求める所がある問題

 多くの人は何かを求める心を抱いて我々の修煉場に入ったのだ。ある人は功能を求める ことを抱いている,ある人は理論を聞きたい,ある人は病気を治療してもらいたい,また ある人は法輪を得たい,どのような「心態」もある。またある人は:私の家に学習班に参 加できない人もいるが,私は少し学費を上げて,あなたは彼に法輪を一つ与えてもらえる かと言っていた。我々はどれくらいかの世代の人を経て,一つの極めて久しくて長い年代 を経て,数字を言えば人に驚かせるほどの,こんなに久しくて長い年代を経て形成したも のが,あたなは数十元を払えば一つの法輪を買えるものか?我々は何故無条件で皆さんに 与えられるのか?あなたが修煉の人になりたいからである,この心はお金をいくら使って も買えないものであり,「佛性」が出て来たのであるから,我々はこうしたわけだ。

 あなたが求めのある心を抱いている,あなたは唯このものの為に来たのだろうか?あな たの思想が何を考えているのか,別の空間にいる私の『法身』は何でも分かる。二つの時 空の概念が違うから,別の空間の中に於いて見れば,あなたの思惟構成は一つの極緩慢な 過程である。あなたが考える前に,彼は全部知ることができるので,あなたはあなたの正 しくない思想を全部放棄しなければならない。佛家は縁を重んじるのであり,皆さんは縁 で来たのだから,得たものはあなたが得るべきものであるかも知れない,だからあなたは 大事にするべきで,如何なる求めのある心を抱いてはいけない。

 過去の宗教の修煉では,佛家は空を重んじ,何も考えず,空門に入る;道家は無を重ん じ,何も無く,欲しくも無く,追求もしない。煉功人は:煉功する心があるが,功を得る 心が無いことを重んじている。一種の無為の状態を抱いたまま修煉し,ただあなたの心性 を修煉するだけで,あなたの層次が突破しており,あなたのあるべきものは当然あるはず だ。あなたが放下できないことは,執着心ではないか?我々はここで急にこんなに高い法 を伝えて,勿論あなたの心性に対する要求も高い,だから何かを求める心を抱いて法を学 びに来てはいけない。

 皆さんに責任を負う為に,我々は正道へ皆さんを導いているので,あなたにこの法をす っかり透徹にして講じなければならない。ある人は天目を求める時,この天目が自分で詰 まるようになり,あなた自身を封じさせる。そして私は又皆さんに教えよう,『世間法』 で修煉する時,人に出た一切の功能は皆肉身自身が持っている一種の先天的本能であり, 我々は今特異功能と言う。それは現有の空間,我々のこの空間の内でその作用しか発揮で きず,常人を制約できない。これくらいのつまらない技をあなたが追求して何をするつも りか?追求に追求を重ねても,『出世間法』に着いてから,別の空間では作用がないのだ 。世間法を歩き出て修煉する時になると,全てのこれらの功能は全部捨てられ,それらを 一つの非常に深い空間に圧し入れて,預けて置いて,あなたの将来の修煉過程中の一つの 記載となり,これくらいの作用しかない。

 世間法を歩き出てから,人が改めて修煉する。その身体は即ち私が先程言った五行を歩 き出た身体であり,彼は一つの「佛体」である。そのような身体を佛体と言わないはずは ないだろう?この佛体は改めて修煉を始め,新たに功能を出し始めるようにしなければな らないが,それは功能と言わず,『佛法神通』と言われている。彼は威力が無窮で,各空 間を制約し,真に効力を発揮するものである,あなたはまだ功能を追求するなんて何の役 に立つことがあるか?凡そ功能を追求する人は,あなたが常人の中で使い,常人の中で誇 示したいではないか?そうでなければあなたはそれを要して何のためであるか?見えず、 触れず,飾り物にしても見栄えのいい物でないと要らないだろう!きっとあなたの潜在意 識の中にそれを使いたい目的がある。それは常人の中の技能として求めては行けない,そ れは全く一種の超常なるもので,あなたに常人の中で顕示させてはいけない。顕示そのも のは一種のかなり強い執着心,非常に良くない心であり,修煉人が除去しなければならな い心である。あなたはそれを利用して金を儲け,それを利用して金持ちになり,個人奮闘 の中であなたの常人の中にある目標に達しようとするなら,それはもっといけない。それ は高層次のものを利用して常人社会を邪魔し,常人社会を破壊することであり,考え方は もっと悪い,だから勝手に使用するのが許されない。

