煉功して何故長功しないのか

 煉功して何故「長功」しないのか?多くの人はこのような考え方がある:私は煉功して いるが真伝を受けていない,どの先生が私に極意を教え,高級な手法を呉れるならば,私 のこの功が長じ上がるだろう。現在95%の人もこのような考え方があるのだ,私は非常 におかしいと思う。何故おかしいか?気功は常人の中の技能ではなく,それは全く一種の 超常なるものだ,それでは高層次の理でそれを量らなければならない。私は皆に講じてお く,功が上がれない根本的な原因は:『修、煉』という二字にある,人々はただその「煉 」を重視するが「修」を重視しない。あなたは外に向かって求めるなら,どうしても求め られない。あなたの常人の身体,常人の手,常人の思想では,あなたは高能量物質を功に 演化する?長じ上がれる?口で言うほど容易ではない!私に見させれば全く冗談だ。これ は外へ求め,外へ探すことと同じで,永遠に捜せないのだ。

 これは我々の常人の中の何かの技能など,あなたが少しお金を使ったり,技術を学ぶと ,手に入れる様なことではない。これはこの様な事ではなく,それは常人この層次を超え るものであるので,あなたに対し超常の理で要求しなければならない。どのように要求す るのか?あなたは内に向かって修めなければならず,外へ捜してはいけない。多くの人は 皆外へ求めており,今日はこれを求め,明日はそれを求め,しかも執着心を抱いて功能を 追求して,どんな目的もある。ある人はまだ気功師になりたい,まだ病気を治療して金持 ちになりたいと思っているのだ!本当の修煉はあなたのこの心を修煉しなければならない ,「修心性」と言う。例えば,我々は人と人との矛盾の中で,個人の七情六欲、各種の欲 望を少し淡泊にする。個人の利益の為に争ったり闘ったりした時,あなたがが功が長じて ほしいことなど,口で言うほど容易ではないのだ!あなたはこれで常人と同じ様になった のではないか?あなたはどうして「長功」できようか?だから心性の修煉を重んじて始め て,お前は功が長じ上がり,層次を高めることができる。

 『心性』とは何だろうか?心性は『徳』(徳は一種の物質である)を含め;『忍』を含 め;『悟』を含め;『捨』を含める,常人の中の各種の欲望、各種の執着心を捨て;また 苦に耐えられる等等,多くの方面を含めている。人の心性の各方面も向上を得なければな らない,こうして始めてあなたは本当に向上できる,これは功力を高める肝要な原因の一 つである。

 ある人は:あなたの言った心性問題について,これは意識形態に属するもので,人の思 想境界方面の事で,それは我々の煉る功とは同じ事ではないと思った。どうして同じ事で はないのか?我々の思想界には従来から物質が第一性か,それとも精神が第一性かという 問題が存在しており,何時もこの問題を議論し、争論している。実は私が皆に教えよう, 物質と精神は一性のものである。人体科学研究の中に,現在科学者は,人の大脳から発し た思惟が物質であると思っている。それではそれは物質的存在の物である以上,それは人 の精神の中の物ではないか?それは一性のものではないか?まさに私が言ったように宇宙 には,それの物質的な存在があり,同時にそれの特性の存在がある。宇宙中の『真 善 忍 』の特性に対し,常人はそれの存在を感じられない,常人は全部この同じ層次面の上にい るからだ。あなたが常人という層次を超えた時,体得できる。どのように体得するか?宇 宙の如何なる物質,全宇宙の中に弥満しているあらゆる物質を含めて何れも霊体であり, 皆思想があるのであり,皆宇宙法の不同層次の中にある存在の形式である。それはあなた を昇華させないなら,あなたが向上しようと思っても,どうしても向上できない,それは あなたを上がらせないのだ。何故あなたを上がらせないのか?あなたの心性が向上してい ないからだ。各層次にも違う基準があり,層次を高めようとすれば,あなたはあなたの良 くない思想を放棄しあなたの汚いものを出し,その一層次の基準に同化しなければならな い,これで始めてあなたが向上できる。

