業力の転化

 「白色物質」と「黒色物質」の間には一種の転化過程がある。人と人との間に矛盾が発 生してから,それには一つの転化過程がある。良い事をしたら白色物質−−徳を得る;悪 い事をしたら黒色物質−−業力を得る。それに又一つの伝承過程があり,前半生で良くな い事をしたせいだろうか?と言う人がいる。全てそうだとは限らない,人が積み重ねたこ れらの業力は一生一世のものではない。修煉界は元神不滅を唱える。若し元神が不滅なら ,彼には彼の生前の社会活動があるかも知れず,それで彼は生前の活動の中で誰かに借り を持ち、誰かを苛め,或いはその他の良くない事をし,殺生などをしたことがあるかも知 れない,それでこの業力を造るようになる。これらのものは別の空間で下へ積み重ねられ ,何時も身についている,白色物質も同じで,一種だけの出所ではない。もう一種の状況 があり,家族の中、先祖も下へ積み重ねられる。昔老人がよくこの様な一句の言葉を言っ た:徳を積もう徳を積もう,先祖が徳を積む;この人が徳を失っており,徳を損なってい る。その言葉は全く正しい。現在常人はもうこの話を聞き入れず,あなたがそれらの若者 に,徳を損なうとか徳に欠けるなどの話を言っても,彼は全く気に掛けない。実際にはそ の意義は確かにかなり深い,それは近代人の思想と精神の基準であるばかりでなく,真の 物質存在であり,我々人間の身体にはこの二種の物質が何れもあるのだ。

ある人は問う:黒色物質が多くなってから,もう高層次上へ修煉できないのか?こう言 ってもいい,黒色物質が多い人であれば,それは悟性に影響を及ぼす。それはあなたの身 体の周囲に一つの場を形成するから,ちょうどあなたを中にして包み,宇宙の『真 善 忍 』の特性と隔絶になってしまう,そのためこの様な人は悟性が良くないかも知れない。他 人が修煉とか,気功とかを言うと,彼は一概に迷信だと見なして,全く信じない,彼はお かしいと思う。往々にしてそうだが,絶対のことではない。この様な人は修煉しようと思 ってもかなり難しく,高く功が長じられないのだろうか?そうでもないのだ。我々は大法 は無辺で,全くあなたのその心によって修め次第だと言う。師父は入門まで連れるが,修 行は個人にあり,全くあなた自分が如何に修めるかに依るものだ。修められるかどうかは ,全くあなた自分が堪忍できるかどうか,払いができるかどうか,苦しみに耐えられるか どうかに決まるのだ。若し思い切ることができれば,どんな困難も阻むことができない, それなら問題がないと私は言う。

 黒色物質の多い人は,往々にして白色物質の多い人より多く払いをしなければならない 。白色物質は宇宙の『真 善 忍』特性と直接同化しているから,彼の心性を高めさえすれ ば,矛盾の中で自分を向上させることができれば,それで彼には功が長じる,すっきりす ることができる。徳の多い人は悟性が高く,苦しみに耐え,其の筋骨を苦労させ,其の志 しを苦しみにする,たとえ身体の面で多く耐え,精神上で少なく耐えても,功を長じさせ ることができる。黒色物質の多い人はそれは無理である,先ずこの様な過程を経なければ ならない:先ず黒色物質を白色物質に転化しなければならない,このような過程だけでも ,極めて苦しい。だから往々に悟性の良くない人は多く苦しみに耐える必要があり,業力 が大きく悟性が低いなら,彼は修煉するのが尚更難しい。

