奇門功法

 佛道二家の功法以外に,また一種の奇門功法があり,彼自分は奇門修煉と呼んでいる。 我々の一般の常人は修煉の功法に対してこの様な一種の認識があり:中国古代からずっと 今日まで,人々は佛道二家の功法は正統的修煉方法だと認めて,彼を正法門修煉とも言う 。この奇門功法は従来世に公布せず,彼の存在を知っている人は非常に少なく,ただ芸術 作品の中から聞いただけである。

 奇門功法はあるのか?ある。私が修煉の過程に於いて,特に後の数年来私が三人の奇門 の達者と会ったことがあり,私に彼らの一門の中の精華を伝えてくれた,非常に独特なも ので,非常に素晴らしい。彼のものはとても独特だから,煉り出したものはなかなかユニ ークで,一般の人に理解されない。そしてまた一句の話をし,非佛非道と言い,佛を修め ず,道を修めないのだ。人々は佛を修めず道を修めないと聞くと,彼を「旁門左道」と言 うが,彼自分は「奇門功法」と言う。旁門左道と呼ぶのは貶す意味があるが,反対の意味 は無く,それは邪法だと言うことではない,これは間違いない。字面から理解しても邪法 の意味は無い。従来より佛、道の功法を正法門修煉だと称される,彼のこの種の功法は人 に認識されない時,人々は彼は旁門,側の門で,正法門ではないと言う。左道とは?左と は拙いという意味で,拙い道である。左については,中国古代名詞では往々にそれを拙い ことと言う,旁門左道はそういう一つの意味がある。

 何故彼は邪法ではないのか?彼も厳格な心性要求があり,彼も宇宙の特性に従って修煉 しており,彼もこの宇宙の特性、宇宙の法則に違反せず,彼も悪事をしないので,彼は邪 法だと言えない。我々のこの宇宙の特性が佛道二家の修煉方法に符合したことではなく, 佛道二家の修煉方法が宇宙の特性に符合して初めて,正法になったのだ。奇門功法の修煉 はこの宇宙の特性に符合すれば,それでは彼は邪法ではなく,同じように正法であり,良 し悪し、善悪を判断する基準は宇宙の特性であるからだ。彼は宇宙の特性に従って修める から,彼も正道のもので,ただ彼の要求特徴は佛道二家と違うのに過ぎない。彼は広く弟 子に伝えることをも唱えず,伝える面積は非常に小さい。道家は功を伝えて,大勢の弟子 を教えるが,その中で一人の弟子だけが真伝のものである;佛家は普度衆生を重んじるか ら,誰でも修められるなら修めるがいい。

 奇門功法は伝承上に於いて二人を選んではならず,相当長い歴史時期に於いて一人を選 定して伝えるので,彼のそのものは従来常人に見られない。勿論気功の高潮の中で,私は この功法の中からも少数の人が出て来て功を伝えたのを発見した。ところが伝え来り伝え 去って彼は駄目だと気が付いた,あるものは彼の師父が根本に彼が伝えることなど許さな いのだ。あなたが功を伝えたいなら,あなたは人を選ぶことができず,来た人は,心性の 高低が違う層次にあるからだ。違う観念を抱いて学びに来たものなど,どんな人もおり, あなたは弟子を選んで伝える方法が無い。だから奇門功法は普及してはならず,危険が起 きやすい,彼のそのものは非常に特別であるからだ。

 ある人は,佛家は佛を修め,道家は真人を修めるが,奇門功法は修成したら何になるか ?と思った。彼は「散仙」であり,彼は固定の宇宙世界範囲が無い。皆さんが知っている ように,如来佛、釈迦牟尼は娑婆世界がある;阿弥陀佛は極楽世界がある;薬師佛は琉璃 世界がある;各如来と大佛は自分の世界を持っている。各大覚者は皆彼自分の組織した一 つの天国を持ち,彼の多くの弟子はその中で生活している。奇門功法は彼は固定した宇宙 範囲が無く,彼はただ「遊神散仙」のようである。