 あなたの心性が向上し上がって来たら,あなたの身体は一つの大きな変化が発生する; あなたの心性が向上し上がって来たら,あなたの身体の物質はきっと変化が出現する。ど んな変化であるか?あなたが追求し執着するそれらの良くない物を,あなたが捨てられる 。例を挙げて言うと,一本の瓶の中に汚いものを一杯入れ,その蓋をしっかり捻って,水 の中に投げ入れると,それが底まで沈んでしまう。あなたは中の汚いものを出して,多く 出せば出すほど,それが高く浮かんで来る;完全に出せば,それが完全に浮かんで来る。 我々が修煉過程中に於いて,人の身体に存在する各種の良くないものを除去してこそ,始 めてあなたを昇華し上がらせることができる,この宇宙の特性はこのような一種の作用を するものだ。あなたはあなたの心性を修煉しなければ,あなたの道徳水準が向上しなけれ ば,悪い思想,悪い物質を除去しなければ,それはあなたを昇華し上がらせない,あなた が言って見てそれはどうして一性ではないのだろうか?我々が冗談を言うが,若しある人 は常人の中で七情六欲を全部持ちながら,彼を上昇させて佛にならせるのは,皆が考えて 見てそれは可能か?彼はその大菩薩を見てこんなに奇麗かと思って,彼は邪念を生むかも 知れない。嫉妬心を除去していないため佛と矛盾を造る訳だ,このような事の存在を許さ れるのだろうか?それではどうしよう?あなたは常人の中で各種の良くない思想を全部取 り除かなければならず,あなたはそれで始めて向上できる。

 言い換えれば,あなたは心性の修煉を重視し,宇宙の『真 善 忍』の特性に基づいて修 煉し,常人の中の欲望,良くない心,悪い事をする考え方を取り除くべきである。思想境 界が少し向上さえすれば,自身の悪いものを既に少し除去された。同時にあなたはまだ少 し苦しみに耐え,少し難儀を受け,自身の業力を少し消し,それでこそあなたは少し昇華 し上がれる,つまり,宇宙の特性があなたに対する制約力はそんなに大きくなくなった。 修は自己にあり,功は師父にある。師父はあなたに功を長じさせる功を与えれば,この功 は作用が働くようになり,あなたの体外に於いてあなたの徳という物質を功に『演化』す ることができる。あなたは耐えずに向上し,耐えずに上へ修煉すれば,あなたの『功柱』 も耐えずに上へ突破する。一人の修煉人として,常人の環境の中で自己を修煉し,自己を 磨き煉り,次第に執着心、各種の欲望を除去しなければならない。我々人類が往々に良い ものだと思うが,高層次上に於いて見れば往々に悪いものだ。だから人々が良いと思うも の,常人の中で個人利益を多く得れば得るほど,気持ち良く暮らせば暮らすほど,大覚者 に於いて見れば,この人は良くないものだ。良くない事がどこにあるか?彼が沢山得れば 得るほど,彼は他人を傷害し,得るべきではないものを得たら,彼は名利を重く見るよう になる,それで彼は徳を失ってしまう。あなたが功を長じさせようとするには,あなたは 心性の修煉を重んじなければ,あなたの功は根っから長じることができない。

 我々修煉界は,人の『元神』は不滅なのだと言って居る。過去人の元神を語ると,人々 は迷信だと言うかも知れない。皆が知っているように物理学により我々の人体を研究すれ ば,分子、陽子、電子があり、下へ研究すればずっとクオーク、中性微子などに至る。そ の一歩になると,顕微鏡でも見えなくなる。しかしそれは生命の本源,物質の本源まで言 えないほど遠い。皆が知っているように原子核の分裂は,相当の能量による衝突と相当大 きな熱量があって始めてそれを融合反応させることができ,核を分裂させることができる 。人が死んだ時,人体の中の原子核が簡単に死んでしまうことがありえるか?だから我々 は人が死んだら,我々のこの一層空間の,この一層の最大の分子成分が脱落したのに過ぎ ない;別の空間の中にあるあの身体が壊されていないと発見した。皆が考えて見よう,顕 微鏡の下で人体を見たらどのような様子であるか?人の全身は運動しているのであり,あ なたがそこに座って動かないが,全身は運動しているのであり,分子細胞は運動しており ,全身はばらばらとなり,砂で組成されたようである。顕微鏡の下で見た人体はこの様な ものであり,我々の目で人体を見るのとは全く違う変化が起こった。これは人のこの二つ の目があなたに一種の仮象を齎し,あなたにこれらのものを見させないからである。「天 目」が開いたら,物を拡大して見られる,本来もそれが人の本能である,現在特異功能と 呼ばれる,あなたは特異功能を出したいとすれば,「返本帰真」にし,元へ修めなければ ならない。

