心性を高める

 以前多くの人が心性を守れないため,出た問題がかなり多く,一定の層次までに煉って からもう上がらなくなる。ある人は従来心性が比較的に高いので,煉功している中にとた んに天目が開いて,ある境界の中に到達した。この人の根基は割りと良く,心性がかなり 高いので,彼の功が上がるのもかなり速い。彼の心性の所在位置に到達した時,彼の功も ここにまで長じており,彼が更に彼の功を高めようとするなら,それでこの矛盾も顕著に なり,彼が続けて彼の心性を高めて行く必要がある。特に元より根基が良い者は,彼は彼 のその功の長じることも悪くなく,煉ることもかなり良いと思うが,突然どうしてこんな に多くの厄介の事が来たのか?どうして何でも良くなくなり,他人も彼に親切しなくなり ,上司も彼を嫌うようになり,家庭の環境もかなり緊張して来た。どうして突然こんなに 多い矛盾が出て来たのか?彼自分はまだ悟っていない。彼は根基が良いから,一定の層次 に達して,この様な一つの状態が出現した。処がそこは修煉人が最後に圓満となる規準で あるのか?上へと修めることはまだまだであるよ!あなたは引き付き自分を高める必要が ある。それは自身に持っている僅かな根基が作用をして初めて,あなたはその状態に達す ることができ,更に高めようとしたら,その規準も高めなければならない。

 ある人は言っている:私はお金を多く儲けて,家の方をよく配置しておいて,私は何も 顧みずに,修道に行く。私に言わせるとあなたは妄想だ,あなたは他人の生活に干渉でき ず,他人の運命を左右できず,妻や子供や、父母兄弟の彼らの運命を含めて,それはあな たが言えば決まりだということであるのか?それに,あなたには何も後顧の憂いが無くな り,あなたには何も厄介な事が無くなったとすれば,あなたはどのように修煉するか?楽 々とそこで煉功するのか?そのような事などあるものか?それはあなたが常人の角度に立 って考えたのだ。

 修煉はその磨難の中で修煉しなければならない,あなたは七情六欲を捨て去れるかどう か,淡泊に見られるかどうかを見るわけだ。あなたがそれらのものに執着するだけならば ,あなたは絶対に修めることができない。如何なる事にも因縁関係があり,人は何故人に なれるのか?人の中に情があるものだ,人はこの情の為に生きている,親族の情、男女の 情、父母への情、感情、友情,仕事をするのは情誼を重んじ,至る処この情から離れられ ない,やる気があるかどうか,気分が良いかどうか,愛と恨み,全人類社会の一切は,全 てこの情から出たのだ。この情は切り捨てなければ,あなたは修煉できない。人はこの情 から飛び出したら,誰もあなたを動揺させることはできなく,常人の心はあなたを動かす ことができない,取って代わるのは慈悲であり,より高尚なものである。勿論一遍にこの ものを切り捨てるのは容易ではなく,修煉は一つの長い過程であり,一つの徐々に自分の 執着心を捨てる過程であるといえども,あなたは自分で厳格に自分を要求しなければなら ない。

 我々は一人の煉功人として,矛盾が急に起こるはずだ。どうすれば良いだろうか?あな たは日頃何時も一つの慈悲な心,一つの祥和の心態を保持すれば,問題にぶつかったら上 手く対応できる,それには緩衝する余地があるからである。あなたは何時でも慈悲で,人 に善を為し,どんな事をしても何時も他人の為に考え,問題にぶつかった度に先ず,この 事は他人が受けられるかどうか,他人に傷害のことがあるかどうかと思いつくなら,問題 は発生しない。だからあなたは煉功するには高い基準、もっと高い基準によって自分を要 求しなければならない。

 往々にして一部の人は悟っていない。ある人は天目が開いて,佛が見えた,家に帰って 佛を拝んで,心の中では,あなたはどうして私に構わないか?この問題をご解決願います !とぶつぶつと言っている。佛は勿論構わないのだ,その一難は彼が設けたのであり,目 的はあなたの心性を高め,矛盾の中であなたを向上させるのである。彼はあなたの為に解 決する訳があろうか?絶対に解決してやらないのだ,解決してやるとしたらあなたはどの ように功を長じさせ,どのように心性と層次を高めるか?あなたに功を長じさせるのは肝 要なことである。大覚者の見た所では,人になるのは目的ではなく,人の生命は人になる 為のものではなく,あなたに返らせるだけである。人はどれほど苦しみを嘗めても,彼は 苦しみは多ければ多いほど良い事で,速く借りを返すことができると思い,彼はこの考え 方だけである。ある人は悟らず,佛を拝んでも駄目なら,佛を恨み始める:あなたはどう して助けてくれないか?毎日も線香を立てて額突くのにと。ある人はこの事で,佛像をも 壊して,これから佛を罵るようになった。彼は罵ると,心性も落ちて,功も無くなった。 彼は何もかも無くなった事を知って,更に佛を恨むようになり,彼は佛が彼を害したと思 っていた。彼は常人の理で佛の心性を測っているが,それは測ることができるものか?彼 は常人の規準で高層次上の事を見る,それは行けるものか?だから往々にこの様な事が出 現し,生活の中の苦しみを自分に対する不公平だと思い込み,多くの人がどんどん落ちて しまった。

