真に高層次上へ人を連れる
私は法を伝え、功を伝える全過程の中で,社会に対し責任を負い,学員に対し責任を負
うことに基づいており,収めた効果は良く,全社会に対しての影響もわりあい良い。数年
前多くの気功師は功を伝えていたが,彼らが講じたものは皆
病健
身その一層次のものだ。無論他人の功法が良くないと言うのではなく,私がただ言ってい
るのは,高層次上のものを,彼らは伝えていなかったのだ。全国の気功の形勢は私もよく
知っている。国内外において,真に高層次上へ功を伝えることは,目下私一人だけがやっ
ている。高層次上へ功を伝えることを,何故やる人はいないのか?それがとても大きな問
題に及び,及ぶ歴史的な渊源がとても深く,及ぶ面もとても広く,関わる問題もとても鋭
いからである。それも一般の人が伝えられることではない,それは多くの功派のものを動
かすことにまで及ぶからである。特に我々の多くの煉功人,彼は今日この功を学び,明日
あの功を学んで,自分の身体を目茶苦茶にしたので,彼は修め上がれないのに決まってい
る。他人は一筋の大道に沿って上へ修めているが,彼は脇道ばかりで,彼がこれを修めよ
うとすれば,あれが邪魔になる;あれを修めようとすれば,これが邪魔になり,いずれも
彼に邪魔をしているので,彼はもう修められないのだ。
これらの事は我々は全て順調に整理し,良いものを残し,悪いものを除くようにしてや り,あなたが今後修煉できるように保証する,但し真に『大法』を学びに来る人でなけれ ばならない。若しあなたは色々な執着心を抱き,功能を求め,病気治療に来,理論を聴く ことを抱き,或いは何か良くない目的を抱くならば,これは駄目だ。私が言ったように, この事を私一人だけがやっている。このような事は,機会が多くない,私はいつもこの様 に伝えて行くはずはない。私の思うように直接私の伝功説法を聴けた人は,私に言わせれ ば本当に‥‥‥将来あなたは分かるはずだ,あなたはこの期間は非常に喜ばしいと思うは ずだ。無論我々は縁を重んずる,皆さんが此処に座っていることは皆縁があるのだ。
高層次上へ功を伝えることは,皆さんは考えて見て,どんな問題であろうか?それは人
を度することではないだろうか?人を度すると言うのは,あなたは本当に修煉するのであ
り,
病健身だけではないのだ。それでは本当の修煉は,学員の『
心性』に対する要求も高くなる。我々の此処に座っている人は,大法を学びに来たのだ,
それではあなたは自分を本当の煉功人として此処に座らなければならず,あなたは執着心
を放棄しなければならない。あなたは色々な求めのある目的を抱いて功を学び、大法を学
びに来るならば,それであなたは何も学ぶことができないのだ。あなたに一つの真理を教
えておく:人の修煉の全過程は即ち絶えずに人の執着心を取り除く過程であるのだ。人は
常人社会の中に於いて,互いに奪い合い,騙し合って,個人のその僅かの利益の為に,他
人を傷害する,これらの心は全部放下しなければならない。特に我々の今日の功を学んで
いる人は,これらの心を更に放下しなければならない。
私は病気治療を話さず,我々も病気を治療しない。しかし真に修煉しようとする人は, あなたが病気の有る身体を持っているならば,あなたは修煉できないのだ。私はあなたの 身体を浄化してやる。身体の浄化は本当に功を学びに来た人,本当に法を学びに来た人だ けに限られる。我々は一点を強調しておく:あなたはその心を放下しなければ,あなたは その病を放棄できなければ,我々は何もできない,あなたに対しては力に余る。何故なの か?この宇宙の中にこういう理があるからだ,常人の事は,佛家の言うことによれば,全 て因縁関係があり,生老病死は,常人に於いてはこの様に存在するものだ。人は以前悪事 をして業力を生んで初めて病或いは難儀を招いたからだ。苦しむことは業の借りを返済す るのだ,そのため,誰でも勝手にそれを変えるようなことをしてはいけない,変えられる なら借りを返さなくてもいいことになる;勝手に任意にすることもいけない,さもなけれ ば,悪事をするのと同じ事なのだ。
ある人は人の為に病気を治療し,
病健身をしてや る事は良
い事をするのだと思っている。私の見た所では,いずれも本当に病を治してはいない,皆
病を推移させ,或いは転化させたことで,彼の為に取り下げていない。本当にこの一難を
除くには,業力を取り除かなければならない。若し本当にこの病を治し,徹底的にこれら
の業力を取り除くことができ,本当にこの一点に達することができるとしたら,この人の
層次も低くないのだ。彼は既に一つの理を見た,つまり常人の中の理は勝手に破壊しては
いけないのだ。修煉過程中に於いて,修煉者は慈悲心に出て,幾つかの良い事をやり,人
の為に病気を治療し,
病健身をするぐらいなら,これは許される
のだ,しかし完全に治すことはできない。若し本当に一人の常人の病を根治できれば,一
人の修煉しない常人が此処から歩き出て,何の病気も無くなり,出掛けるとやはり一人の
常人になり,個人の利益上でやはり常人と同じように争奪するのなら,どうして勝手に彼
の業力を取り除くことができるのだろうか?これは絶対許されないのだ。