 我々がこの『徳』を説こう。それらの具体的な間の連帯関係は何か?我々はそれを分析 し分けて講じよう。我々人間は数多くの空間の中にそれぞれ一つの身体の存在がある。我 々は今人の身体の成分を見て,最大のものは細胞であり,これは我々人間の肉体である。 仮にあなたが細胞と分子の間、分子と分子の間に入ったら,あなたは既に別の空間に入っ たことを体験できる。その身体の存在形式はどういう様子なのか?あなたは無論現有のこ の空間の概念で理解していけない,あなたの身体はその空間の存在する形式の要求に同化 しなければならない。別の空間にある身体は本来大きくもなれるし小さくもなれるのであ り,その時あなたはそれも一つの無比広大な空間であることを発見するはずだ。これは別 の空間に存在する一種の簡単な形式を指したもので,同時同地に別の空間が存在している 。人は別の多くの空間に皆一つの特定の身体があり,一つの特定の空間の中に於いて,人 体の周囲にそのような一つの「場」が存在している。どんな場であるか?この場は即ち我 々が言った『徳』である。徳は一種の白色物質であり,それは我々が過去認識したような 人間の精神的なもの,人の意識形態の中にいるものではなく,それは完全に一種の物質的 な存在である,だから過去には老人は徳を積むとか,徳を損するとか言っていたが,その 話はあまりにも正しい。この徳は人体の周囲にあり,それが一つの場を形成する。過去道 家は師父が徒弟を捜し,徒弟が師父を捜すことではないと言っている。どういう意味か? 彼はこの徒弟の身体に帯びている徳の成分は大きいか否かを見るのであり,大きければ, 彼は修めやすい;大きくなければ,彼は修めにくい,彼は高い功を長じさせるのが非常に 難しい。

 同時に存在しているものはまだ一種の黒色物質があり,我々の所では『業力』と言い, 佛教の中でそれを悪業と言う。白色物質と黒色物質,二種の物質が同時に存在している。 この二種の物質の間はどういう関係であるか?徳という物質は我々が苦しんで,打撃を受 けて,良い事をしたため得たのだ;その黒色物質は人が悪い事をして,良くない事をして ,人を苛めたため,この黒色物質を得たのだ。現在ただ私利だけを図るばかりでなく,あ る人は悪事のかぎりを尽くし,お金の為なら,どんな悪事でもやる;人を殺し命を取り, お金で命を買い,同性愛,麻薬吸飲等等,どんな事情もある。人は良くない事をする時, 徳を損する。どのように損するか?この人が他人を罵った時,彼は得をした,鬱憤を晴ら したと思った。この宇宙の中に一つの理があり,失わ無い者は得られないと言う,得るに は失いがなければならない,あなたは失いたくないなら,あなたに強制的に失わせる。誰 がこの作用をするか?宇宙のこの特性がこの作用をしているのだ,だからあなたは得る事 ばかりを考えてはいけない。どうなろうか?彼が他人を罵り、他人を苛めた時,彼は徳を 他人に投げて与える;相手は苛められた一方,失った一方,苦しめられた一方に属するの で,彼に補償を与える。彼はこっちで彼を罵るなら,彼が罵った時に従い,自分の空間場 の範囲内から一つの徳が飛んで行って,その人の身体に落ちる。彼がひどく罵るほど,そ の人に与えた徳は多くなる。人を殴り、他人を苛めることも同じだ。彼が彼を殴り,彼を 蹴たら,この人の殴った酷さにより,徳がそれなり落ちて行く。常人はこの一層の理を見 抜けず,彼は苛められたと思って,彼は我慢できない;お前は僕を殴ったら,僕はお前を 殴り返さなければならない。ぱっと彼を殴り返して,この徳を推し返して,二人とも失も 得もないことになる。彼は:お前が僕を一回殴って,僕がお前を二回殴る,さもないと鬱 憤を晴らせないと思っているかも知れない。彼が又一回多く殴ったので,自身から又一つ の徳が飛んで行って相手に与えた。

