法輪大法の特点

 我々『法輪大法』は佛家の8万4千法門の中の一法門である,我々今回の人類文明歴史 時期に従来公開的に伝え出したことがない,しかし,史前のある時期に広範的に人を度し たことがある。私は「末劫」の最後時期に再びそれを広め伝え出したので,それは極めて 貴重な事である。私は『徳』が直接『功』に転化するという一種の形式を講じた。功は実 は煉って出来るものではなく,それは修めて出来るものだ。多くの人は『長功』を追求し て,どの様に煉るかを重んじるだけで,どの様に修めるかを重んじない,その実は功は全 く心性を修めることによって出来るものだ。それでは何故我々の所も人に煉功を教えるの か?先ず和尚が何故煉功しないかの事を話そう。彼は主として座禅をし、経を読み、心性 を修める,彼にそれで功が長じる,彼には彼の層次の高低の功が長じる。釈迦牟尼は本体 を含めて,世間の一切を放棄することを講じるので,形態動作が要らない。道家は普度衆 生を言わず,彼の直面する人は,各種の心態、各種の層次、どの様な人もおり、ある人は 私心が大きく、ある人は私心が小さいといったことではない。彼は徒弟を選んで,三人の 徒弟を選んだが,その中の一人が真伝を得る者でなければならない,この徒弟は徳が高く ,良く,問題が出ないことに決まっている。だから彼は重点的に彼に手法のものを伝えて ,命を修めるようにさせた。神通術類などのものを煉るには,これは幾らかの動作が要る のだ。

 法輪大法も『性命双修』の功法であるので,煉って行く動作がなければならない。動作 は一方は功能の「加持」に用いる,加持とは何か?あなたの強大な『功力』であなたの『 功能』を強化して,益々強くさせることである;もう一方はあなたの身体の中でまだ沢山 の生命体を『演化』させる。高層次上で修煉すれば,道家は「元嬰出世」を講じ,佛家は 「金剛不壊の体」を講じ,まだ数多くの術類のものを演化し出す。これらのものは全て手 法を通じて『演煉』するのであり,動作はこれを煉るものだ。完備な一式の「性命双修功 法」として,それは修めなければならないし,煉らなければならない。皆はこの功がどの ようにすれば得られるか分かったと私は思うが,真にあなたの層次の高低を決定する功は ,全く煉って出来るものではなく,修めて出来るものだ。あなたは修める過程に,常人の 中であなたの心性を高め,宇宙の特性に同化したら,宇宙の特性はあなたを制約せず,あ なたがが昇華できるようになる。この徳は功に演化し始める,あなたの心性の基準の向上 につれて,彼が上昇して来る,彼はこのような関係である。

 我々のこの功法は,真に『性命双修功法』に属するのである,我々が煉っている功は身 体の全ての細胞の中に蓄えている,ずっと極めて微視的状態の下に存在する物質の本源の 微粒子成分の中にまでも,その高能量物質の功が蓄えてある。あなたの功力がいよいよ高 くなるにつれて,彼の密度がいよいよ大きくなり,彼の威力もいよいよ大きくなる。この 高能量物質は霊性を帯びているのであり,彼は人の身体の全ての細胞の中に,生命の本源 にまで蓄えられているので,彼が長く続くとあなたの身体の細胞と同じ形態になり,分子 の配列順序とも同じようになり,一切の原子核の形態と同じようになる。但し本質は却っ て変化が発生し,既に元の肉体細胞で構成したという身体ではなくなって,あなたはもう 五行の中に居ないのではないか?無論あなたの修煉がまだ終わっていないから,あなたは まだ常人の中で修煉しているので,表面から見れば常人の様だが,唯一の区別はあなたが 同齢者と比較すればとても若く見えることだ。勿論,先ずあなたの身体の良くないものを 除かなければならない,疾病を含める。しかし,ここでは病気を治療することはせず,我 々は身体を整理してやる,名詞も病気治療と言わず,我々は身体整理と言い,真に修煉す る人の為に身体を整理する。一部の人は病気治療の為に来たのだ。かなり重い病人は,我 々は彼を班に入らせず,彼は病気治療という心を放棄できず,彼は病気がある考え方を放 棄できないからだ。彼は重病に罹って,なかなか苦しい,彼は放棄できるものか?彼は修 煉できないのだ。我々は何度も強調しているように,重病の人は我々が受け入れない,こ こは修煉で,彼の考えている事と随分掛け離れている,彼は他の気功師に頼んでこの事を やって貰っていい。無論多くの学員は病気があるが,あなたは真に修煉する人だから,我 々はあなたの為にこの事をしてあげるのだ。