 往々にして我々の功能の出ることは両端のほうがわりと多く,子供と年寄りの老人であ る。特に年寄りの婦人は,往々にして心性を把握できるし,彼女は常人の中に於いて執着 心があまりない。功能が出てから,彼女は把握しやすく,その顕示心理がない。若者には 何故出やすくないのか?特に男性若者は,彼はまだ常人社会の中で奮闘しようと思い,何 か目標に達しようとする!一旦功能が出たと,それを運用して,彼の目的を実現させ,彼 の目的を実現させる一種の技とする,それは絶対に許されない,だから彼には功能が出な いのだ。

 修煉という事は,児戲ではなく,常人の中の技能でもなく,非常に厳粛な事である。あ なたは修めたいかどうか,あなたは修められるかどうか,全くあなた自身が如何に心性を 高めるかによるものである。若しこの人は真に功能を求めて得られるとすれば,それは大 変な事だ。彼は修煉なんかどうでもいい,全然そのことを考えないのだ。彼の心性が常人 の基礎上にあり,功能は求めて得たのだから,彼はどんな悪事もするかも知れない。銀行 にお金が幾らでもあるから,運んで来る;街に宝くじが沢山あるから,一等賞を引いてく る。何故この様な事が無かったのか?ある気功師は:徳を重んじなければ功が出ると悪事 をしがちだと言っていた。私に言わせればこれは間違いの言い方で,全くそんなことでは ない。あなたは徳を重んじなければ,心性を修めなければ,全く功能が出ないのだ。ある 人は心性が良くて,その層次に一旦功能が出ると,その後彼は把握できなくなり,やるべ からざることをやった,このような現象も存在するのだ。しかし彼は悪事をすると,功能 が弱まり或いは無くなる。これが一旦失うと永遠に失ってしまう,そしてもっと深刻なこ とは人に執着心を起こさせることができるのである。

 ある気功師は,彼の功を学べば三日間だけで病気を治療でき、五日間だけで病気を治療 できると言って,広告をするようで,これは気功商人と言う。皆さん考えて見よう,あな たは一人の常人であり,あなたは少し気を出すだけで他人の病気を治療できるものか?常 人の身体にも気があり,あなたにも気があり,あなたは煉功したばかりで,あなたの労宮 穴が打開され,納気でき発気できるのに過ぎない。あなたは他人に病気を治療する時,他 人の身体にも気があるから,あなたは治療される事になるかも知れない!気と気の間にど うして制約の作用がありうるか?気は全く病気を治療できない。そしてあなたが彼に病気 を治療する時,あなたと病人とは一つの場に形成して,病人の身体の病気が全部あなたの 身体に飛んで来て,同じ多くなり,根は彼の身体にあるが,病の気が多くなればあなたが 病気に罹るよう導く。あなたは一旦病気治療ができると思う時,あなたは門を開いて人の 為に病気を治療し,来るものは拒まず,あなたは執着心を起こすはずだ。人の病気を治し たら,何と嬉しい!どうして治せるか?あなたはよく考えてはいない,偽気功師の身体に は憑依があり,あなたに信じさせる為に,あなたにそれしきの「信息」を与えた。あなた は三人か五人、十人か八人を治療したらそれが無くなってしまう。それは一種の能量の消 耗であり,これからこの僅かな能量も又と無くなってしまった。あなた自身に功は無いの に,功がどこから来たのか?我々気功師は数十年に亙って修煉し,過去修道はなかなか容 易いことではない。正法門を掴まずに修め,脇門で修め,小道で修めるなら,相当難しい ことである。