 何故この徳をこんなに重く見ているのか?この徳の転化はどの様な関係であるか?宗教 の言うことによると:この徳が有れば,今世に得られなければ来世に得るという。彼は何 を得るのか?彼は徳が大きければ,大官になり,大金持ちになり,欲しい物なら何でもあ るかも知れない,それはこの徳で交換したのだ。宗教の言い方では,この人は若し徳が無 ければ,『形神全滅』になる。彼の元神が壊滅され,彼は百年の後全てが死んで,何も無 くなってしまう。しかし我々修煉界では徳が直接功に演化できると講じている。

 我々は徳はどの様に功に演化したのかについて講じよう。修煉界ではこういう一句の言 葉あり,「修は自分にあり,功は師父にある」と言う。しかしある人は「安鼎設炉」,「 采薬煉丹」,「意念活動」を講じているが,彼はとても重要だと思う。私があなたに教え る,少しも重要ではない,あなたは余りにも考えると執着心になるのだ。あなたは余程思 うと,あなたは執着し追求したのではないか?修は自分にあり,功は師父にあるから,あ なたはこの願望が有れば良い。しかし本当にこの事をしたのは,師父がしてあげたのだ, あなたは根っから遣れない。あなた一人の常人の身体では,この高能量物質で構成したそ の高級生命体を演化できるものか?全く不可能だ,言って見たら全くの冗談なのだ。人体 の別の空間にある演化過程は相当玄妙で、相当複雑なので,あなたは根っからこれらの事 ができない。

 師父はあなたに何の物を与えるのか?あなたに一つの功を長じさせる功を与える。徳は 人の体外にあるので,人の本当の功は徳で生成したのだ。一人の層次の高低,功力の大き さは,全くその徳が生成したのだ。彼はあなたの徳を功に演化させ,螺旋的に上へ長じさ せる。本当に人の層次の高低を決める功は体外で長じるのであり,最後に螺旋的に頭上に 長じてから一本の『功柱』に形成する。この人の功はどれくらい高いのか,彼の功柱の高 さを一目だけで見られる,これが彼の層次で,佛教の中で言った「果位」だ。ある人は座 禅する時元神は身体を離れられ,急にかなり高く上がったが,もっと高い所へ上がろうと 思っても,上がれなくなり,上がれる勇気はない。彼は自分の功柱に座って上がったので あり,彼はそれ程の高さまでしか上がれない。彼の功柱はそれくらいしか高くないので, もっと高い所へは彼も上がれないのだ,これは佛教の中で言う果位の問題である。

 心性がどれくらい高いかを量るには,もう一つの尺度が有る。尺度と功柱は同じ空間に 存在するのではないが,それは同時に存在しているのだ。あなたの心性が修めて上がった ら,例えば常人の中で,他人があなたを一言罵っても,あなたは声を出さず,あなたは心 がかなり平然としている;あなたを殴っても,あなたは何も言わずに,一笑に付して,過 ぎた,この人は心性がもうかなり高くなった。それではあなたは一人の煉功人で,あなた が得るべきものは何か?あなたは功を得るのではないか?あなたの心性が向上して来たら ,あなたの功も長じ上がって来る。心性がどれだけ高ければ功もそれだけ高い,これは絶 対の真理である。過去ある人は公園で煉功しても良し,家で煉功しても良し,その煉るこ とにはかなり身を入れて,非常に敬虔で,煉ったのも悪くないようだ。しかし家を出ると もう彼ではなく,我がままになり,常人の中で名、利の為に人と争ったり闘ったりするな ら,彼の功が長じられるのか?根っから長じられないのだ,彼の病も治らないことも,こ の原因である。何故ある人は長期に亙って練功しても病が治らないか?気功は修煉であり ,超常のものであり,常人の中の体操ではなく,心性を重んじなければならずそれで初め て病が治れ或いは功が長じられる。