 我々法輪大法の学員は一時期的に修煉してから,表面から見れば変貌はかなり大きく, 皮膚は繊細で,白色に赤みがさす,年配者にも皺が減ることが出現し,甚だしきに至って はとてもとても少なくなる,これは一つの普遍的な現象である。私はここで不思議な話を する訳ではない,我々の在席の多くの古い学員はこの点をよく知っている。そして老年婦 人にはまた月経が来るはずである,性命双修功法だから,月経の気であなたの命を修める 必要がある。月経は来るが,多くは無い,現段階ではほんの少しで,間に合えば良いのだ ,これも普遍現象の一つである。さもなければ,あなたはそれが欠ければどう言うふうに 命を修めるか?男子も同じで,年寄りも、若者も身体が軽いと感じられる。真に修煉する 人なら,あなたはこの変化を感じられるのだ。

 我々のこの揃いの功法は随分大きく煉るもので,動物の真似をして煉る多くの功法とは 違う。この揃いの功法は実にあまりにも大きく煉るのだ。釈迦牟尼、老子が当時に講じた 理は,皆我々銀河系範囲の内の理である。我々『法輪大法』が煉るものは何であるか?我 々は宇宙の演化原理に基づいて修煉し,宇宙の最高特性−−『真 善 忍』の基準に基づい て我々の修煉を指導するのだ。我々はこんなに大きなものを煉っており,宇宙を煉ること と同じである。

 我々の『法輪大法』は極めて特殊で他の全ての功法と違う最大の特徴がもう一つ有る。 今社会で流伝している気功は皆「丹道」を歩み,丹を煉るものだ。丹を煉る気功は常人の 中で「開功開悟」に達することがなかなか出来ない。我々の法輪大法は丹道を歩むのでは なく,我々のこの揃いの功法は下腹の部位で一個の『法輪』を修煉する,学習班で私は自 ら学員に下してやる。私が『法輪大法』を講じる時,我々は続々と皆さんに法輪を下して やるが,ある人は感じがあるが,ある人は感じがない。大多数の人は感じがありえる,人 の身体の素質が皆違うからだ。我々は法輪を煉るが,丹を煉らない。法輪は宇宙の縮図で ,宇宙の一切の功能を備えている,彼は自動的に運転し、旋転することができる。彼はあ なたの下腹の部位で永遠に回転して行き,一旦あなたに下してやってから,もう止まずに ,何時までも永遠にこのように回転して行く。彼は「正転」する過程中,自動的に宇宙の 中から能量を吸収できる,彼自身はまた能量を演化し,あなたの身体のあらゆる各部分の 演化に必要な能量を供給することができる。同時に,彼は「反転」(時針に逆らって回る )の時に能量を放出し,廃棄物質を打ち出してから,身体の周囲に散らせる。彼は能量を 放出する時,随分遠くまで打ち出して,改めて新しい能量を引き入れる。彼が打ち出した 能量は,あなたの身体周囲に居る人に受益させることができる。佛家は自分を度し人を度 し,普度衆生をする事を重んじる,自分を修めるだけでなく,まだ普度衆生をする,他人 も従って受益になり,他人の為に知らずに身体を調整し、病気を治療することができる。 勿論能量は無くなる事がないのだ,法輪が「正転」(時針に従って回る)の時,彼自分は 回収できる,彼は常に回っていて止まる事がないからである。

