功能と功力
我々の多くの人は気功の中の名詞に対する認識がはっきりしない,また一部の人は何時 も入り混じって区別がつかない。彼は「功能」を「功力」だと言い,「功力」を「功能」 だと言う。我々が自分の心性により修め出したこの功は,宇宙の特性に同化したもので, 自分の徳が功に「演化」している。これは一人の層次の高低、功力の大小,彼の「果位」 の高低の問題を決定した,これが最も肝要な功である。修煉の過程中に,人には一種のど のような状態が出現するか?つまり幾つかの特異功能が出現することができる,我々は功 能と略称で呼んでいる。先程私が言った層次を高める功は,功力と言う。層次が高ければ 高いほど功力は大きく,功能は強くなる。
功能は修煉過程に於ける副産物だけであり,それは層次を代表せず,一人の層次の高低 、功力の大小を代表せず,ある人は出たものがちょっと多いが,ある人は出たものがちょ っと少ない。しかも功能は一種の主な修めるものとして追求して得られるものではない。 この人は彼が本当に修煉しようとするのだと確定しなければならないと同時に,彼には始 めて功能が出得る,主要な目的として修めてはいけない。あなたはこれらのものを煉って 何に使うのか?常人の中で使いたいのか?それはあなたが常人の中で勝手に使うことを絶 対に許さないのだから,あなたは求めれば求めるほど得られない。あなたは求めているか ら,求めることそのものが執着心であり,修煉で取り除くものが執着心である。
数多くの人がかなり高く深い境界にまで修煉したころ,彼には功能が無い。師父は彼の 為に締めてやり,彼が自分をよく把握できずに悪事を働くのを心配しているので,ずっと 彼に彼の神通を振る舞わせない,この様な人はかなり多い。功能は人の意識の支配を受け るのだ。人が寝ている時,自分を把握できないかも知れない,夢を見ても翌朝になったら 天地引っ繰り返るような大騒動が起こるかも知れない,それは許されない。常人の中で修 煉しているから,凡そ大きな功能がある者はその使用が一般的に許されない,大多数は締 められているが,それも絶対的なことではない。多くの良く修煉している人は,自分をう まく把握できるから,一部の功能を持つのが許される。この様な人なら,あなたは彼に功 能を出して顕示させても,彼は絶対出さない,彼は自分を把握できるからだ。