憑依

 我々の多くの人は修煉界に於いて動物、狐 鼬 鬼 蛇などのものが憑依する事を聞い たことがあるかも知れない。一体どんな事だろうか?ある人は煉功すれば特異功能を開発 すると言っていたが,実際は特異功能を開発することではなく,その特異功能は人の本能 である。人類社会の前への発展に従って,人は益々我々のこの物質空間の有形の物に目を 付け,いよいよ我々の現代化の工具に依頼するようになったので,我々人間の本能が益々 退化し,しまいにこの本能を完全に無くしてしまったのに過ぎないのだ。

 功能を得ようとするには,修煉を通じて,「返本帰真」にし,それを修めて出て来るよ うにしなければならない。動物にはこんなに複雑の思想が無いので,それは宇宙特性と通 じるのであり,それには先天の本能があるのだ。ある人は動物が修煉でき,狐が丹を煉り ,あの蛇なども修煉できると言っていた。それが修煉できることではなく,初期にそれも 煉ることなんか全然分からず,唯それには先天のその本能があるだけだ。それでは特定の 条件の下で,特定の環境の下で,時間が長くなると効果が発揮され,それは功を得られ, まだ功能が出現できる。

 こうして,それでそれは腕があるようになった,我々は過去霊気を得た,腕があったと いう事を言った。常人の目では,動物は如何にも強く,容易く人を左右できる。実は私に 言わせると大したものではない,真の修煉者の前に於いては,それは何も成らない,それ は千年か八百年修めたが,一本の小指で捻るにも及ばない。我々が言ったように動物には この先天の本能があり,それは腕を振るうことができる。しかし我々のこの宇宙の中にま た一つの理がある,つまり動物の修成を許さない。だから皆さんが見た古書には,数百年 ごとに一度それを殺し,一大劫とか一小劫とかといった事が書いてある。動物は一定の時 間になると功が伸びるから,それを消滅し,雷が落ちてそれを打つなどで,それの修煉を 許さない。それが人の本性を備えていないので,それは人のように修煉できないのであり ,人の特徴を備えなければ,それが修成したら必ず魔となるので,それの修成を許さない ,だから天の罰を受け,それもこの一点が分かっている。処が私が言ったように,人類社 会が今大いに滑り落ちつつあり,ある人は悪事の限りを尽くして,この様な状態になった 時,人類社会は危ないのではないか?

 物極まれば反転する!我々は人類社会が史前時期の毎回の不同の周期に壊滅された時は いずれも人類が道徳の極めて悪くなった情況の下にあって発生したのだと発見した。今我 々人類の生存する空間と多くの他の空間は,何れも一つの極めて危険な境地にあり,この 層次の中にある他の空間も同じで,それも急いで逃げようとし,それも高層次上へ上がろ うと思い,層次を高めたらそれは逃げられると思う。しかし口で言うほど容易なことであ るか?修煉しようとするには,人体が無ければ成らない,だから練功人が出現された,憑 依されるのはその中の一つの原因である。

 ある人は考えていた,何故こんなに多くの大覚者,こんなに多くの高い功夫のある師父 は構わないのか?我々のこの宇宙の中にまた一つの理があり:あなた自分の求めるもの, あなたの欲しがるものは他人が干渉したくない。我々はここで皆さんに正道を歩むように 教え,それと同時にあなたに法を透徹にして説き,あなた自分で悟るようにするが,勉強 するかどうかはやはりあなた自身の事である。師父が入門まで連れて行くが,修行は個人 によるものだ。あなたに強いて,無理やりに修めさせる人はいない,修めるかどうかはあ なた個人の問題である,つまり,あなたがどの道を歩むか,あなたが何を求めるか,あな たが何を得ようとするか,誰もあなたに干渉せず,ただ善を薦めるだけである。

 ある一部の人は彼が煉功しているように見えるが,実は全部憑依に得られたのだ。何故 憑依を招いたか?全国の各地で功を練る人では,背後に憑依が憑いている人はどれくらい いるか?言い出すと多くの人は敢えて煉功しなくなり,その数は相当に恐ろしいのだ!何 故こういう状態が現れたか?これらのものが常人社会を撹乱している,どうしてこんなに 酷い現象が現れたのか?これも人類自身が招いたもので,人類は堕落しており,至る所に も魔があるからだ。特にそれらの偽気功師の身体には皆憑依があり,彼は功を伝えるのは このものを伝えるのだ。人類の歴史上に動物が人体に憑くことは許されず,憑いて来たら それを殺さなければならなかったし,誰でもそれを見たら許さなかったのだ。しかし我々 の現今の社会に於いてはある人はそれを求め、それを欲しがり、それを供えている。ある 人は,俺は明確にそれを求めていないよ!と言っているが,あなたはそれを求めていない があなたは功能を求めていた,正法修煉の覚者はあなたに与えられるものか?求めるとい うことが常人の執着であり,この心は除去するべきである。では誰が与えられるか?他の 空間の魔と各種の動物だけが与えられる,それはそれに求めることと同じではないか?そ れがそれでやって来るのだ。