 具体的な一例を挙げよう,彼がどの様に修煉するかを見てご覧。禅定中の修煉は長期的 に座禅をする必要がある,足を組むと痛くなるし痺れる,時間が長くなると心の具合も悪 くなり,酷く悪くなる。其の筋骨を苦労させ,其の志しを苦しみにすれば,身体も辛くな るし,心も辛くなる。一部の人は足を組んで痛みを恐れるから,取り下げて,堅持しよう と思わない。一部の人は足を組む時間が少し長くなると,我慢できなくなる。足を取り下 げると,無駄煉りになる。足を組んで痛くなると,直ちに動かしてそれから又足を組む, これは何も効果もないと我々は見ている。彼の足が痛い時に,我々は黒色物質が彼の足を 攻めているのが見えたからである。黒色物質が業力であり,苦しみに耐え忍ぶことが業を 消すことができ,従って徳に転化する。痛くなるとその業力が下へ消え始める,業力が下 へ圧すればするほど,彼の足が痛くなる,だから彼の足が痛くなるのは理由がないことで はない。往々にして打坐する人の足の痛みは陣痛であり,一頻り痛んで, 非常に辛いが, 過ぎてから又緩み,暫くして再び痛みが始まり,往々にこういう状態である。

 業力は一つずつ消えて行くものだから,一つが消えたら足が少し楽になるが,暫くして 又一つ上がって来て,また痛みが始まる。黒色物質が消えた後,散らばるのではなく,こ の物質も不滅であるから,消えてから直接白色物質に転化する,この白色物質は徳である 。どうしてそれはこの様に転化できるのか?彼は苦しみに耐え,彼自身は払いをし,彼は 苦痛に耐えたからだ。我々が言う,徳は自分が苦痛を受け,苦しみに耐え,良い事をして 得たものであるから,座禅の時にこの問題が起きるはずである。ある人は足が一寸痛くな ると,跳ね下り,動いてからまた足を組むのでは,全く効き目がない。ある人は站 椿をやって,腕を挙げて疲れて,我慢できなくなって,下ろしたが,全然 作用がない。これ位の苦しみは何もならないじゃないか?私に言わせると人は煉功してこ の様に腕を挙げたままで修成できるなら,それは全く容易過ぎるのだ。これは人々が禅定 の修煉に於いて出現した状況である。

 我々のこの法門は主としてこのように歩むのではないが,一部分はこの方面に作用があ る。我々の大多数は人と人との間の心性の摩擦の中で業力を転化させ,往々にしてその中 に現れる。人は矛盾の中に,人と人との間のその摩擦の中に於いては甚だしきに至ってそ の苦痛を超えている。私に言わせれば身体の苦痛は一番耐えやすく,我慢すれば越せるも のだ。人と人との間は互いに暗闘する時,その心は一番把握し難い。

 一例を挙げよう,この様な人がおり,出勤すると彼の悪口を言う二人の話を聞いた,非 常に聞き辛く言われた,それで気が気でなくなった。しかし我々が言ったように,一人の 煉功人としては,殴られても殴り返さず,罵られても言い返さず,高い基準で自分に要求 しなければならない。彼はそれで考えた:先生はもう,我々煉功人は他人と違い,高い態 度を持つべきだと教えられた。彼はその二人と喧嘩をしなかった。処が往々にして矛盾が 来た時,人の心まで刺激しないと,何もならず,効かず,向上は得られない。だから心は 下ろすことができず,気分が悪くなり,人の心を引き起こすことが出現するかも知れない から,どうしても振り返って彼の悪口を言うその二人の形象を見ようとした。振り返って 見ると,その二人が面目表情が憎々しげに,話す真っ最中のところだ,彼は直ちに我慢し 切れず,かんかんになって,すぐ人と喧嘩をするかも知れない。人と人との間に矛盾が起 こった時,その心はなかなか守り難い。全てが打坐中過ぎるなら,それは余程容易になる じゃないか,しかし何時もこうなることではないと私が言う。