それでは何故修煉の人の為にやれるのだろうか?修煉の人は最も貴重であるからだ,そ の人が修煉しようと思っており,だから,出したこの一念は最も貴重なのだ。佛教の中で は佛性を重んじられる,佛性が出ると,「覚者」達は彼を助けることができる。どういう 意味なのか?私に言わせれば,私が高層次上に於いて功を伝えているので,高層次中の理 に及んでいるし,波及した問題は非常に大きい。この宇宙の中で,我々の見た処では人の 生命が,常人社会の中に生じられたのではない。人の真の生命の生まれは,宇宙空間の中 に生じられたのだ。この宇宙の中に生命を作る各種の物質が沢山ある,これらの物質は相 互の運動により生命を生じることができる,つまり,人の最初の生命は宇宙の中から来た のだ。宇宙空間は本来善良で,『真 善 忍』という特性を具えているもので,人が生まれ て宇宙と同性なのである。しかし生命体が沢山生じられるようになると,一種の群体の社 会関係が発生してしまう。その中の一部の人は,私心が増えたかも知れず,次第に彼らの 層次を下げた,それでこの一層次に居られないようになり,彼らが下へ落ちる。しかし別 の層次に於いて,又あまり良くなくなり,彼らはやはり居られないので,続けて下へ落ち ,最後に人類という層次の中に落ちて来た訳だ。
全人類社会は,全部同じ層次の中にある。この一歩まで落ちた以上,功能の角度に立っ て見ても,或いは大覚者の角度に立って見ても,本来これらの生命体を壊滅されるべきだ 。しかし大覚者達は慈悲心に出て,彼らにもう一度機会を与えた為,それでこの様な一つ の特殊な環境、特殊な空間を構成した。この空間の生命体は,宇宙の中の全ての空間の生 命体とは違っている。この空間の生命体は,別の空間の生命体が見えず,宇宙の真相が見 えないので,これらの人は迷いの中に落ちて来たのと同じだ。病を治し、難を除き、業を 消すようにするには,これらの人は修煉をして,「返本帰真」にならなければならない, これは各種の修煉の中でもこの様に見られるのだ。人が「返本帰真」にするべきだ,これ こそ人としての真の目的だ,だからこの人は修煉しようと思うと,『佛性』が出て来たと 認められる。この一念は最も貴重で,彼は「返本帰真」にしたくなり,常人という層次の 中から飛び出したいからだ。
皆さんが聴いたかも知れないが佛教の中にこの様な一句の言葉がある:佛性が出ると, 十方世界を震動させる。誰でも見たら,彼を助けてやり,無条件で彼を助けてやる。佛家 は人を度して条件を言わず,代価も無く,無条件で彼を助けられる,だから我々は学員の 為に多くの事をしてやることができる。しかし一人の常人として,ただ常人となりたい人 なら,彼は病気が治ることを望んでは,いけない。ある人は思っている:私の病気が治っ たら,私が修煉する。修煉は如何なる条件も無いのだ,修煉しようと思えば,それで修煉 していい。但し一つの病気の有る身体を持っては,或いは一部の人の身体の「信息」が乱 れ,ある人は根っから功を煉ったことがなく,ある人は何十年も功を煉ったが,やっぱり 気の中で徘徊しており,修め上がっていない。
どうすれば良いのか?我々は彼の身体を浄化してやり,彼に高層次上へ修煉できるよう にさせる。一番低い層次上で修煉する時,一つの過程がある,つまりあなたの身体を徹底 的に浄化させて,全ての思想中に存在する良くないものや,身体周囲に存在する業力場と 身体不健康を引き起こす要因を,全部きれいに整理しなければならない。整理しなければ ,この様な混濁な身体,黒い身体と一つの汚い思想を持っていては,どうして高層次上へ の修煉に達することができるのだろうか?我々はここでは気を練らない,低層次上のこれ らのものをあなたが練る必要が無い,我々はあなたを押し過ごして,あなたの身体を無病 状態に達させる。同時に我々は低層次上で基礎の打ち立てるのに要るこれらのものをあな たに有り合わせのもの一式下してやる,こうして,我々はかなり高い層次上で煉功できる ようになったのだ。
修煉の言い方により,気は分ければ,三つの層次がある。しかし本当の修煉は(気を練 ることが入っていない)併せて二大層次がある:一つは『世間法』の修煉である;一つは 『出世間法』の修煉である。この世間法、出世間法は廟の中での出世間、入世間とは別々 の事で,それは理論上のものである。我々は真の人体修煉の二大層次の変化である。世間 法の修煉過程中に於いて,人の身体は絶えずに浄化され,絶えずに浄化されているので, 世間法最高形式にまで歩んだ時,身体は既に完全に高能量物質に代替されてしまった。出 世間法修煉は,それは基本的に佛体修煉であるのだ,一つの高能量物質で構成した身体と なり,あらゆる功能が改めて出る。我々の指したのはこの二大層次である。
我々は縁を重んじている,皆さんはここに座って,私は皆さんの為にこの事をすること ができる。我々は今二千余人にも過ぎない,何千人,ひいてはもっと多くの人,一万以上 の人でも,私はやれる。つまり,低層次上に於いてあなたの練る事が要らないのだ。あな たの身体を浄化してから,あなたを押し過ごし,私はあなたに一式の整った修煉系統を下 してやり,あなたに初めから直接高層次上に於いて修煉させる。ところが,本当に修煉し に来る学員に与えるのに限られる,あなたがここに座ると,あなたはもう一人の修煉者と なったと言うことではない。思想上から根本的に変わって来たら,我々は与えられる,こ れらだけではなく,以後あなたは,私が皆さんに何のものを与えたか分かるはずだ。我々 はここでは病気治療をも話さないけれど,我々は全体的に学員の身体を調整し,あなたが 煉功できるようにさせる。あなたが一つの病気の有る身体を持っているなら,あなたは根 本的に功が出せないので,皆さんは私に病気治療をさせないでほしい,私もその事をしな い。私が出山した主要な目的は,即ち高層次上へ人を連れること,本当に高層次上へ人を 連れることである。