 正しい考えを持って練功する人はどのくらいいるのか?煉功は徳を重んじるべきで,良 い事をやり,善を為し,何処でもどんな事でもこの様に自分を要求しなけばならない。公 園で煉るのでもよし,家で煉るのでもよし,このように考えている者は何人いるか?ある 人はどんな功を練っているか知らないが,練りながら,ゆらゆら揺れて,口では喋ってい る:ねえ!うちの嫁は私に孝行しない;姑は,随分だわ!ある人はまた職場から国家の大 事まで喋り,彼が喋り及ばないことは無く,彼個人の観念に合わないことだと腹が立って 仕方がない。これは煉功だと言えるだろうか?ある人は練功して站椿 を練って,疲れて足も震えるほどだが,彼の頭は休んでいない:今の品物の値段はな かなか高い,物価がまた上がった,我々の勤め先から給料の支払いをしてくれない,私に はどうして功能を練り出せないのか?俺が功能を練り出したら,俺も気功師になる,俺も 金持ちになる,俺も他人の病気を治療して金を儲ける。彼は他人に功能が出たことを見る と,彼が更に焦るようになり,彼はひたすら功能を追求し,天目を追求し,病気治療でき ることを追求する。皆さんが考えて見よう,これは我々の宇宙の中の特性,『真 善 忍』 とどれほど掛け離れているのか!全く背離しているのだ。厳重に言えば,彼は邪法を練っ ているのだ!しかし彼は意識的にやるのではない。彼はこう考えれば考えるほど,出した 意念が悪くなる。この人は彼は法を得ず,彼は徳を重んじることを知らず,練功は手法を 通じるだけに功を練り得り,彼は何か貰いたいなら求め得ると思い込んだのだ,彼はこう なのだと思っている。

 自分の思想が不正だから,良くないものを招いて来た。あの動物は見極めていた:この 人は煉功を通じて儲かろうと思っている;その人は有名になりたく,功能を得ようと思っ ている。すごいなあ,彼のこの身体は悪くなく,身体に付いているものも良く,ただ彼の 思想が大変悪くて,彼が功能を追求しているのだ!彼に師父がいるかも知れないが,でも 彼に師父がいても俺は恐れない。正法修煉の師父は彼がこんなに功能を追求しているのを 見たら,追求すればするほど功能を与えず,それは丁度捨てさせるべき執着心であるとそ れが知っている。彼はこの考えを持てば持つほど,彼に功能を与えず,彼は悟らなくなり ,追求するほど考えは悪くなる。最後にその師父は嘆息し,この人はもう駄目だと見て, 放って置いた。ある人は師父がいないが,通りすがりのものがちょっと世話を焼くかも知 れない。各空間に覚者が随分多いからだ,その覚者はこの人を見ると,彼を見て見ようと 思って,彼に一日中付き合って見たが駄目だと思って,離れて行った;明日になってもう 一人やって来たが,この人を見ると駄目だと思って,また離れて行った。

 動物は,彼に師父がいようと,通りすがりの師父がいようと,彼の追求しようとするも のを,彼の師父は与えられないことを知っている。動物は大覚者の所在の空間を見られな いから,それも恐れず,それは隙に付け込んだ。我々宇宙の中にこういう一つの理があり ,彼自身が追求し,自分が手に入れようとするのなら,他人は一般に干渉できないから, それはこのような隙に付け込んだ:彼は求めるなら,こっちから与えよう,彼を助けるこ とは間違いではないだろう?それは与えるのだ。それは最初敢えて憑かず,少しばかり功 をやって見ることにした。彼はある日突然本当に功を追求して得た,病気も治療できるよ うになった。それが見て良かったと思って,まるで演奏した楽曲のように前奏をした:彼 が欲しがっているから,それじゃ憑いてやろうか,憑けば多く与えられ,気持ち良く与え られる。お前は天目が欲しいんだろう?今度は何もかもお前に与えて,それが憑いてやる のだ。

 彼のその追求の思想は,これらのものを追求しているところに,天目が開かれ,功を出 すことができ,小さい功能も出た。彼はそれで嬉しくて堪らなく,彼は自分が遂にこのも のを追求して得て,練り上げたと思ったが,実際には,彼は何も練り上げていない。彼は 人体を透視でき,人の身体のどこに病気があるか見られると思うが,実は彼の天目は全然 開いていず,あの動物が彼の大脳を制御し,あの動物は自分の目で見てから,彼の大脳に 反映させるから,彼は自分の天目が開いたと思ったわけだ。功を発したいか,発しなさい ,彼は手を伸ばして功を発する時,その動物の足も彼の身体の後ろから伸ばして来る;彼 は功を発する時,その小さい蛇の頭が舌を吐きながら,その病巣、出来物の所をぺろぺろ と嘗める。こういった類のものはかなり多く,これらの人の憑依は皆彼自身が求めて来た のだ。