 数年前多くの大気功師は,かなり有名なものも駄目になった。勿論本当の気功師は皆帰 って行った,彼らの歴史使命を完成して帰って行った。残りの一部だけが誤って常人の中 にいる,心性が落ちたそれらの人はやはり活動しているが,彼は既に功が無くなった。一 部の気功師は以前割りと名望の有った者がやはり社会で活動しているが,彼の師父は彼が 常人の中に落ち,名と利の中に落ちてもう抜け切れず,もう駄目だと見据えて,彼の副元 神を連れて行った,功は全て副元神の身に付いている。この様な典型な例は相当多かった 。

 我々のこの法門の中に,この類の例は比較的に少ない,あるとしてもそれ程目立ったも のではない。心性の向上の方面では,突出した例はとても多い。ある学員は山東省××市 メリヤス工場の者であり,法輪大法を学んでから他の従業員にも煉ることを教えて,その 結果同工場の精神的面目が一新された,メリヤス工場のタオルの切れ端は以前常に家に一 枚持ち帰り,従業員は皆持ち帰った。功を学んでから彼は持ち帰るのを止めたばかりでは なく,家に持ち帰ったものは又持ち返した。他人は彼がこうした事を見ると,誰も取らな くなり,ある従業員は自分が以前持ち帰ったものを工場に返して,工場全体にこのような 事が出現した。 

某市のある輔導站の站長はある工場へ法輪大法を煉る学員の煉ることがどうかを見に行 った,その工場の工場長は自ら彼らと接見して:これらの従業員は貴方達の法輪大法を学 んでから,朝早く出勤し夜遅く帰宅し,こつこつと働き,上司の与えたどんな仕事も文句 無く受け入れ,利益に於いて争う事も無くなった。彼らはこうすると,工場全体の精神的 面目を全部一新させ,工場の経済利益も良くなって来た。貴方達のこの功は大したもんだ ,貴方達の先生は何時来られるのか,私も参加させて貰おうと言った。我々が法輪大法を 修煉する主要な目的は高層次上へ人を連れて行くことで,この様な事をしようとは思わな かったが,しかしそれが社会の精神文明にかなり大きな促進的役割を果たすことができる 。若し一人一人も内心へ探し,誰でも自分がどの様に上手に働くかを考えれば,社会は安 定し,人類の道徳基準も回復すると私は言う。

 私が太原で法を説き功を伝えた時,ある学員は50歳余りで,老夫婦の二人で学習班に 参加しに来た。彼らが街の真ん中を歩いていた時,一台の乗用車が非常に速く走って来て ,乗用車のバックミラーが急におばあさんの衣服を引っかけた。引っかけてから彼女を十 メートルぐらい引いて,「パッ」と地上に投げ捨てた,車が二十メートルぐらい走って初 めて止まった。運転手が車を飛び降りて不満そうに,おい,どうして道を見ないんだと怒 鳴った。現在この人はこういうものだ,問題があったら先ず責任を逃れ,彼と関連かある かどうか問わず他人に押し付ける。車の中に座っていた人が:大丈夫か見て,病院へ送ろ うと言うと。運転手はやっと我に返って,おばあさん大丈夫ですか?怪我はしてませんか ?我々が病院に行って診て貰いましょうかと慌てて言った。その学員はゆっくりと地上か ら立ち上がって,大丈夫です,あなた達は行ってくださいと言った。埃をはらって,主人 を引いて行った。