 ある一部の人は「安鼎設炉、采薬煉丹」をし,この丹が功であると思い込んでいるが, そうではないのだ。この丹はただ一部分の能量を蓄えただけで,能量の全部ではない。丹 はどういうものか?皆が知っているように,我々はまた別の一部分の命を修めるものがあ り,身体にはまた功能が出るし,また沢山の『術類』のものがある。これらのものの大部 分は閉められていて,あなたに使い出させないのだ。多くの功能,万種以上の功能があり ,一つ形成すると一つ閉められる。何故出ないのか?目的はあなたがそれを運用して常人 社会の中で勝手に事をすることがないようにするのだ,勝手に常人社会に邪魔してはいけ ない,勝手に常人社会の中であなたの腕を表現してもいけない,これは常人社会の状態を 破壊するからだ。多くの人は悟りの中で修めているのであり,あなたは全部彼の為に表し たら,人が見ると本当だと思って,皆修めに来る,十悪を犯して許さない人までも修めに 来る,それは行けない。あなたにこの様に誇示させていけない;あなたは悪い事をしがち であり,あなたはそれの因縁関係を見抜けなく,あなたはそれの本質を見抜けなく,あな たは良い事をするのだと思うが,やったのは悪い事であるかも知れないので,あなたに使 わせない。悪事をすると,層次が落ちて,無駄修めになるので,多くの功能は閉められて いるのだ。どうしたら良いのか?開功開悟の日になると,この丹は爆弾となり,それはあ らゆる功能,身体のあらゆる錠と百竅を全部爆裂させ,“パーン”と振動して,全部開く ように震う,これをする為に使うのだ。和尚は百年の後火葬にした時「舎利」がある。そ れは骨とか、歯とか言う人がいる。常人は何故無いのか?あの丹が爆発して,その能量が 釈放され,それ自身にも大量の別の空間の物質を含んでいる。それは畢竟物質存在の物で もある,しかしそれも何の役割がない。現在の人はそれを非常に貴重な物と見成している ,それは能量が有り、光沢が有り、非常に硬い,取りも直さずこの物である。

 功が長じないことにはもう一つの原因がある,つまり高層次の中の法を知らないので, 修煉して上がれない。どういう意味か?正に私が先程言った様に,一部の人は沢山の功法 を煉っていたが,私があなたに教えたように幾ら多く学んでも役に立たず,ただ小学生で ,修煉中での小学生であり,皆低層次の中の理である。あなたはこの低層次の中の理を持 って高層次上へ修煉しても,指導作用が無いのだ。大学の中で小学の教科書を読んでも, あなたはやはり小学生であり,幾ら勉強しても役に立たず,却ってもっと悪くなる。不同 層次の中に不同層次の中の法がある。法は不同の層次の中に於いて不同の指導作用がある ので,あなたは低層次の中の理を持ってはあなたの高層次上へ修煉を指導できない。我々 がこの後に論述することは皆高層次の中で修煉する理であり,私は不同層次の中のものと 結び付けて講じているので,あなたの今後の修煉の中でずっと指導作用があるのだ。私は 何冊かの本を出しており,また録音テープ,ビデオテープを出している,あなたはその中 から,あなたが一遍読んで、聞いてから,暫く置きにまた読み、聞くと,必ずあなたにま だ指導作用がある。あなたも絶えずに自分を高めており,絶えずにあなたに指導作用があ る,これが法である。以上は煉功が「長功」しない二つの原因である:高層次の中の法を 知らなければ修める法が無い;内へ向かって修めなければ,心性を修煉しなければ功が長 じない。この二つの原因だけだ。