 ある一部の大気功師はなかなか有名であるが,修めると数十年間経って始めて,それく らい少しの功を修得できる。あなたは修めもせず,学習班に参加しただけであなたに功が 得られるものか?そんな事がありえるか?あなたはこれから執着心を生んだ。執着心が出 ると,あなたは病気を治療できなければ,あなたがそれで気を揉むはずだ。ある人は自分 の名声を保つ為に,ひどいことになると彼は病気を見る時に何を考えているのか?この病 気は俺に罹らせよう,彼の病気を全快させよう。それは慈悲心に出ることではなく,彼の その名利心が全然除去されておらず,根っから慈悲心を生むことができないのだ。彼は自 分の名誉が失われるのを心配し,自分がこの病気に罹ったらなあと思っても,彼はこの名 誉を失うことを心配する,名誉を求める心はなんと強いだろう!彼のこの願望が出される と,よし,その病気が直ちに彼の身体に転化され,本当にこの効き目を果たす。彼は家に 帰って病気になってしまうが,他人は病気が治り,他人の病気を診終えてから自分は家に 帰って苦しむ。あなたは病気を治したと思って,他人はあなたを気功師と呼ぶと,あなた は心ひそかに喜んで,嬉しくてたまらない。これは執着心ではないのか?病気を治せなけ ればしおしおと元気が無くなる,これは名利心が作用しているのではないか?そしてあな たが見た病人の病気が全てあなたの身体に飛んで来る。その偽気功師はあなたに如何に外 へ排出するかを教えたが,私はあなたに教えよう,全く排出できない,ちっとも排出でき ない,あなたの身体に良い悪い気を弁別する能力が無いからだ。長く続ければ,あなた身 体の中は黒いものばかりで,それが『業力』である。

 真に修煉しようとする時,あなたに大変な事になる,あなたはどうする?あなたはどれ ほどの苦しみを受けて始めてそれを白色物質に転化できるだろう?なかなか難しい,特に 「根基」が良い人は尚更この問題が発生しやすい。ある人はひたすら病気治療、病治療を 追求する。あなたが求めると,その動物が見られ,それが取り憑こうとする,これが憑依 である。あなたは病気を治療しようと思うのか?あなたに治療させる。しかしそれは謂れ もなくあなたに治療させることではない,失わない者は得られず,非常に危ないことだ, 最後にあなたはそれを招き寄せた,あなたはまだ何を修煉するか?それで全くおしまいだ 。

 一部の「根基」が良い人は自分の根基で他人と業を交換する。その人は病気があり,彼 の「業力」が大きい,あなたは若し一人の重病人を治療したら,あなたは病気を診終えて 帰宅してから言えないほど苦しくなるのだ!我々の多くの過去に病気を見たことのある人 は皆こういう感覚があり,病人が治ったが,あなたは帰宅して重い病気になってしまう。 時間が経つと,業力が多く転換されたら,あなたは徳で人の業力と取り替える,失わなけ れば得られないからだ。あなたは病気を貰ったとはいえ,業力も徳で交換しなければなら ない。この宇宙の中にこういう理があり,あなた自身が欲しがるのだから,誰でも干渉で きず,あなたは良いとも言えない。宇宙の中に一つの特定のものがあり,つまり誰の業力 が多ければ誰が悪い人である。あなたは自分の根基で彼に業力を転換してやるのであり, 業力が多くなればどう修煉するか?あなたの根基は全部彼に壊された。それは恐ろしい事 ではないか?他人は病気が治って,彼が気楽になったけれど,あなたは家に帰って辛くな る。あなたは若し二人の癌患者を治してやったら,あなた自身が彼の代わりに去ってしま い,これは危険ではないか?こういう事だが,多くの人はその中の理が分からないのだ。

 一部の偽気功師は,あなたは彼の名声が大きいことを見ないで,有名の名は必ずしも明 白の明ではない。常人としては何が分かるか?騒ぐと,信じてしまう。あなたは彼が今こ うすることを見ないで,彼は人を害するばかりでなく,彼も彼自身を害し,一、二年の後 に彼がどうなるかをあなたは見て見よう,修煉をこのように破壊することは許されない。 修煉は病気を治療できるが,病気を治療する為に用いるものではない。それは一種の超常 なものであり,我々の常人の中の技能ではなく,あなたはそれを持って来て勝手にこの様 に破壊するのは絶対に許されない。今一部の偽気功師は事態が混乱に陥るようにやって, 気功を名誉求め金持ちになる手段としている,彼は勢力を拡大する邪悪団体を造るのであ り,真の気功師より何倍も多い,常人は皆こう言っているし、こうしているから,あなた はそれで信じ込むのか?気功はこういうものだと思うか,そうではないのだ。私が講じた のは真の理である。