 ある人はこう思って居る:何故この法輪は何時までも回って止まる事がないのだろうか ?又ある人は私にこう聞いた:彼が何故回転できるのか?原理がどこに在るのか?能量が 沢山集中すると丹となることは理解しやすいが,法輪が旋転するのは不思議なのだ。私は 皆さんに一例を挙げよう,宇宙が運動しており,宇宙の中のあらゆる銀河系も,あらゆる 星系も運動しており,九つの惑星が太陽を回っており,地球も自転している。皆さん考え て見よう,誰がそれを推しているのか?誰がそれに力を加えているのか?あなたは常人の その概念でそれを認識していけない,それは即ちこのような旋転機能であるのだ。我々の 法輪も同じで,彼は運転するものなのだ。彼は常人が正常な生活状態に於いて功を煉る問 題を解決して,煉功の時間を増加させた。どうして増やしたのか?彼が旋転して止まらず ,絶えずに宇宙の中から能量を吸収し,能量を「演化」する。あなたが出勤しても,彼は あなたを煉っている。当然法輪だけでなく,我々はあなたの身体に数多くの機能、メカニ ズムを下してやる,皆法輪と連帯して自動的に運転し、自動的に演化するのだ。だからこ の功は完全に自動的に人を演化する,それで一種の『功煉人』を形成し,『法煉人』とも 言う。あなたが功を煉っていない時は,功があなたを煉っている;あなたが功を煉ってい る時も,功があなたを煉っている。あなたは食事をしたり、寝たり、勤務をしたりしても ,皆功の演化の中に置かれている。あなたが煉功するのは何の為か?あなたが煉功するの は法輪を加持する為であり,私が下して遣ったあらゆる此れらの機能と『気機』を加持す る為である。高層次の中で修煉する時は,皆無為なのであり,動作も『機』に従って動き ,如何なる意念導引も無く,呼吸なども重んじない。

 我々も煉功の時間、場所を重んじない。ある人は,何時煉功するほうが良いか?子の刻 か,辰の刻か,午の刻かと問った。我々は時刻を重んじない,あなたが子の時刻に煉功し ていなくても,功があなたを煉っていた;あなたが辰の時刻に煉功していなくても,功が あなたを煉っている;あなたが寝ていても,功があなたを煉っている;あなたが歩いてい ても,功があなたを煉っている;あなたが仕事をしていても,功があなたを煉っている。 こうしてあなたの煉功の時間を大いに短縮したのではないか?我々のかなり多くの人は一 種の真に道を得ようとする心を抱いており,それは勿論修煉の目的であり,修煉の最終目 的は即ち「得道」、「圓満」である。しかし一部の人は彼の生きている間に,年齢はもう 大変限りが有って,間に合わないかも知れないが,我々の法輪大法はこの問題を解決し, 煉功の過程を短縮させることができる。同時に性命双修の功法だから,あなたは絶えずに 修煉する時,絶えずにあなたの生命を延長でき,あなたが絶えずに煉るなら,絶えずに延 長される,『根基』が良いが年を取った人でも,あなたの煉功の時間が足りるようになる 。但し一つの基準が有る,あなたの天に決められた、元の生命の過程を超えて,その後に 延長された生命は,全くあなたの煉功の為に使うものだから,あなたは思想に本の少しで も偏差が出ると,生命の危険を招く,あなたの生命過程が既に過ぎたからだ。あなたが世 間法修煉を歩き出てから,この制御が無くなり,その時になるともう別の一つの状態にな るものだ。

