうであるのだ。一例を挙げよう,過去こ ういう人がいた,彼をベッドの上に縛って,彼の腕を持ち上げて,彼の瀉血をすると言っ た。それから彼の目を覆って,彼の腕を切って(根本に瀉血はしていない),水道の蛇口 を開けて彼に水のしたたる音を聞かせる。彼が自分の血が流れると思って,間もなくこの 人が死んでしまった。実際は全然彼の瀉血はしていない,流したものは水道の水であった ,彼の精神が彼の死亡を引き起こした。あなたは何時もあなたに病気があると思う時,あ なた自分に病気を引き起こさせるかも知れない。あなたの心性が既に常人のその基礎に落 ちたからだ,常人は勿論病気を患うはずなのだ。

 煉功人としてあなたは何時もそれを病気だと思えば,実際はあなたが求めることになる のだ,あなたが病気を求めるから,その病気が入り込む。一人の煉功人としては心性が高 いはずだ。あなたは何時も病気じゃないかと心配することを止めなさい,病気を心配する ことも執着心であり,同様にあなたに厄介をもたらして来る。修煉中に業を消すべきで, 業を消せば苦痛を受ける,心地よく功が長じることがないはずだ!そうでなけばあなたの 執着心をどうやって無くすのか?私は皆さんに佛教の物語を一つ話そう:昔ある人が随分 力を注いでようやく羅漢に修成した。その人は正果を得ることになり,羅漢に修成するこ とになるから彼は喜ばないことがありえるか?三界を飛び出るのだ!嬉しくなるそのこと が執着心,歓喜心である。羅漢は無為で、心動かずであるべきだが,彼は落ちてしまい, 無駄修めだ。無駄修めになったから改めて修め直そう,新たに上へ修めて,随分力を注い で又修め上がって来た。今回は彼が心配した,彼は心の中で,私は喜ばないように,喜ぶ と又落ちるからと言った。彼は怖くなると再び落ちてしまった。怖いことも一種の執着心 である。 

もう一種の状況はある人が精神病に罹ったので,彼は走火入魔になったと言われた。又 ある人は私が彼の精神病を治すことをまだ待っているのだ!私に言わせれば精神病は病気 ではない,私はこれらの事をやる時間もない。何故だろうか?精神病の病人は彼は病毒が 無く,身体の中に病変も無く,潰瘍も無い,私に見させれば病ではない。精神病はつまり 人の主意識があまりにも弱いことだ。どれ程弱いのか?自分をいつも支配できない人のよ うに,その精神病人の主元神はその様子だ。彼はこの身体を支配したくなくなり,彼自身 は何時もぼんやりしていて,何時も気が抜けたようである。その時副意識や、外来の信息 が彼に邪魔をする。各空間層次はそんなに多く,各種の信息も彼に邪魔をする。況してや 人の主元神は生前に何らかの良くない事をやったかも知れない,それに債権者は彼を害す るかも知れず,色々な事情も出現して来る。我々が言うように精神病はその事である。私 がどう治してやるのか?私に言わせれば真正の精神病はこのようにして罹ったのだ。それ でどうしようか?彼を教育し,彼に気を立たせる,でもなかなか難しい事だ。精神病院の その医師が手にする電棒を振るうと,彼は直ちに恐れて出鱈目を一言も言えなくなる。何 故だろう?その時彼の主元神は気が立って来た,彼は電撃を施されるのを恐れるからだ。

