返修と借功
ある人は煉功したことがなく,或いはどこどこの気功学習班で一寸ばかり習ったが,そ
れは皆
病健身に属するもので,何の修煉というものでもない。つ
まり,これらの人は彼が真伝を得たことがないが,彼には突然一夜で功が付いて来た。我
々はこの種の功がどのように来たのか,何種類の形式があるかについて話す。
一つは「返修」に属する。返修とは何か?つまり我々の一部の人は年を取って修煉しよ うと思うが,初めから修めるならもう間に合わない。気功の高潮の中で彼も修煉したい, 彼は気功は他人の為に良い事をやり,同時に自分も向上を得られることが分かるので,彼 はこのような願望があり,向上したい,修煉したい。しかし数年前の気功高潮の時,それ らの気功師は皆気功を普及するのであり,高層次のものを真に伝える人はいなかった。今 日まで,真に公開的に高層次上で功を伝えることは,私一人だけがやっており,他に一人 もいない。凡そ返修する者は,いずれも50歳以上の,わりと年寄りの人で,根基が非常 に良く,身体に付けているものもかなり良く,殆ど人の取りたい弟子,伝承する対象ばか りである。しかしこれらの人は年を取ったから,修めようとしても,容易なことではない !どこで師父を捜すか?けれども彼は修煉しようと,この心でこう思うだけで,金のよう に光って,十方世界を震動させる。人々はよく佛性佛性と言っているが,つまりこの佛性 が出たことを指すのである。
高層次で見れば,人の生命は人となる為のものではない。人の生命は宇宙空間の中で生 まれたのであり,宇宙の『真 善 忍』特性と同化したのであり,その性は生まれつき善で 、善良である。しかし生命体が多くなってから,彼も一種の社会の関係が生じ,それでそ の中の一部の人は利己又は悪くなったので,かなり高い層次上にいられなくなって,下へ 落ち,一つの層次に落ちる。この層次で彼はまた悪くなり,更に下へ落ち,下へ落ちて, 最後に常人のこの層次にまで落ちてしまった。この層次に落ちたら,人を徹底的に廃滅さ せるはずだが,大覚者達は慈悲に出て,一番苦しい環境の中で人にもう一回機会を与える ことにして,この様な一つの空間を造った訳だ。
他の空間にいる人には皆このような身体が存在せず,彼は舞い上がれるし,彼はまだ大 きくなったり、小さくなることができる。この空間で人にこのような一つの身体,我々の この肉身を持たせた。この身体があってから,寒くなったらいけない,暑くなったらいけ ない,疲れたらいけない,飢えたらいけない,所詮苦しいことだ。病気に罹ったらあなた が苦しくなり,生老病死になり,あなたにこの苦しみの中で業を返させ,あなたが返すこ とができるかどうかを見て,もう一度あなたに機会を与えた訳だ,だから人が迷いの中に 落ちた。この中に落ちてから,あなたにこの双眼を造ってやり,あなたに他の空間を見さ せず,物質の真相が見えない。あなたが若し返すことができれば,一番苦しいことも最も 貴重であり,迷いの中で悟りによって元へ修めることは苦しみも多く,返すのも速い。あ なたは更に悪くなれば,生命が壊滅されるのだから,彼らの見るところでは,人の生命は ,人となることが目的ではなく,あなたに「返本帰真」させ,返させるのである。常人は この点を悟れず,常人は常人社会の中に於いて,何と言っても常人であり,どうすれば発 展できるか,どうすれば気楽に暮らせるかを考えるばかりだ。彼は気楽に暮らせば暮らす ほど,彼が利己的になり,占有しようとするようになり,彼は宇宙の特性に悖り,彼が滅 亡に向かって行くことになる。
高層次上ではこの様に見ているのだ,あなたは前に向かって進んでいると思っていたが ,実際は後退している。人類は科学を発展しているし進歩していると思っているが,その 実は宇宙の法則に従って進んでいるに過ぎない。八仙人の「張果老」が後ろ向きに驢馬に 乗ったが,彼が何故後ろ向きに驢馬に乗ったのかを知る人はかなり少ない。彼は前へ行く 事が後退であると気付き,彼は後ろ向きに乗ることにした。だからある人は修煉しようと 思うと,覚者達はこの心を極めて貴重だと見て,無条件で助けてやる。我々の今日ここに 座っている学員も同じだが,あなたが修煉しようとするなら私は無条件であなたを助ける ことができる。しかし一人の常人として,あなたは病気治療を願い,これを求めたい,あ れを求めるなら,駄目だ,あなたを助けるわけにはいかない。何故だろうか?あなたが常 人になりたいからだ,常人には生老病死があるのは当たり前のことで,そうであるべきだ ,一切のことは皆因縁関係があるのであり,乱してはいけないのだ。一人の人としてあな たの生命の中に本来修煉というものが無いが,今あなたは修煉しようと思うから,それで 新たにあなたの為にこれからの道を手配するべきで,あなたの身体を調整することができ る。