 彼が追求し,彼が儲かろうとし,名を売りたいからだ。よし,この功能もあったし,病 気を治療できるようになったし,天目が見えるように成ったと,これで彼が喜んだ。動物 は見て,お前が儲けたいと思っているのか?よし,俺が儲けさせてやろう。一人の常人の 大脳が制御されることは極めて容易にやれる事である。それは多くの人が彼の所へ病気治 療に来るように制御でき,多いに来させる。すごいなあ,彼はこっちで病気を治療しなが ら,そっちでは,それは新聞社の記者に指図をして新聞で宣伝させる。それは常人を制御 してこれらの事をしている,病気治療に来た人が金を少なく払ってもいけない,頭痛を酷 くさせ,所詮あなたは金を多く払わなければならない。名と利とも収穫があり,儲かった し,名も売れたし,気功師にもなった。往々にこれらの人は心性を重んじず,どんな事で も敢えて口にする,天は一番だと言うなら俺は二番目だぞ。彼は「王母」、「天帝」が下 界に下りたのだと彼は敢えて言え,彼は彼が佛であると敢えて言える。彼は真に心性の修 煉を経たことがないから,彼は功を練るのが功能を追求し,その結果動物の憑依を招いた のだ。

 ある人はこう考えたかも知れない:これは何も良くないことはない,何しろ金儲けでき れば金持ちになれれば良いのだ,その上に名も売れるのだ,少なくない人はこういうふう に考えている。私は皆さんに教えよう,実はそれは目的があるわけで,それは謂れもなく あなたに与えるはずはない。この宇宙の中に一つの理があり,失わない者は得られないと 言う。それは何を得ようとするのか?私が先程この問題を述べたではないか?それはあな たの身体のその僅かな精華を得て人の形を修成しようとし,それは人体から人の精華を採 集する。処が人体の精華は一部しかなく,修煉しようと思うなら,この一部のものしかな い。それに得られたら,あなたは修煉なんか考えても始まらず,そうなるとあなたはまだ 何を修煉するか?あなたに何もかも無くなったら,あなたは根本に修煉できなくなる。あ る人はこう言うかも知れない:私も修煉などはしたくない,私は金儲けだけを考え,金さ えあれば良い,後は知らないのだ!私は皆さんに教えよう,あなたは儲かりたいと思って いるが,私はこの道理を言い出して置けば,あなたはこう考えなくなるかも知れない。何 故だろうか?それがあなたの身体を早く離れれば,あなたが四肢無力になる。これから, 一生涯もこの有り様になり,人の精華がそれに随分多く取られたわけだ;それが若しあな たの身体を遅く離れれば,あなたは植物人間となり,後の半生は息はあることはあるがベ ッドで寝るしかない。あなたはお金があっても使えるものか?有名になってもあなたは楽 しむことができるものか?恐ろしいではないか?

 この様な事は現今功を練る人の中では極めて目立っており,とても多い。それは身体に 憑くばかりでなく,人の元神を死なせて,それが人の泥丸宮の中に潜り,そこでしゃがん でいる。見た目には彼は人間みたいが,しかし彼は人間ではない,今ではこんな状況もが 出現した。人類の道徳水準は変わったからだ,ある人は悪事を働いているが,あなたは彼 に悪事をしているのだと教えても,彼は信じない。彼は金を稼ぎ、金を追求し、金持ちに なるなど,それは当たり前の事だ,それは正しい事だと思う,だから他人を傷害したり, 他人を損害したりし,お金の為に悪事の限りを尽くし,どんな事でも彼が敢えてやる。そ れは失わなければ,それは得られないのだ,それは謂れも無くあなたにものを与えること ができるか?それはあなたの身体のものを得ようとする。勿論我々が言ったように,人は いずれも自分のこの観念が正しくなく,心が不正だから厄介な事を招いた訳だ。

 我々は法輪大法を説いている。我々のこの法門を修煉して,あなたが心性をよく把握さ えすれば,一の「正」が百の「邪」を圧することができるから,あなたには如何なる問題 も発生することはない。あなたは心性をしっかり把握できなければ,あなたはこれも追求 し,あれも追求していては,必ず厄介な事を招くのだ。ある人はどうしても以前練ったそ れらのものを放下できない,我々は修煉は専一にしなければならない,真の修煉は専一に しなければならないと言う。ある気功師は本を書いて出しているが,私があなたに教えて おくのはその本の中には何でもあり,彼の練るものと同じで,それは蛇であり,それは狐 であり,それは鼬である。あなたがそれらの本を読むと,これらのものは字の中から飛び 出て来る。私が言ったように,この偽気功師は本当の気功師より数倍多く,あなたもはっ きり見分けられないから,皆さんはしっかり把握しなければならない。私はあなたに是非 「法輪大法」を修めろと言っているのではなく,あなたはどの門を修めても構わない。し かし過去にこういう一句の言葉があり:千年正法を得ずとしても,一日野狐禅を修めない 。だから,必ず把握し,真に正法を修煉し,如何なるものを混ぜ入れて修めてもならず, 意念でも入れてはならない。ある人は法輪が変形した,何故変形したのか?彼は私があの 功を煉っていないのに?と言ったが,彼は煉功すると,彼の意念は中に彼の元のものを加 え,それで入れ込んだのではないか?憑依の問題について,我々はこれ位だけ言う。