 往々に人は修煉の門に入ると煉って行くのを好きがっている,佛性が誰でもあり,修道 の心が誰にでもある,だから一旦功を学んだら,多くの人は彼を伴って一生煉って行くの だ。彼は修め上がれるかどうか,法を得るかどうかを問わず,所詮彼は道を求める心があ り,彼は何時も煉りたい。皆はこの人が煉功していることを知っており,事務室の人が知 り,町内の人も知り,隣の人も彼が煉功するのを知っている。しかし皆さんが考えてほし い,真の修煉,数年前誰がこの様な事をしたのか?やる人はいなかった,真の修煉こそ彼 の人生の道路を変えることができる。しかし彼は一人の常人であり,練功で 病健身をするだけである,誰が彼の為に人生の道路を変えてやるのか?常人だ もの,何時の日か病気に罹ったり,何時の日か何か厄介な事に遭い,何時の日か精神病に 罹るかも知れず,或いは遂に死んでしまう,常人の一生はこんなものである。あなたは彼 が公園で練功することを見かけるが,実は彼は真に修煉するものではなく,彼は高層次上 へ修めたいが正法を得ず,彼も修め上がれない。彼は高層次上へ修煉したい願望があるだ けで,彼はやはり低層次に於いての病健身の練功者である。彼の 人生道路を変えてやる人はいない,それで彼は必ず病気に罹るのだ。徳を重んじなければ 病気は治らず,功を練ったらどんな病気にも罹らないと言うわけではない。

 彼は真に修煉し,心性を重視しなければならず,真に修煉して初めて病気を除くことが できる。煉功は体操ではなく,常人を超えるものであるので,更に高い理と基準で煉功者 に要求しなければならない,出来なければ目的に達することができない。しかし多くの人 はこのようにしていないから,彼はやはり一人の常人であるので,彼は時間になると又病 気に罹るものだ。ある日彼は突然脳溢血になり,突然この病気に罹り,その病気に罹った ,或いはある日精神病に罹ったかも知れない。彼が煉功することは誰でも知っている,一 旦この人は精神病に罹ったら,人々は彼が煉功して走火入魔になったと言って,レッテル を貼ってやった。皆さん考えて見なさい,こうするのは合理的であるのか?素人は知らな いが,我々玄人、多くの煉功人もその中の真正の道理をなかなか知り難い。若しこの人が 家で精神病に罹ったらまあ良いけれど,人々はそれでも彼が煉功してなったのだと言うだ ろう;若しちょうど煉功場で彼が精神病に罹ったなら,それは大変だ,そのレッテルがし っかり貼られ,外しても外せない。煉功で走火入魔になったと,新聞にも載せられるだろ う。ある人は目を閉じて気功に反対する:ほら先程しっかりと煉っていたのに,今はこの 様になってしまっただろう。一人の常人としては,彼には起こるべき事が起こるはずだ, 彼は又他の病気が出て,他の厄介な事が出るかも知れない,何もかも煉功で起こったのだ と言うなら,合理的であるのか?我々の病院の医者のようだが,彼は医者になったから, 一生涯永遠病気に罹るべきではないものか,このように認識出来るのか?

 だから,多くの人は彼は気功の真実の状況を了解せず,その中の道理も分からないので ,出鱈目を言う。一旦何か問題があれば,どんなレッテルも気功に貼る。気功は社会に普 及する時間がかなり短かい,多くの人が一種の固執的な観念を抱いて,それを承認せず, それを誹謗し,それを排斥する,彼は一種のどの様な心理状態であるか解らないが,彼は こんなに気功が嫌いなのか,彼と何か関係があるみたいだ,気功に言及すると唯心論だと 言うのだ。気功は科学であり,もっと高い科学である。ただこのような人は観念があまり にも固執的で,知識があまりにも狭い為で引き起こしたのだ。

 もう一種の状況がある,修煉界には一種の気功態と言うのがあり,このようの人は気が ぼうっとしているが,彼も走火入魔ではなく,彼は非常に理知的である。私は先ず気功態 とはどういう事なのかを述べる。皆さんが知っているが,我々は煉功するのは『根基』の 問題を重んじる。全世界のあらゆる国にも宗教を信仰する人がおり,中国には数千年来も 佛教、道教を信仰する人がおり,善に善の報いがあり,悪に悪の報いがあると信じている 。しかしある一部の人は信じていない。特に「文化大革命」時期に批判され,迷信だと言 われた。一部の人は彼が理解出来ないと思うもの,本の中から勉強していないもの,現代 科学がそこまで発展していないもの,或いは認識されていない事物を,全て迷信だと言っ た。この様な人は数年前かなり多かったが,今は割りに少なくなった。一部の現象はあな たが承認しなくても,それは既に確実に我々のこの空間の中に反映されて来たからだ。あ なたは敢えてそれを正視しないが,現在人々は皆それを言い出す勇気があり,人々は目で 見て耳で聞くことによって煉功の状況も少し分かるようになった。

