灌頂
修煉界にこの様な事があり,灌頂と言う。灌頂とは佛家密宗修煉方法の一種の宗教形式 である。目的は灌頂をされてからこの人は他の門に入ることができなくなり,この一門の 真正の弟子と認められる。現在どこがおかしいか?練功にもこの様な一種の宗教形式が出 現し,道家功法も灌頂を行い,密宗のみではない。私が言ったように,凡そ密宗の看板を 揚げて社会で密宗功法を伝えるのは全て偽物である。何故こう言えるか?唐密は我が国で 既に千年以上消えて,全く存在しないのだ;藏密は言語の制限を受けて,ずっと完璧的に 漢民族地区に伝わって来ていない。特にそれは密教で,寺院の中で秘密に修煉しなければ ならない,そして師父の密授を得,師父が彼を連れて密修しなければならない。この点ま でできなければ,絶対に伝え出されない筈だ。
多くの人はチベットへ功を学びに行って,人に弟子入れをして藏密を学び,将来気功師 になって,有名になり、金を儲けたいという目的を抱いている。皆さんよく考えて見よう ,真に真伝を得た活佛ラマには皆かなり強い功能があり,功を学ぶ人の心に考えているの は何かを見抜くことができる。彼は何の為に来たのか,その心を見ただけですぐ分かった :ここに来てこのものを学び,出て気功師になって金を儲けて有名になりたく,この一門 の修佛方法を破壊する。こんなに厳粛な修佛法門はあなたが何か気功師になり名利を求め る為に勝手に破壊することを許せるか?あなたはどんな動機であるか?だから決して彼に 伝えてやらず,真伝を得るのは不可能だ。勿論寺院も多いから,僅か表面のものを得るか も知れない。若し心が正しくなく,気功師になって悪事をすると,憑依を招いて来る。憑 依の動物にも功があるが,藏密ではない。本当に法を求める為にチベットに行った人は, 行くとそこに住み込んで戻らないようになるかも知れない,これこそ真に修める人である 。
おかしなことは,今多くの道家功法も灌頂を講じるのだ。道家は脈を歩むもので,灌頂
をして何をするのか?私の知った処では,私は南方で功を伝えたことがあるが,特に広東
の所は割りと多く,十数種のめちゃくちゃな功法は灌頂を講じる。意味は何だろうか?彼
はあなたに灌頂をやれば,あなたは彼の弟子となり,他の功を習えなくなり,他の功を習
うと彼はあなたを懲らしめる,彼はこういう事をするのだ。これは邪道をやることではな
いか?彼が伝えたものは
病健身のものであり,大衆は学んでから
健康な身体が欲しいだけである。これをして何の為であるか?ある人は,彼の功を練った
以上他の功を練ってはいけないと言った。彼は圓満まで人を度することができるか?人の
子弟を誤らせるのだ!多くの人はこういうふうにやっているのだ。
道家はこれを講じないのに,灌頂なんて出て来た。一番酷かったあの灌頂をする気功師 は,彼の功柱がどれくらい高いか?せいぜい二、三階建物の高さであると私は発見した, なかなか有名な大気功師だが,私は功も可哀想に落ちていると思う。何百何千の人が並ん でいて,彼は人に灌頂をやる。彼の功には限りがあり,それくらいしか高くなく,その功 は見る見る内に落ちてしまい,無くなって,また何を以て人に注ぎ入れるのか,それは人 を騙すのではないか?本当の灌頂は,別の空間の中に於いて見れば,人の骨は頭から足ま で白玉のようになる。つまり功、高能量物質で身体を浄化し,全面的に頭から足まで注ぎ 入れる。この気功師にはこの点ができるか?彼はできない。彼は何をするつもりか?勿論 必ずしも皆宗教をやるのではない,目的は彼の功を学べば,彼の人となり,あなたは彼の 班に参加して,彼のものを学ぶ。目的はあなたのその金を手に入れたい,誰も彼のものを 学ばなければ金を儲けられない。
