宿命通功能

 もう一つの功能は天目と直接関係があり,宿命通と言う。現在世界で六種の功能が公認 された,その中に天目、遥視が含まれ,宿命通も入っている。宿命通とは何か?つまり一 人の人の将来と過去を知ることができる;大きいのは社会の興廃を知ることができる;も っと大きいのは天体全体の変化法則を見ることができる,これが宿命通功能である。物質 は一定の法則に従って運動しているので,特殊な空間に於いて,如何なる物体でも別の多 くの空間に存在する形式がある。一例を挙げて言おう,人の身体が動くと,人の身体の中 の細胞が皆一緒に動き,微視的な全ての分子、陽子、電子、最小最小の,全ての成分も従 って運動が発生する。しかしそれにはそれの独立の存在形式があり,別の空間の中に存在 する身体形式にも一種の変化が発生するはずである。

 我々は物質不滅を言っているのではないのか?一つの特定の空間に於いて,人々は事を やり遂げ,つまり人が手を振るって何かの事をしたことも,皆物質存在であり,どんな事 をしても一つの映像と信息が残される。別の空間の中では,それは不滅であり,永遠にそ こに存在している,功能のある人は過去に存在した光景を見ると,すぐ分かる。将来あな たに宿命通功能があるようになってから,あなたは我々が今日ここで授業するという形式 を見れば,それがまだ存在しており,既に同時にそこに存在しているのだ。一人の人が生 まれた時,一つの特殊な時間概念の無い空間の中に,人の一生が既に同時に存在していた ,あるのは一生のみならないのだ。

 ある人はこう考えていたかも知れない:それでは我々個人の奮闘,自己改造が必要では ないじゃない?彼は受け入れられない。実は個人の奮闘によっては人生の小さいものを変 えられる,何らかの小さいものなら,個人の奮闘を通じて若干の変化が発生できる。しか しちょうどあなたが改変に努めただけに「業力」を得たかも知れない,さもなければ業を 造る問題が存在しなくなり,良い事をするか悪い事をするかの問題が存在しなくなるのだ 。無理やりにこうする時,彼は他人の利益をわがものにし,彼が悪い事をすることになる 。だから修煉に於いて自然に任せることを重ねて言うのは,この道理であり,あなたは努 力をすれば他人に傷害を与えることになるからだ。本来あなたの生命の中にこのものがな い,しかし社会に於いて本来他人に属するものをあなたが得たら,あなたが他人に借りを 持ったことになる。

 大きな事は彼が動かしたいが,常人としては根本に動かせないのだ。動かせる方法も一 つはある,つまりこの人は悪い事ばかりし,ありとあらゆる悪事をし尽くすなら,彼が彼 の人生を変えられるが,彼に直面しているのは徹底的な壊滅である。我々は高層次に於い て見れば,人が死んでも,『元神』が不滅である。『元神』はどうして滅びないのだろう か?実は我々が見たように人が死んだ後,死体安置室に置かれた人は,彼は我々のこの空 間の中の人体細胞に過ぎない。内臓、身体の各細胞組織,人体全体の,この空間にある細 胞が脱落してしまったが,別の空間にある分子、原子、陽子等の成分よりもっと小さい物 質的微粒子の身体は根本に死んでいず,それは別の空間に,微視的な空間にまだ存在して いる。ありとあらゆる悪事をし尽くす人が直面しているのは全ての細胞が全部解体される のであり,佛教の中では「形神全滅」と言われる。

 また一つの方法は人に彼の一生を変えさせることができる,これは唯一の方法であり, つまりこの人はこれから一本の修煉の道を歩むのである。それではどうして修煉の道を歩 めば彼の人生を変えることができるのか?このものは誰が容易に動かすことができるか? この人が修煉の道を歩もうとすると,この意念を出すと,金のようにピカピカ光って,十 方世界を震動させる。佛家の宇宙に対する概念は十方世界学説である。高級生命の見る所 では,人の生命は人になる為ではない。彼は人の生命は宇宙空間の中に生まれ,宇宙と同 一の性質で,善良的で,『真 善 忍』という物質で構成されたのだと思っている。しかし 彼にも群集的関係があり,彼は群集の中に於いて社会関係を発生する時,一部の者が良く なくなったので,下へ落ちる;この層次に彼が又いられなくなる,彼がもっと悪くなった ら,彼が又一層次落ちる;落ち、落ち、落ち,最後に常人という層次の中に落ちてしまっ た。

 この層次では,この人は壊滅,消滅されるべきである。処がそれらの「大覚者」達は大 慈悲心に出るので,わざわざとこの様な空間,我々人類社会というような空間を造り上げ た。この空間で彼に人の肉身を一つ多く与え,我々のこの物質空間に限って物体を見ると いうような目を二つ多く与えた,つまり迷いの中に落ちて,彼に宇宙の真相を見せない, しかし他の空間では皆見られるのだ。この迷いの中,この状態の下で,彼にこの様な機会 を残してやった。迷いの中にあるから,一番苦しい,この身体があるのは,彼に苦を嘗め させるのだ。人はこの空間から戻って上がって来れば,道家は煉功に「返本帰真」を重ん じる,彼は修煉の心があれば,「佛性」が出たのであり,この心が一番貴重だと見られ, 人々は彼を助ける。人はこんなに苦しい環境でも迷わず,まだ元へ戻るので,人は彼を助 けられ,無条件で彼を助けられ,何でも彼を助けられる。何故我々は修煉の人の為にこの 事をやれるが,常人の為にはやれないのか?それがこの道理であるのだ。