 一部の人はこの程度まで固執した:あなたは気功の事を言うと,彼は心からあなたを笑 う,彼はあなたが迷信をするなんて,本当におかしいと思う。あなたは気功の中の現象を 言うと,彼はあなたはあまりにも愚昧だと考える。この様な人は固執的だが,根基が良く ないとは限らない。若しこの人は根基が良ければ,彼は煉功すると,天目がかなり高い層 次に開き,功能も出るかも知れない。彼は気功を信じないが,彼は自分が病気に罹らない ことを保証できない。彼は病気に罹ったなら病院に行き,西洋医が駄目なら中医の処に行 き,中医も駄目なら,如何なる民間の処方も駄目なら,今度は気功を思い出した。彼は, 僕が運試しに行こう,気功が一体僕の病気を治せるかどうか診てもらおうと考えた。彼は 仕方なくやって来た。彼は煉功すると,根基がかなり良いから,すぐ非常に良く煉ること ができた。どの師父は気にいったかも知れず,別の空間にいるその高級生命が彼を助けて やった。彼はこれで天目が開いて,或いは半開悟の状態にあった。天目がかなり高い層次 に開いて,さあっと宇宙中の一部の真実の状況が見えた,そして功能もあった。この様な 人はこの状況を見ると,彼の大脳は受けられるのか?考えて見て彼のその心態がどうなる か?ずっと迷信、絶対に不可能だと思う事,他人が言うと嘲る事が,確実に目の前に現れ ,そして嘘偽りなく接触した。それで彼の大脳は耐えられなくなり,彼の精神の圧力があ まりにも大きくなり,言い出した話は他人が受け入れない,しかし思惟論理は混乱してい ないが,彼はただ両側の関係を正しく処置できないだけである。彼は,人類がやった事は 間違いだが,あちら側では往々にして正しいことだと発見した。あちら側に従ってやれば ,人は彼が間違いだと言う。人々は理解できないから,この人は煉功で走火入魔になった と言うわけだ。

 実は彼は走火入魔ではなく,我々の大多数の人の煉功は根本的にこの現象が出現しない はずで,それらの特別固執的な人にだけこの気功態が出現する。我々の在席の人の中で多 くの人は天目が開いた,相当に多い。彼は着実に別の空間のものが見えたが,彼は別に意 外に思わず,大変良いと思い,大脳は別に刺激されず,この気功態も現れない。人には気 功態が出現してから,非常に理知的で,言った話には非常に哲理性があり,そして論理も 上手い。ただ彼の言う話は,常人が信じない。彼は暫くしてあなたに,彼は死んだ某とい う人に会った,あの人は彼に何かをやらせたと教えた。常人は信じられるか?後になって 彼は分かった,これらの事は自分の心の中に置くべきで,言ってはならず,両側の関係を 正しく処置してから直るようになる。往々にしてこれらの人は功能の存在をも伴っており ,これも走火入魔ではない。

 又一つの状況があり「真瘋」と言い,この状況は極めて少ない。我々の言う「真瘋」は 本当に気が違ったということではなく,この意味ではなく,真を修める意味である。どの 様に真瘋になったのか?私に言わせれば修煉の人の中で,十万人の中で一人いる位で,滅 多に見ない。だからそれは普遍性が無く,社会影響も引き起こしていない。