 だから今後の煉功の中で,あなたは様々な磨難に遭うはずだ。これらの磨難が無ければ あなたはどう修めるか?皆さんは皆あなたも良いし私も良いということであり,利益上の 衝突が無く,人心の邪魔が無ければ,あなたがそこに座っているだけで心性が向上できる のだろうか?それは駄目である。人は実践の中で本当に自分を錬磨しに行って初めて向上 できる。ある人は:我々は煉功するのは何故何時も厄介な事に遭うのか?常人の中の厄介 な事と大体同じであると言った。あなたは常人の中で修煉するので,彼は突然あなたを頭 を逆さにして,舞い上がらせそこに掛けて,あなたを天上に持ち上げて苦労させるような 事をせず,それはこのことをするはずが無い。皆常人の状態であり,誰かが今日あなたを 苛めたとか,誰かがあなたに怒らせたとか,誰かがあなたに良くなくなり,突然悪口を言 ったとかがあるが,あなたが如何にこれらの問題に対処するかに決まるのだ。

 何故これらの問題に遭うのか?全てあなた自分の借りた業力がもたらしたのであり,我 々は既にあなたの為に数え切れないほど消してやった。ただそれしきを残して各層次の中 に分けて,あなたの心性を高める為に,設けた幾らかの人心を錬磨し、各種の執着心を除 去する磨難である。これは全てあなた自身の難であり,我々はあなたの心性を高める為に それを利用するわけで,何れもあなたに過ごせるようにさせる。あなたは心性を高めさえ すれば,過ごすことができる,あなたは過ごしたくないのなら別だが,過ごそうと思えば 必ず過ごすことができる。だから今後矛盾に遭った時,あなたはそれを偶然だとは見ない でください。矛盾が発生する時,突然に出現するが,偶然に存在するのではなく,それは あなたの心性を高める為なのである。あなたがあなたを煉功人と見なしさえすれば,あな たはそれをうまく処理できる。

 勿論,難、矛盾が来る前にあなたに知らせることは無く,全部知らせたら,あなたは又 何を修煉するか?それも作用が無くなる。それは往々に突然出現して初めて,人の心性を 試練でき,人の心性を真に向上させられる,心性を守れるかどうかを見るのは,これを以 て見分けることができる,だから矛盾が来たのは偶然の存在ではない。修煉の全過程に, 業力の転化上にこの問題が出現するはずで,それは我々の一般人の想像する筋骨を苦労さ せるということよりも遥かに難しい。あなたは功を煉り,少し多く煉り,手を挙げてだる くなり,或いは足が長く立って疲れた,これで功が長じるのだろうか?あなたが数時間余 計に煉れば功が長じるのだろうか?それは本体を転化させる作用しかないが,まだ能量の 加持を必要とし,それは層次を高める作用がない。其の志しを苦しめることこそ真に層次 を高める肝要である。筋骨を苦労させることだけで向上できると言うなら,私に言わせれ ば中国の農民は一番苦しいから,皆大気功師になれるわけだろうか?あなたは幾ら筋骨を 苦労しても彼には及ばず,毎日烈日を冒して畑で働き,苦しくて疲れる,そんなに簡単な 事ではない。だから我々が言ったが,真に向上しようと思うならこの心を本当に高めなけ ればならず,それこそ真に向上することができる。

 業力は転化の過程に於いて,自分に把握させることができ,常人のように事を悪くする ようなことが出現しない為に,我々は平時一つの慈悲の心,祥和の心態を保たなければな らない。突然何かの問題にぶつかった時に,あなたはそれをうまく処理できる。往々にし てあなたの心は何時も情け深くて慈悲なら,突然問題が出現した時,あなたは一つの緩衝 の余地,思考の余地がありえる。心で何時も他人と争い,闘いたいのなら,私に言わせれ ば問題にぶつかるとあなたは直ちに人と喧嘩する,必ずそうである。だからあなたは何か 矛盾に遭ったら,私に言わせればつまりあなた自身の黒色物質を白色物質に転化し,徳に 転化するようになるのだ。