それでは人は修煉しようとするなら,この願望が出ると,覚者達は見て取り,なかなか 貴重だと。しかしどの様に助けてやれば良いのか?世間には教える師父がどこにいるか? それに50歳過ぎた人だから,大覚者達が教えるわけにはいかない,彼は若しあなたに顕 現して教え,あなたに法を説き、功を教えるならば,それは天機を漏らすことになり,彼 も落ちてしまう,人が自分で悪い事をしたので迷いの中に落ちて来た以上,迷いの中で悟 りながら修めなければならないから,覚者は教えてやることができない。生き生きとした 佛があなたに法を説き,功を教えていることを見て,許すことのできない十悪を犯した人 も習いに来て,誰でも信じてしまう,それではまだ何を悟るのか,もう悟りの問題が存在 しなくなる。人が自分で迷いの中に落ちたので,壊滅されるべきであるが,あなたにこの 迷いの中であなたに返させる機会を一回与えた。戻れれば戻り,戻れなければ,引き続き 輪廻と壊滅される。
道は自分で歩かなければならない,あなたは修煉しようと思うならどうすれば良いのか ?彼は一つの方法を考え出した,当時気功には高潮が出現したが,これも一種の天象の変 化である。この天象に呼応する為に,人が彼の心性の所在の位置により彼に功を加え,彼 の身体に一種のソフトパイプを据え付け,水道の蛇口のように,開けてからそれが出て来 る。彼は功を出したければ功は来るが,彼は功を出さなければ,彼自身にはまだ功が無い ,こういう状態であるが,これは「返修」と言い,上から下へと圓満に修める。
我々の一般の修煉は,下から上へと修め,ずっと開功し圓満に修めるまで続く。いわゆ る返修は,年を取って下から上へと修めて行くのでは間に合わないから,彼は上から下へ と修めるなら速くなれる,それも当時に生じられた一種の現象である。このような人は彼 の心性が高くなければならない,彼の心性の位置により彼にそれなり大きな能量を加えた 。目的は何か?一つは当時の天象に呼応するためであり,この人が良い事をすると同時に ,彼は苦しみを受ける。常人に直面しているので,各種の常人の心は皆あなたを邪魔して 来る。ある人はあなたが彼の病気を治したが,彼もあなたを理解できない,あなたは彼の 病気を治療する時にどれくらいの悪いものを無くしても,どの程度まで治しても,当時必 ずしも顕著な変化があるとは限らないが。しかし彼は気分が悪くなり,あなたに感謝しな いばかりか,騙されたとあなたを罵るかも知れない!これらの問題に直面して,あなたの 心をこの環境の中で錬磨させる。彼に功を与えた目的は彼に修煉させ,上へと向上させる 為である。良い事をすると同時に自分の功能を開発し,自分の功を長じさせるが,一部の 人はこの道理が分からない。私が言ったのではないか?彼に法を説いてはいけない,悟る ことができれば悟る,それは悟りの問題であり,悟ることができなければ仕方が無い。
一部の人は功が来た時,突然ある日の夜寝るころ暑くて堪らなく,布団も要らないほど だった,朝起きて触るところで感電した。彼は功があったと分かった,誰かの体のどこか が痛かったら,触れて見れば悪くは無く,効き目が出た。彼はこれから功が来たと分かっ て,気功師になり,看板を揚げ,彼自分は自分に気功師を任命してやりはじめた。初めの 時,この人は悪くなく,彼は人の病気を治してやったら,人は彼にお金,何かの物を上げ ても,彼は受け入れず,拒絶したかも知れない。しかし常人という「染め物がめ」の中で 汚染されることに耐えられない,このような「返修」の者は真に心性を修煉することもな く,自分の心性を把握することが非常に難しい。小さいお土産を受け取る事から,だんだ んと大きな物も貰うようになり,しまいにくれても少ないならやらないのだ。最後に彼は ,物品を沢山くれても意味が無いから,それより現金をくれと言うのだ!金を少なくくれ たらやってあげないようになった。正伝の気功師にも彼が信服せず,腕が上手などと褒め る話が彼の耳に一杯入った。誰かが彼を良くないと言えば,彼は気が気でなく,名利心が 全く出て来た,彼は彼が他人より立派で,大したものだと威張る。彼は彼にくれたこの功 は,彼に気功師にならせ,金持ちにならせると思っていたが,実際は彼に修煉させるので ある。名利心が出ると,彼の心性は実際に落ちてしまった。
私が言ったように,心性がどれくらい高くなると,功もどれほど高くなる。落ちたら功
もそれほど大きく与えられなくなり,心性に見合って与え,心性がどれくらい高ければ,
功もどれほど高い。この名利心が重ければ重いほど,常人の中でひどく落ち,彼の功も従
って落ちてしまう。最後にすっかり落ちてしまった時,功も与えなくなり,何の功も無く