 「真瘋」には往々に先決条件がある,つまりこの人は根基がとても良く,年齢もかなり 高くなった。年を取ると,修煉にはもう間に合わない。根基が非常に良いのは往々にして 使命を持って来たもので,高層次上から来たものである。常人のこの社会へは誰もが来る のが怖く,脳を洗われると誰をも知らない。常人のこの社会環境の中に来て,人々から彼 への邪魔により,彼に名を重んじ,利を重んじるようにさせ,最後に落ちてしまい,永遠 に日の目を見る日が無い,だから誰も敢えて来ようとせず,誰も恐れる。この様な人がや って来た,来てから,彼は常人の中で本当に駄目になり,確かに下へ落ち,一生は少なく ない悪い事をした。人は生きて個人の利益の為争う時沢山悪い事をやれるから,借りが多 くなる。彼の師父が見て,この人が落ちて行くようになりつつある。しかし彼は果位があ る人だから,この様に随意に彼を落とさせてはいけないよ!どうしよう?気が苛立ちなが ら,彼に修煉させる別の方法も無く,その時どこへ師父を探すのか?彼は改めて元へ返し ,元へ修めなければならない。しかし言うほど易しいのか?年も取ったし,修めても間に 合わないし,どこへ性命双修の功法を探しに行ったら良いのか?

 根基が非常に良い人でなければならない,この極めて特別な状況の下で初めて,彼に気 違わせる方法を取ることができる。つまり絶対に見込みが無く,自分が元へ戻ることがで きない状況下で,この様な一つの方法を取るかも知れない,つまり彼に気を違わせて,彼 の頭のある部位を塞いでしまうようにする。例えば我々人間は寒さに弱く、汚れを厭うが ,寒さに弱いこの部分の大脳を塞いでやり,汚れを厭うこの部分を塞いでやる。彼に一部 の部分を塞いでやってから,この人の精神に問題が出て,真に気が違うようになった。と ころが往々にしてこの様な人は悪い事をせず,人を殴ったりもしないし人を罵ったりもし ない,往々に良い事を良くやる。しかし彼は自分に対してはかなり残酷である。彼は寒さ が判らないから,冬裸足で雪の上を走り,ひとえものを着ており,凍えて足の大きな裂け 目から血が流れている;彼は汚れが判らないから,大便を彼も敢えて食べるし,尿を彼も 敢えて飲む。以前私はこの様な一人の人がいたのを知っており,あの馬糞のたまがかちか ち凍っているが,彼は美味しそうに齧った,彼は常人が明白な状態下で耐えられない苦し みに耐えられる。彼は気が違ってからどれくらいの苦しみを受けるのかあなたが考えなさ い,勿論彼は往々に功能の存在を伴って持っており,普通は老婦人が多い。過去老婦人は 纏足をしたのだが,二メートル位の塀を,駆けて行けば飛び越える。家族は彼女が気違っ て,度々外へ出掛けることを見て取って,部屋の中に閉じ込めた。家族が離れてから,そ の錠を指すと鍵が開いて,出掛けて行った。それで鉄の鎖で繋いでおく,家の人が出掛け た後,振るうと鉄の鎖が解いた。控えても彼女を控えられない,こうして彼女はかなり多 くの苦しみを嘗めた。彼女は大変苦しみを嘗めたし,その勢いも大変猛烈であるから,彼 女は借りた良くないものを速く返済することができる。多くとも三年は越えず,普通は一 、二年で過ぎ去る,その受けた苦しみは相当大きい。過ぎてから直ちに明らかとなって来 た,彼女はこれで修煉が終わったと言えるから,直ちに開功して,各種の神通も出て来た 。これは極めて滅多に見られないことであり,歴史上にはこういう者がいたが,一般の根 基の人にはこういう風にやらせられることではない。皆さんは気違い僧や、気違い道士が いたことを知っているが,歴史上には確かにあった,記載されてある。気違い僧が「掃秦 」するやら,気違い道士など,そのような典故はかなり多かった。

 走火入魔は,我々に言わせれば絶対存在しないのだ。誰かが火を走らせることができる なら,若し本当にこうできるなら,私に言わせればこの人は大したものだ。口を開けると 火を吐き出せるし,手を伸ばすと火を出せるし,煙草を吸い火を点ける時手指を伸ばすと 火がつくのなら,それは功能だ!と私は言う。