 我々人類は今日という程度まで発展したのは,殆ど誰でも業に業を積み重ねて来たので あり,人の身体に皆相当大きな業力がある。だから往々に業力転化の問題にこの情況が出 現するはずであり,あなたは功が長じると同時に,心性が向上すると同時に,あなたの業 力も同時に消え,同時に転化する。矛盾に遭う時,人と人との間の心性の錬磨の中に現れ るかも知れないが,あなたは忍ができれば,あなたの業力も消え,あなたの心性も向上し ,あなたの功も長じて,それらが一緒に融合している。昔の人は徳が大きく,彼の心性は 本来も高かったもので,ちょっとだけ苦しみを嘗めれば功が長じた。現在の人はこうでは なく,苦しみがあると修めようとしなくなり,しかも益々悟らなくなるので,更に修め難 くなる。

 修煉に於いて,具体的に矛盾に対処する時,他人があなたに良くない時,二種の情況の 存在があるかも知れない:一つはあなたが生前人に良くない事があったかも知れない,あ なた自分は心の平衡が取れず,どうして私にこういうふうに対処するのか?それではあな たは以前どうして人にそういうふうに対処したのか?あなたはその時分からなかった,現 世は前世の事に構わないと言ったが,それはいけない。もう一つの問題があり,矛盾の中 に,一つの業力転化の問題に関わる,だから我々は具体的に対処する時に,高い態度を取 るべきで,常人と同じようにしてはいけない。仕事場の中でも,他の仕事環境の中でも同 じ事であり,個人経営をやっている事でも同じ事で,人と人との間の交際もあり,社会と 接触しないことは不可能である,少なくともまだ隣近所の関係がある。 

 社会での交際の中には,様々な矛盾に遭うはずだ。我々常人の修煉のこの部分は,あな たは幾らお金を持っても,どんなに偉い高官になっても,あなたは個人経営をやり、会社 を経営し,どんな商売をしても構わず,公平に取引をし,心を正しくすべきである。人類 社会の各職業も存在すべきである,人の心は不正であり,どんな職業に従事するかではな い。過去一つの言い方があって,「商人は十人の内,九人が奸商だ」と言うが,これは常 人が言ったことで,私に言わせるとそれは人心の問題なのだ。人の心を正しくし,公平に 商売をし,あなたが多く払いをすれば,多く儲けるべきで,それも常人の中であなたが払 いをして初めて得られたもので,失わないと得られず,労働による所得であるからだ。各 種階層に於いても良い人になれる,異なる階層に異なる矛盾が存在する。高い階層には高 い階層の矛盾があり,いずれも正確的に矛盾に対処することができ,どの階層に於いてど のように良い人となるか,いずれも各種の欲望、執着心を淡泊にすることができる。異な る階層には何れも良い人が体現すことができ,何れも自分のいる階層の中で修煉すること ができる。

 今国内では国営企業でも或いは他の企業の中でも,人と人との間の矛盾は極めて特殊だ 。他の国で,歴史上従来も無かった一種の現象であるので,利益上の矛盾が非常に鋭く見 え,心を探り合って暗闘して,僅かな利益の為に争い,発した思想、使った手段は非常に 悪い,良い人になろうとしてもなかなか難しい。例えばこの人は勤め先に出勤してみたら ,勤め先の雰囲気が変だと気がついた。後である人は,誰々があなたの悪口を言い,上司 の処へ告げ口をしに行って,あなたを鼻持ちならないようにしてやったと教えた。他の人 はおかしな目付きであなたを見ている。一般人なら我慢できるものか?こんな酷い目に遭 うのは考えられるか?遣られたら,こいつを遣っ付ける。奴に後ろ盾があるなら,こっち にもある,互いにやろうぜ。常人の中で,この様にやったら,常人はあなたは強者である と言う。しかし一人の煉功人としては,それは非常に悪いことだ。あなたは常人と同じよ うに争うなら,あなたが常人であり,あなたが彼より意気盛んに争えば,あなたは彼その 常人にも及ばない。

