《法輪大法義解》は当初出版の時,主としては指導員の素質 と補導能力を高めるためであった。一般の新学員が受けられな いならば,大法に損失と邪魔を齎すので,発行の範囲を縮小さ せた。
全国の弟子が法を学び実修することを展開してから,皆が大 法に対する理解を深めた。実修を通じて大法の弘大と層次向上 の緊密関係を真に体得した,認識において顕著な向上があった。 この情況に基づいて,私は《法輪大法義解》を再版発行するこ とにした。但し皆は一つの傾向に注意すべきである,大法の中 で新奇を尋ね求めてはいけない。ある人は確かに絶えずに私が 又何を言ったか,又何かの新しい本があったか,又何か新しい 精神があったか,何何……等々を探している。心に決して着実 に修めて行かなければならない。実はまたいくら経を出しても, 《転法輪》の為に指導材料とするのである,真に修煉を指導す るのは唯《転法輪》だけがある。その中には常人からずっと無 比に高いものまでの内涵が含まれている,君が修めて行きさえ すれば,《転法輪》は永遠に君に修煉し向上することを指導す ることができる。
《転法輪》は文章的な表面においてきらびやかではない,ひ いては現代文法に符合しない。しかし,私が若し現代の文法に よりこの大法を整理するとしたら,一つの重大な問題が出現す る,文章の言語構造は規範で綺麗になったが,却って更に高い 更に深い内涵があり得ない。何故かというと現代の規範の言葉 によるのみでは全く大法の更に高い不同の層次における指導と 法の各層における表現を表し,乃至学員の本体と功の演化を率 いて動かし及びこの実質の変化を高めることができないからで ある。
この《義解》も同様に皆が《転法輪》をよく学ぶように指導 するために出版したのである。大法の弟子は法を師と仰ぎ,邪 魔を排除し,堅実に修めるように希望する,これが精進である。