 それでは一人の常人として病気を治療したいなら,何でもあなたを助けることができな い,常人はあくまでも常人であり,常人は常人社会の状態であるべきだ。多くの人は,佛 は普度衆生をするでしょう,佛家は普度衆生を重んじるでしょうと言った。私はあなたに 教えよう,あなたは佛教の中のあらゆる経典を繙いても常人の為に病を除くことを普度衆 生だと言う事はない。ここ数年来それらの偽気功師は禍根としてこの事を撹乱した。本当 のそれらの気功師,道をつけたそれらの気功師は,あなたに人の病治療を教えることを全 然講じず,彼はただあなたに自分で身体を鍛え,病健身のことを 教えるだけだ。あなたは常人であり,あなたが二日間だけ習ったのにあなたはどうして病 を治療できるのか?それは人騙しではないのか?それは執着心を助長することではないの か?名利を追求し、超常のものを追求して常人の中で誇示する!それは絶対許されないの だ。だからある人は追求すればするほど無い,あなたがこの様にする事は許されず,あな たがこのように勝手に常人のこの社会状態を破壊することも許されない。

 この宇宙にはこういう理があり,あなたが返本帰真したい時,人はあなたを助ける,彼 は人の生命が元へ戻るべきで,常人の中にいるべきではないと思っている。人類に何の病 もなく,気持ち良く暮らすようにさせるなら,あなたを神仙にならせてもあなたも行かな いわけだ。病も無いし,苦しみも無く,ほしいものなら何でも手に入れる,これじゃ何と いいだろう,まるで神仙の世界になったようだ。しかしあなたが良くなくなってこの一歩 に落ちたのだから,あなたが気楽になるはずはない。人は迷いの中で悪事をしがちで,佛 教では「業力輪報」と言う。だから往々にしてある人は彼自身に何か難儀があり,何か良 くない事があった時,全て業力輪報の中で彼の業を返しているのだ。佛教では又,佛がい ない所は無いと言っている。ある佛が手を振るうと,全人類の病が全部消えてしまい,こ れは絶対できることだ。こんなに多い佛が何故この事をやらないのか?彼は以前良くない 事をして借りがあったため,彼がこの苦しみを浴びるのだ。あなたが彼のために治してや ったら,宇宙の理を破壊することとなり,この人が悪事をしても良く,人の借りがあって も返さなくて良いこととなる,これは許されないことだ。だから誰でも常人社会の状態を 維持しており,誰でもそれを破壊しない。唯一の真にあなたの気楽で病が無いことを捜そ うとし,真に解脱の目的に達することができることは,修煉するほかない!人に「正法」 を修めさせることこそ,真の「普度衆生」である。

 多くの気功師は何故病気を治療できるのか?彼は何故病気治療のことを講じるのか?あ る人はこの問題を考えたかも知れない,大多数のこの一類のものは「正道」ではないもの だ。真の気功師は慈悲心に出て,同情に出て,修煉の過程中に衆生が皆苦しいと見て,彼 が人を助けるが,これは許されるのだ。しかし彼は治すことができず,彼は暫時あなたの ためにこの病を抑えることしかできない;或いはあなたのために推移して,今は発病しな いが将来発病するように,病をその先に推してやった;或いはあなたのために転化して, あなたの親族の身体に転化する。真に徹底的にあなたのその業を消すことは,彼はできな い,常人のために勝手にこうやることは許されないが,修煉の人のためにしかやれないの も,この道理である。

 佛家の言う普度衆生という言葉の意味は:あなたを常人の一番苦しい状態の中から高層 次に持ち上げ,永遠に苦しまず,解脱されたことで,彼の言ったのはこの意味である。釈 迦牟尼は涅槃の彼岸のことを説いたではないか?これは彼が普度衆生をする真の意味であ る。若しあなたに常人の中で幸せな生活を送らせ,お金が幾らでもあり,あなたのベッド もお金で敷いて支え,何の苦しみも無いのなら,あなたを神仙にならせてもあなたも嫌が るだろう。一人の修煉の人として,あなたの為に人生の道路を変えることができ,唯修煉 するだけこそ改変できるのだ。

 宿命通功能の形式は人の前額部分にテレビみたいな小さな蛍光スクーリンがあるのだ。 ある人は前額という部分にある;ある人は前額までの距離がかなり近い;ある人は前額の 中にある。ある人は目を閉じて見える;それがかなり強いなら,ある人は目を開けたまま 見える。しかし他人は見えない,これは彼の空間場範囲内にあるものである。つまり,こ の功能が出て来てから,他の一種の功能をキャリーとして,別の空間の中で見た「景象」 を反映して来るので,この天目の中で見えた。一人の将来が見え,一人の過去が見え,非 常に正確に見える。占いで幾らはっきり占えると言っても,小さい事、細部まで推算でき ない,彼は却って非常にはっきり見え,年代までも見える。変化の細部までも見える,彼 が見たのは違う空間の人或いは物の真実の反映である。

 法輪大法を修煉する者でさえあれば,天目を一人一人に開いてやる。処が我々がこれか ら話す幾つかの功能について,それは開いてやらない。層次が耐えずに向上するにつれて ,宿命通功能が自然に出現する,将来修煉中にこの情況に会うはずだ。この種の功能が出 現した時,どういう事かが分かる,だからこれらの法や、理などについて我々は全部言い 出してやる。