なった。数年前少なくないこのような人が現れたが,50代の婦人がわりに多く見られた
。その老婦人は彼女が練功しているが,何の奥伝も得たことが無く,どこかの気功班で幾
つかの
病健身の動作だけを習ったかも知れないが,ある日に突然
功が出た。心性が悪くなり,名利心が出ると落ちてしまい,その結果今何も無くなり,功
も無くなった。今この返修で落ちた者はかなり多く,残った者は僅かしかいない。何故だ
ろうか?彼女はこれは彼女に修煉させることだと知らなかった,彼女は彼女に常人の中で
儲けるとか、出世するとか,気功師になるなどをさせるのだと思っていたが,実際は彼女
に修煉させるためのものなのだ。
借功とは何か?これには年齢の制限は無いが,一つの要求がある,つまり心性が特別に
良い人でなければならない。彼は気功は修煉できると分かり,彼も修煉しようと思う。こ
の心は修煉しようと思うが,どこで師父を捜すか?数年前確かに真の気功師が功を伝えた
が,彼らが伝えたのは全て
病健身のもので,高層次上へ伝える人
もいないし,教えようとする人もいなかった。
借功を言うと,私はまた一つの問題を話したい,人は彼の『主元神』(主意識)の外に ,まだ『副元神』(副意識)がおる。ある人は副元神が一つ、二つ、三つ、四つおり,五 つのもおる。この副元神は彼の性別とは必ずしも一致せず,あるのは男で,あるのは女で ,皆違うのだ。実は主元神も肉身とは必ずしも一致するとは限らない。我々は男性であり ながら元神が女性であり,女性でありながら元神が男性であるケースがすこぶる多いこと を発見し,ちょうど現在道家の言う「陰陽反背」、「陰盛陽衰」の天象に符合する。
人の副元神の層次は往々にして主元神より高く,特に一部の人は,彼の副元神の来た層 次がとても高い。副元神は憑依ではなく,彼はあなたと同時に母胎から生まれたのであり ,あなたと同じ名前と呼び,皆あなたの身体の一部分である。日頃人々は問題を考え,事 をするなどは,主元神が決める。副元神は主に人の主元神ができる限り悪いことをしない ように制御するが,主元神が非常に執着している時副元神も仕方がない。副元神は常人社 会に迷われず,主元神は常人社会に迷われがちだ。
ある副元神は来た層次がかなり高く,もう少しの所で正果を得られるかも知れない。副 元神が修煉しようと思うが,主元神は修煉したくなければ仕方が無い。ある日主元神も気 功の高潮の中で,功を勉強し,高層次上へ修煉しようと思った,勿論その思想はかなり素 朴で,名利などのものを追求するつもりは無い。副元神はそれで喜んだ:私が修煉したい が,私は決められない;あなたが修煉したいのだから,ちょうど私の意に適う。処がどこ に師父を捜すか?副元神は腕があるから,彼が体を離れて彼の生前知り合った大覚者の所 に行った。ある副元神は層次がかなり高いから,体を離れることができる,行ってから修 煉したいから,功を借りたいと言った。人は見るとこの人は悪くなく,修煉するなら無論 助ける,それで副元神は功を借りて来た。往々にしてこの様な功は「散射能量」を持って おり,パイプから輸送されるのであり;又は借りた成型のものもあり,成型のものは往々 にして功能を伴って存在しているのだ。
こうなると,彼は同時に功能を伴っているかも知れない,この人も私が先程言ったよう に,夜中に寝る頃暑くて堪らなかった,翌朝目覚めると,功が出た。触れる所に電気がつ き,人の病気を治療することもできる,彼も功が来たと知っている。何処から来たのか? 彼ははっきり知らない。彼は概ねに宇宙空間から来たのだと知ってはいるが,具体的にど ういうふうに来たのか,彼は知っていない,副元神が彼に教えない,副元神が修煉するの だから,彼は功が来たということしか知らない。
往々にして功を借りる人は年齢制限を受けず,若者は割に多い,だから数年前に20代 、30代、40代の者も少し出たが,年配者もいた。若者が自分を把握するのは尚更容易 なことではない,彼は日頃随分良いが,常人社会の中で何も腕が無い時は,彼の名利心は かなり淡泊である。一旦一頭地を出すと,往々に名利の邪魔を受けやすい,彼は生きてい る間にまだ道程がかなり長いから,努力し,奮闘して,常人としての何かの目標に達した いと思っている。だから一旦功能が出て,腕があった時,常人社会の中で往々に彼はそれ を個人の目標を追求する一種の手段とする。それでは駄目だ,この様に用いることも許さ れないのであり,用いれれば用いるほどこの功が少なくなり,最後に何も無くなってしま う。この様な人は落ちたのが更に多い,私は今一人も残っていないと見ている。
先程私が話したこの二種の情況はいずれも心性が割に良い人が得た功に属し,この功は 自分で煉り上げたものではなく,覚者の所から来たものであるから,功そのものは良いも のである。