 常人は人と人の間に色々な社会関係が発生した時,個人の利益の為に悪事をしたりし, 借りがあったので,耐えたり償還したりしなければならない。仮に言うと,あなたは勝手 に治療し,あなたは本当に治療できるとしても,それは許されるか?佛がいない所はない ,そんなに多い佛が何故この事をやらないのか?彼は人類を楽にさせれば何と良いだろう !彼は何故やらないのか?人の自分の業力は自分で返さなければならない,誰でもこの理 を敢えて破壊しようとしない。個人が修煉の過程で,彼が慈悲に出て偶に人をちょっと助 けるかも知れないが,それは病を先に推移したのに過ぎない。あなたは今苦しまなくなっ たが後になって苦しくなり,或いはあなたの為に転換し,あなたが病気に罹らない代わり にあなたは金を失ったり、災難に遭う,こうであるかも知れない。真にこの事をやれる者 は,一遍にその業を消してやれるが,それは修煉の人にしか限らず,常人の為にしてはい けない。私がここで私のこの一家の理を言っているのではなく,私は我々の全宇宙の真理 を話しているのであり,私は修煉界の実情を話しているのである。

 我々はここであなたに病気治療を教えず,我々はあなたを大道、正道へ導き,上へ連れ て行くのである。だから私が班を行う度に,法輪大法の弟子には病気治療を許さず,あな たは病気治療をすると我々法輪大法の人ではなくなると述べた。我々は正道へあなたを連 れ,世間法の修煉過程の中でずっとあなたの為に身体を浄化し,身体を浄化し,身体を浄 化しており,高能量物質に完全に転化されるまでになる。それなのにあなたはまだ自分で 身体にそれらの黒いものを入れるなら,あなたはどのように修煉するだろうか?それは業 力であるのだ!全く修煉できないのだ。あなたに沢山入れたら,あなたは堪忍できず,あ まりにも苦しみを受けたらあなたは修められなくなり,この道理であるのだ。私がこの大 法を伝え出したが,あなたは私が伝えたものは何かまだ分からないかも知れない。この大 法を伝え出した以上,それを保護する方法があるはずだ。あなたが若し人の為に病気を見 るなら,あなたの身体に下してやった全ての修煉のものを,私の法身は全部回収する。あ なたには名利の為に勝手にこんなに貴重なものを壊させることを許さない。法の要求の通 りしなければ,我々法輪大法の人ではなく,あなたの身体をやはり常人の位置に戻してや り,良くないものをあなたに返し,あなたが常人になりたいからだ。

 昨日から授業を聴いてから,我々の多くの人は身体が軽快になったと感じた。しかし極 少数の病が重い人が先行して,昨日から苦しくなった。昨日私は皆さんの身体の良くない ものを取り除いてから,我々の大多数の人は体一杯軽快になって,身体が非常に気楽にな ったと感じた。しかし,我々のこの宇宙の中に一つの理があり失わなければ得られないと 言い,あなたの為に全部取り除く訳には行かず,あなたが少しも耐え受けないならこれは 絶対許されない。つまりあなたの病の根本原因、身体の良くない根本原因を我々は取り除 いてやったが,あなたにはまだ一つの病の場がある。天目の層次が非常に低く開いた時, 身体の中に一塊また一塊の黒い気,混濁の病気が見え,それも一つの濃縮した、濃度がか なり大きな一つの黒い気団であり,それが一旦拡散するとあなたの身体全体に充満させる 。