 我々は如何にこの問題に対処するか?この様な矛盾にぶつかった時,我々は先ず冷静に すべきで,彼と同じ対処をするべきではない。勿論我々は善意を以て解釈し,事情をはっ きり言っても構わないが,あなたは執着し過ぎることもいけない。我々はこれらの厄介の 事に遭った時,人と同じように争ってはいけない。彼はこの様にしているから,あなたも この様にするのでは,あなたは常人になったのではないか?あなたは彼と同じように争わ ないばかりでなく,あなたは心から彼を恨んでもいけない,本当に彼を恨んではいけない 。あなたが彼を恨むと,あなたが怒ったのではないか?あなたは忍ができなくなるのだ。 我々は『真 善 忍』を重んじるのだ,あなたは善がもっと無くなる。だからあなたは彼と 同じにしてはいけない,あなたは本当に彼に腹を立ててはいけない,彼は上下に随分あな たを鼻持ちならないようにして,頭も上がらないほどだったが。あなたは彼に腹を立てて はいけないばかりか,あなたは却って心から彼に感謝すべきで,本当に彼に感謝しなけれ ばならない。常人はこう考えるかも知れない:それは阿Qとなったじゃないか?私はあな たに教えよう,そういう事ではない。

 皆さん考えて見てください,あなたは一人の煉功人であり,高い基準であなたに要求す べきではないか?常人のその理であなたに要求してはいけないだろう。あなたは一人の修 煉人であり,あなたが得たものは高層次上のものではないのか?それで高層次の理であな たに要求しなければならない。あなたは彼と同じようにやれば,あなたは彼と同じように なったのではないのか?ではどうして彼に感謝するのか?あなたはあなたが得たのは何か を考えてください,この宇宙の中には,失わない者は得られず,得るには失わなければな らないと言う理がある。彼は常人の中であなたを鼻持ちならなくしたので,彼は得る方で ,彼はうまいことをしていた。彼はあなたを鼻持ちならなくすればするほど,酷く騒げば 騒ぐほど,あなた自分が耐えたのは大きくなり,彼が損なった徳は多くなる,これらの徳 は全部あなたに与えた。同時にあなた自分が耐える時,あなたは心を非常に淡泊し,それ を心に掛けていないかも知れない。

 この宇宙の中にはもう一つの理がある:あなたが大きな苦痛を受けたので,あなた自身 の業力も転化される。あなたが払いをしたからであり,耐えはどれくらい大きければ,転 化もどれだけ大きくなり,全部が徳に変えられる。煉功人はこの徳を必要とするのではな いだろうか?あなたは二得になるじゃないか,業力も消えた。彼はあなたにこの様な環境 を造らなければ,あなたがどこで心性を高めるか?あなたも良いし私も良い,和気あいあ いにそこに座っていて功が長じるものか,そんな事はありえるのだろうか?彼はあなたに この様な矛盾を造って,この様な心性を高める機会を造ったからこそ,あなたはその中か ら自分の心性を高めることができたのであり,あなたのこの心性は長じて来たのではない か?三得である。あなたは一人の煉功人であり,あなたの心性が上がるとあなたの功も上 がるのではないか?一挙四得である。あなたはどうして人に感謝すべきではないか?あな たは本当に心から人に感謝しなければならない,確かにそうである。

 勿論彼の出した心は良くないもので,そうでなければあなたに徳を与えるはずはない, しかし彼は確かにあなたの為に一つのあなたの心性を高める機会を造ってあげた。つまり 我々は心性の修煉を重んじなければならず,心性を修煉すると同時に業力を消して,徳に 転化してこそ初めて,あなたは層次を高めることができる,これは相い補い相い成す事で ある。高層次で見れば,この理も皆変化が発生した。常人はこの事を見て分からない,あ なたは高層次上でこの理を見ると,全体にも変化が発生した。常人の中であなたはこの理 を見て正しいと思うが,それは真に正しいことではない。高層次上で見て初めて真に正し いのである,往々にしてそうなのである。