 学習班に来てから私にこの事を述べてくれた,私もかなり嬉しかった。我々の学員の心 性は確かに向上した。彼女は私に,先生,私は今日法輪大法を学んだからだ,私は若し法 輪大法を学んでいないなら,今日この様に対処する訳はないと言ってくれた。皆さん考え て見よう,定年退職になったし,現在物価がこんなに高く,何も福祉待遇も無くなった。 50歳余りの人は自動車にこんなに遠く引かれて,地に投げ捨てられた。どこが壊れたか ?どこも壊れた,地に腹ばいになって立ち上がらない。病院に行くのか,行こうよ,病院 に泊まってもう出ないのだ。常人ならこの様になるだろう。しかし彼女は一人の煉功人だ から,そのようにしなかった。我々が言ったように,良し悪しは一念に出るのであり,こ の一念の違いが違う結果をもたらす。そんなに年寄りで,常人なら,怪我をしない訳があ りえるか?しかし彼女は擦り傷さえもなかった。良し悪しは一念に出るもので,若し彼女 はそこに横たわって,ああ,私はもう駄目だ,ここも駄目だ,そこも駄目だと言うなら, それで筋が切って骨が折り,半身不随になったかも知れない。幾らお金をやっても,あな たが病院に泊まって後半生は起きられないなら,あなたは気楽になれるか?見物する人も このおばあさんは何故彼からお金を騙り取らないのか,彼からお金を貰おうよと不思議に 思った。現在の人は道徳水準に変形が発生した。運転手はスピード運転だけれと,彼は人 に意識的にぶつかっただろうか?彼は意識的ではないじゃないか?我々の現在の人はこう いうものだ,彼から金を騙り取らないと,見物の人も心の平衡が取れない。現在は私に言 わせると良いことか悪いことか区別することもできない,ある人にあなたが悪事をしてい るのだと教えても,彼も信じない。人の道徳水準に変化が発生したからだ,ある人は利だ けを図り,金さえ儲けられれば,どんな事でもやる。人は自分の為に計らないなら,天地 のちゅう伐を受ける,それが既に座右銘になった。

 北京のある学員は,夕方ご飯を食べてから子供を連れて前門という所をぶらぶら歩いて いる時,宝くじを引くことを宣伝している放送車に出会った,子供は興に乗って,宝くじ を引こうとする。引きたいと言うので,子供に一元をやって引かせたが,二等賞を引いた ,一台の高級の子供用自転車を与えるという,子供は嬉しくて堪らなかった。彼は当時頭 が「ボー」となって,私は煉功人で,このものを求めることができるものか?私はこの不 義の財を得るなら,私は彼に徳を幾ら与えるだろうか?と思い,子供に,我々は要らない よ,我々は欲しいなら自分で買おうと言った。子供は嫌がって:買ってくれと頼んだが買 ってくれないで,自分で引いて当たったのに要らないと言うなんて。泣いたり叫んだりし て言うことを聞かない,仕方がなく,押して家に帰るほかない。帰ってから,考えれば考 えるほど何とも言えない気持ちになってしまった,いっそうのこと彼らにお金を送ろう。 考え直してみると,宝くじがもう引かれたし,彼らに金を送ったら,彼らはそれを分けて しまうだろう?さっぱりと勤め先に送って賛助に出そうと思った。

 幸い勤め先に法輪大法の学員が多くいるし,上司も彼を理解した。若し一般の環境,一 般の勤め先に於いては,あなたは煉功人だとあなたが言えば,宝くじで自転車を得たが, あなたは要らない,金を勤め先に上げて賛助に出したいとあなたが言えば,上司もこの人 は精神に病気があるじゃないかと思うだろう。他人も:この人は煉功で偏差が出て,走火 入魔となったじゃないか?と盛んに議論するだろう。私が言ったように,道徳水準は変形 が発生したのだ。五、六十年代の頃,これは何でもない事で,平常な事だ,誰もおかしい と思わなかっただろう。

 我々が言う,人類の道徳水準に幾ら大きな変化が起きても,この宇宙の特性−−『真 善 忍』は,それは永遠に変わらないのだ。ある人はあなたが良いと言ったが,あなたは 必ずしも本当に良いとは限らない;ある人はあなたが悪いと言ったが,あなたは必ずしも 本当に悪いとは限らず,良し悪しを量る基準も変形が発生したからだ。宇宙のこの特性に 符合して初めてこそ彼は一人の良い人であり,これは唯一の良い悪い人を見る基準であり ,これは宇宙の中に認められたのである。人類社会に何と大きな変化が発生し,人類の道 徳水準が大きく滑り落ち,世の気風が日増しに悪くなり,ただ利だけを図るようになった ものの,宇宙の変化は人類の変化に従って変化することではない。一人の修煉人としては 常人の規準で要求してはいけない。常人がこの事は正しいと言っているから,あなたはそ れに従ってしては,それはいけない。常人が良いと言っても必ずしも良いことではない; 常人が悪いと言っても必ずしも悪いことではない。道徳基準が変形した時代に,ある人が 悪事を働いたら,あなたは彼に悪事をしているのだと教えても,彼は信じない!一人の修 煉人として,宇宙特性によって量って初めて,何が本当の良い事と本当の悪い事かを弁別 することができる。