 方位を重んじないし,功の停止も重んじない。法輪が常に回って止まらないので,停ま らせる事も出来ない。電話が掛かるやら,ドアを叩かれるやら,あなたが直ちに対応に行 っても良い,功を止める必要も無い。あなたが事を処置する時,法輪はすぐ時針に従って 旋転し,あっという間に体外に発散した能量を回収して来る。人為的に気を捧げて灌頂を するのであれば,あなたが幾ら捧げても失うはずだ。法輪は霊性の有るもので,彼自身は これらの事を遣るのが分かる。方位も重んじなく,宇宙全体が皆運動しており,銀河系が 運転しており,九つの惑星が太陽の回りを回っており,地球も自転しているからである。 我々は宇宙それほど大きな理に従って煉っている,何処が東南西北であるか?無いものだ 。どの方位に向かって煉っても,全方位に向かって煉っていることである;どの方位に向 かって煉っても,同時に東南西北に向かって煉っていることと同じである。我々の法輪大 法は学員に偏差が出ないことを保護する。どの様に保護するか?あなたは真に一人の修煉 の人となれば,我々の法輪はあなたを保護する。私の「根」が宇宙の上に根さしている, 誰かがあなたを動かせるなら,私を動かすことができる,はっきり言うと,その人はこの 宇宙を動かすことができる。私の言った話は聞けば非常に不思議であるかも知れないが, これからあなたが学び続ければ,あなたは分かるはずだ。まだ他のものもあるが,高すぎ るものについては私は言えない。我々は浅いものから深いものへと系統的に高層次上の法 を述べる。あなた自身の心性が正しくなければそれは駄目だ,あなたが求めようとすれば ,それで問題が出るかも知れない。私は多くの古い学員の法輪がやはり変形してしまった ことを見つけた。どういう訳だろうか?あなたが他のものを混ぜ入れて煉り,あなたが他 人のものを貰ったからだ。それなら法輪は何故あなたを保護しないのか?あなたに遣った 以上,あなたのものとなり,あなたの意識の支配を受ける。あなたの欲しがるものなら誰 でも構わない,これはこの宇宙の理である。あなたが修めようとしなければ,誰でもあな たを強制的に修めさせることができない,それは悪い事をするのと同じだ。誰があなたの 心を変えるようにあなたを強制できるだろうか?あなたは自分で自分を要求しなければな らない。各家の長所を取り入れて,誰のものでも取って来て,今日はこの功を練り,明日 はその功を練る,その目的はあなたの病を除くが,病を駆除したか?駆除していないのだ ,ただあなたの為に先に推移しただけだ。高層次に於ける修煉は,専一という問題を重ん じなければならず,一門を守って修めなければならない,どの門を修煉しても,必ずその 一門に専念して,この一門で功を開き悟を開くまでになって始めて,あなたは他の功法に 転入して修めることができる,それは別の一揃いのものであるのだ。真に伝わって来た一 揃いのものは,相当長い年代を経て残されたもので,それは一つの相当複雑な演化過程だ 。ある人は感覚に依って煉功するが,あなたの感覚は何だと言えるか?何でもないものだ 。本当の演化過程は他の空間にあり,極めて複雑で玄妙で,本の少しだけ間違っても駄目 になる,精密機器の様にあなたが他の部品を一つ付けたりすると直ちに壊れてしまうのと 同じだ。あなたの各空間の身体は皆変化しつつあり,非常に玄妙で,一寸だけ間違っても いけない。私は言ったじゃないか,修は自分に在り,功は師父にある。あなたは勝手に他 人のものを持って来て,中に入れ,他の信息があると,この法門のものを撹乱して,あな たが偏るように行く,そして常人社会の中にも反映され,常人の邪魔をもたらす,あなた 自身が求めたので,他人は構えないのだ,これは「悟性」の問題だ。同時にあなたが混ぜ 入れたものは既に功を混乱させて,あなたはもう修められなくなる,この問題が出るはず だ。私は皆さんがどうしても法輪大法を学ばなければならないと言っている訳ではない。 あなたは法輪大法を学ばず,あなたが他の功法に於いて真の伝えを得たら,私も賛成する 。しかし私があなたに教えて置くのは,真に高層次上へ修煉するには,専一にならなけれ ばならない。一つの事を私はあなたに言わなければならない:目下私のように真に高層次 上へ功を伝える者は,ほかに人がいない。あなたはこの後になって私があなたの為に何の 事をしたのか分かるはずだ,だからあなたの悟性が余りにも低すぎることを望まない。多 くの人は高層次上へ修煉しようと思うが,このものはあなたの目の前に置いても,あなた はまだ反応が効かないかも知れない,あなたはあっちこっちへ行って師を拝み,幾らお金 を使っても,あなたが捜し当てられない。今日あなたの目の前まで届いてあげたが,あな たはまだ認識できないかも知れない。これは悟るか悟らないかの問題であり,つまり度す ることができるかどうかの問題である。