 理については私は皆さんに透徹にして述べてあげたが,今後の修煉の中で,皆さんが自 分を一人の煉功人として,真に修煉するよう望む,この理はここに置いたからだ。一部の 人は,彼が常人の中にいるので,彼は常人のその確実な物質利益がそこに置いてあるから ,やはりそれが実益だと思う。常人の大きな流れの中で,彼はやはり高い基準で自分を要 求できない。実は,一人の常人の中の良い人になるのは英雄模範人物を手本とすることが でき,それは常人の手本である。あなたは一人の修煉者になるには,全くあなた自身のそ の心によって修め,全くあなた自身によって悟り,手本は無いのだ。幸いな事に『大法』 は我々が今日言い出した,過去あなたが修めようと思っても,講じる人はいなかった。こ うしてあなたは大法に従ってやるなら少し良くやれるかも知れない,修められるかどうか ,行けるかどうか,どの層次まで突破するか,全くあなた自分によるものだ。

 当然,業力の転化形式も完全に私が先程言ったようなものではなく,他の方面にも現れ るはずだ。社会にも,家庭にも現れる。街を歩いているところ,或いは他の社会環境の中 でも,厄介な事に遭うかも知れない。常人の中で放下できない心は,全てあなたに放下さ せなければならない。あらゆる執着心は,あなたは有る限り,各種の環境の中でそれを磨 滅させなければならない。あなたを転ばせて,その中から道を悟らせる,取りも直さずこ のように修煉して来たのだ。

 比較的典型なのはまたこういう様な情況がある:我々の多くの人は修煉過程中で,往々 にあなたが煉功する時,配偶者の方は気持ちが特別に悪くなり,あなたが煉功すると,あ なたと喧嘩する。あなたが他の事をしては,彼は構わない。あなたは麻雀をやってどんな に暇取っても,彼も喜んでいないが,煉功程ではない。あなたは煉功して彼に悩ませるこ とも無く,身体を鍛えることができるし,彼にも影響が無い,何と良い事だろう。しかし ,あなたは煉功すると,彼はあなたとパタパタと叩いたり喧嘩したりする。ある人は煉功 のため,夫婦二人が離婚しようとする程まで喧嘩した。多くの人はどうしてこの様な情況 が起こったのか考えていなかった。その後あなたは彼に,私が煉功していてあなた何故こ んなに怒ったのかと聞くと,彼は何も言えず,本当に何も言えない:そうだ,わたしもそ んなに怒った訳も無いのに,その時なんとなく酷く怒ったのだ。実際はどういう事だろう か?煉功すると同時に,業力が転化され,失わない者は得られず,失ったものは悪いもの だ,あなたは払いをしなければならない。

 家の門に入ると,配偶者は真っ向こうから怒鳴りつけて来るかも知れず,あなたは耐え られるならば,あなたの今日の功は無駄煉りになっていない。ある人は煉功は徳を重んじ るべきだと分かっているので,彼の配偶者とは日頃仲が良いが。平素何でも俺の言うとお りにしてやるのに,今日は彼が俺の背中に乗り掛かって来たかと思うと。怒りを堪えられ ずに,彼と喧嘩をした,これで今日又無駄煉りとなった。その業力がそこにあるから,彼 はあなたが消すのを助けたがあなたは受け入れず,人と喧嘩をして,消すことができなか った。この様な事は沢山あり,我々の多くの人もこの状況に遭ったことがあるが,どうい う訳かよく考えていない。あなたが別の事をするなら彼はあなたに干渉しないが,本来良 い事であるのに,彼は却って何時もあなたに盾をつく。その実はあなたが業を消すのを助 けるのだが,彼自分は分かっていない。彼は表面だけあなたと喧嘩したが,心ではあなた に優しいということではない,こうではないのだ,真に心から怒っているのだ。業力が誰 かの所に落ちたら誰かが苦しくなり,絶対こうであるのだ。