 今日から,ある人は全身が冷え,重い風邪を引いたように,骨も痛いかも知れないと感 じるはずだ。大多数の人は局部が良くなく,足が痛く、目眩がするなどと感じる。以前あ なたに病気のあった所が気功を練ることによって治った気がした,或いはあの気功師が治 してくれたかも知れないが,新たに湧いて来た。それは彼が治してあげていないからだ, ただ先に推移してやっただけで,やはりその位置にあり,今あなたに発病させないが将来 に発病させる。我々は全部それを裏返しして来て,あなたの為に打ち出して,全部根から 取り除く。こうして,あなたは病が再発したと感じるようになったが,これは根本から業 を無くすので,あなたに反応があるはずだ,ある人は局部的の反応があり,こうしても苦 しい,ああしても苦しい,様々な苦しみが出るが,皆正常であるのだ。私が皆さんに教え るが,幾ら辛くても是非受講に来るように堅持しなさい,あなたが教室に入りさえすれば ,あなたのどんな症状も無くなり,如何なる危険も無い。この一点について皆さんに言っ ておく,あなたは「病気」で幾ら苦しく辛く思っても,あなたが来るように堅持してほし い,法が得難いものだ。あなたがいよいよ苦しく感じる時は物きわまれば反転することを 証明し,あなたの全身が浄化され,全部浄化しなければならない。病根が既に取り除かれ ,ただこれくらいの黒い気が残って自ずから立ちのぼらせ,あなたにそれしきの難を受け させ,少しの苦しみに耐えさせる,あなたは少しも耐え受けないのではいけない。

 常人社会の中で名、利の為に,人と人の間の争奪で,あなたはろくに眠れず、ろくに食 べられず,あなたは身体を既に目茶苦茶に壊してしまい,別の空間に於いてあなたの身体 を見れば,その骨までも一つ一つの黒いものになるのだ。この様な身体を,一遍に浄化し てやるのに,少しも反応が無いこともいけないから,あなたは反応があり得る。ある人は 下すやら吐くやらであるはずだ。過去多くの所の学員が私に書いてくれた感想文の中にこ ういう問題を言っている:先生,私は学習班で受講が終わってから帰る途中,トイレを探 すばかりで,ずっと家まで探した。内臓は全部浄化しなければならないからだ。ある個別 の人は寝るはずであるが,私は講じ終えたと彼も目が覚めた。何故だろうか?彼の頭の中 に病気があるから,彼に調整してやらなければならない。頭を調整すれば,彼は全く耐え られないので,彼を麻酔状態に入らせなければならないが,彼は知らない。しかしある人 は聴覚部分に問題が無く,彼はぐっすり寝込んでも,一字も残らずに,全部聞き入れて, 人がこれから張り切って,二日間寝なくても眠くない。いずれも異なる状態で,皆調整さ れるべきで,身体全体を全部浄化してやらなければならない。

 真に法輪大法を煉る人は,あなたは心を放下できるようになる時,今から反応があるは ずだ。放下できないそれらの人は,彼は口では放下したと言うが,彼は実際は全く放下で きないので,なかなかできない。また一部の人は後になって私の授業した内容が解ったの で,彼が放下して,身体が浄化された,他人は既に身体がさっぱりしたが,彼はようやく 病気を取り除き始めて,苦しみを感じ始める。毎回の班にもこのように落伍する,「悟性 」が少し劣る者がいる,と言う訳であなたがどんな状況に逢っても皆正常である。他の処 で班を行った時に,こういう事もあった,ある人は非常に苦しくて,椅子に伏せて帰らず ,私が講壇から降りて治療してやるのを待っていた。私は手を出して治さない,これくら いの関をあなたも過ごせないなら,今後あなた自分で修煉する時に,あなたに多くの大き な難が出るはずだ,これくらいも過ごせなければ,あなたはまだ修煉できるものか?これ くらいの事もあなたは越せないのか?全て越せるものだ。だから皆さんは病気治療を頼み に来ないでください,私も病気治療はしない,あなたは「病気」という字を言うと,私は 聞くのも嫌だ。

 人は確かに非常に度し難いのだ,毎回の班にも百分の五、百分の十の人がついてゆけな い。一人一人も「得道」することは不可能であり,たゆまずに煉って行く人でも,まだあ なたが修め上げられるかどうかにより,修めようと決心できるかどうかによるのであり, 一人一人も佛に成ることはそれが不可能である。真に大法を修める者なら,本を読んでも 同じ状態が出現でき,同様に得るべき一切を得られる。