法輪大法の弟子は他の佛家法門の弟子と同じように,「上師」が何度も灌頂をやるのだ が,あなたに知らせない。功能のある人は知っているかも知れないが,敏感な人は感じら れるかも知れない,寝る時或いは何時か突然一陣の熱流が頭上から下りて全身を貫通させ るかも知れない。灌頂の目的はあなたに高い功を加えるのではなく,功はあなた自分自身 が修煉し出したものだ。灌頂は一種の加持方法であり,つまりあなたの為に身体を浄化し ,あなたの身体をより一層整理する。何回も注ぎ入れ,各層次にもあなたを助けて身体を 整理する。修は自分にあり,功は師父にあるので,我々も灌頂という形式を講じない。
一部の人は弟子入りを行うなんて。ここまで言うと,私がついでに言うことがあるが, 多くの人は私に弟子入りしたい。我々の現在のこの歴史時期は中国封建社会と違って,そ こに跪いて額突くだけが弟子入りであると言えるものか?我々はこの形式を取らない。我 々の多くの人はこの様に考えている:わたくしは額突いて線香を立てて佛を拝み,心で敬 虔にすれば功が長じる。私に言わせればそれはおかしな話だ,本当の煉功は全く自分によ って修めるもので,何にお願いしても効き目がない。佛を拝まなくても,線香を立てなく ても,真に修煉人の基準に基づいて修煉して行けば,彼はあなたを見るだけでも非常に嬉 しい。あなたは外で悪事ばかりするなら,あなたが彼に線香を立てて額突くが,彼はあな たを見ただけで気持ちが悪くなる,この道理ではないのか?本当の修めは自分によるもの だ。今日あなたが額突いて,弟子入りをしたが,出掛けると旧態依然になれば,それは何 も役に立たないじゃない?我々は根本的にこの種の形式を取らない,あなたは私の名誉を 傷つけるかも知れない!
我々は皆さんにこんなに多くのものを上げた,全ての人は実に修め,そして厳格に大法 によって自分を要求さえすれば,私はあなたを弟子として取り,あなたは法輪大法を修煉 さえすれば,我々はあなたを弟子として取る。あなたは修めなければ,我々はどうにも仕 方がない。あなたは修めを止めたなら,あなたはその名義だけを残して何の作用があるか ?一期目の学員とか、二期目の学員とか言って,あなたはこの動作だけをやれば我々の弟 子になれるのか?あなたは真に我々のこの心性の基準に従って修煉して初めて,健康の身 体に達することができ,真に高層次上へ行くのに達することができる。だから我々はこれ らの形式を講じず,あなたは修煉さえすれば,我々のこの一門の中の人となる。私の法身 は何でも分かる,あなたが何を考えているのかを彼は全部知っており,何でも彼はできる 。あなたは修煉しなければ彼はあなたに構わないが,あなたは修煉しようとするならあく まで助けてやる。
ある功法の練功人はまだ師父に会ったことがないが,どの方向に向かって額突いて,数 百元を払えばもう良いんだと言われた。これは自己を欺き人を欺くことではないか?そし てこの人は甘じて,これからその功、その人を維持するようになり,他人にも,他の功を 学んではいけないと教える。私はおかしいと思う。またある人は頂を撫でることをしてい る,彼が一度撫でると何の役割を果たすかさっぱり分からない。
密宗の看板を揚げて功を伝えるものは偽物であるばからでなく,あらゆる佛教その一門 を揚げて功を伝えるものは全て偽物である。皆さん考えて見なさい,佛教の数千年来の修 煉方法はそんな形式のもので,誰かが変えるとそれはまだ佛教と言えるのか?修煉方法は 厳粛に佛を修めるもので,そして極めて玄妙なもので,ちょっとでも変えると直ちに乱れ る。功の演化過程は極めて複雑で,人の感覚は何物でもなく,感覚に依って修煉してはい けない。和尚の宗教形式が修煉の方法であり,変えるとその一門のものではなくなる。ど の一門にも主持する大覚者がおり,どの一門でも多くの大覚者を修め出した,誰でも敢え て勝手にその一門の修煉方法を変えない,取るに足りない一人の気功師は,敢えて主を欺 いて修佛の法門を改める何の威徳があるのか?仮に本当に改めることができるなら,それ はまだその一法門であると言えるか?偽りの気功は弁別することができるのだ。