問:《轉法輪》一、二巻を我々は読みました,中にある一句の話
はあまり良く理解できないと思います,私は以前密宗弟子であった
からです。中に一つの問題は菩薩と如来佛の層次は現在劫難を受け
ていると言ったようです。
答:この問題はとても高く聞いた。あなたが更に高く修煉できた
時に,あなたは始めて見られ認識できる。勿論私はあなたに簡単に
、概括に説くことしかできない。人のこの層の法が効かなくなった
のは,人類社会の道徳が皆落ちて,人の心の中の道徳観念が壊敗し
たからだ,正念が無くなったのはつまり心法が効かなくなった。人
類の社会で法が効かなくなった時,人類が下へ滑る。若しこの法は
人類のこの社会で効かなくなったということでなければ,それでは
かなり高層の空間の中で彼に逸脱が出現したら,物質生命が下へ落
ちる,彼は良くなくなったら,彼が下へ落ちる。それでは彼には大
面積的に問題が出現したら,もう人類の問題だけでなはないのだ,
それでは例えば大法が貫いて来て,上はちょっと逸れても,下はも
う面目が一変してしまう。鉄砲を打つことと同じように,あなたは
微かに逸れても,その弾が出てどこに当たるか知らない。何故下は
こんなに大きな変化が発生したか?人類社会の変化は非常に恐ろし
い!何か麻薬吸引や、麻薬販売や,人は悪事の限りを尽くすやら,
多くの人は沢山の悪事をやったやら;何か黒社会や、同性愛や、性
を乱すやら等等は皆人をなす基準でなくなった。佛はどのようにこ
れらの問題を見るか?あなたの政府は許す,法律は許す,それは人
自分は許すのだ,天理そのものは許さないよ!過去美しく良いもの
は人類が追求する対象であったが,現在あなたは見てご覧売ってい
る玩具や、描いた絵や,全てやたらに造りやたらに塗るとこれで作
品となったのだ。何であるか?誰もはっきり言えない。一切の人の
観念も反対の方向へと変化が発生している。一山のごみはそこに置
くと彫塑大師の作品となった。全社会の現象もこうであるのだ。商
店の中の玩具は酷いことになるとその大便も玩具の形象に造って売
っている。過去その人形はとても奇麗に造って始めて人々は買いた
かった,現在髑髏の頭や,どんなに凶悪な人や、妖魔やばけものを
全て玩具に造った,しかも売り行きがとてもいい,善念の無い人は
買いたい。これは一つ何の問題を説明したか:人の観念が物凄く下
へ滑っているよ!過去歌を歌う者は,声が優美で,音楽学院を卒業
した者で,体型、姿勢は美しいほうが良い,その音楽は取りも直さ
ず人に美の感じを与えるものだ。現在あの男と言ったら男らしくな
い,女と言ったら女らしくないものは,とても長い髪の毛で,ア,
アと力を入れて叫ぶと,テレビで持ち上げるとスタ歌手となった。
一切も敗壊されている,人類は何でも下へ滑っている。また多くの
現象は,極めて恐ろしい!あなたは修煉しなければあなたは見られ
ない。人類の宗教に対する認識も違うようになった,彼は政治とし
た,ある人は口を開けると佛を罵るよ,そのメニュにはまた何か“
佛が壁を跳ぶ”などもある。これは佛を謗るのだ!現在人類社会は
どうしたのか!あなたは修煉しなければあなたは分からないのだ,
修めて振り返って見れば吃驚する!皆さん考えて見て,この人類は
この程度まで敗壊された,それは孤立なことではない,この法は一
定の空間の中に問題が起こったからだ。多くの物質、多くの生命が
法から逸脱して引き起こしたのだ。私はあなたにこのように言うこ
としかできない,あまりにも深く言ったら在席の者ではまだ多くの
人は理解できないものだ。私はこのように言ったらあなたは分かる
べきだと私は思う。
問:本来はとても恥ずかしく思いますが,この機会を掴まなけれ
ば誠に恐らく取り逃すと思います。この問題は多くの人も返答して
くれませんでしたが,今日先生が来られまして,この機会は大変得
難いと思います。つまり数年前ある日私は夜12時過ぎの時に密宗
の方法によって座禅をしました,私は以前密宗を修める者でした。
しかし私は飛行機の螺旋のように回っていて,速くて私が表し得な
いほどでした,こうして飛び上がりました。私がこれほど高く上が
って,頭上から出て来たのです。頭上から出てちょっと痛みが激し
かったです,痛い時私が更に上昇する時,私はかなり恐ろしく思い
ました。私の魂が行ったかも知れないと思いました,それで私は私
の身体が見えませんでした。二日目に不思議な現象が発生しました
,真昼に私が部屋の中に座っているが,私は銀色の光輪、銀色の光
が見えました,それから5分間の後見えなくなりました。三日目に
私は法輪が見えました,どういうわけですか?
答:あなたは以前密宗を煉ったが,役割を果たしていない,あな
たは何故法輪が見えるか?我々はあなたが修めなかった前に既にあ
なたに構ったからだ。煉功人が漂い上がるのはとても容易い,現在
の科学者は解釈できない。実は人の身体の全ての脈が全部通じた時
,彼が飛び上がれる。彼が飛び上がらなくても,彼は軽やかに歩く
,登山や,階段上り等も疲れるはずはない。これは脈が通じたのだ
,それでこうなるはずだ。元神が出て来たことに至っては,ある人
は元神が体から離れやすい,ある人は出やすくない。体から離れて
から法輪はあなたの漂う身体を率い動かすので,回転がとても速い
。あなたはそれほど高く上る勇気が無いことに至っては,あなたは
当時それほど高い能量しか無いからだ。あなたは初めてこのような
問題に遭ったら恐れるはずだ,誰もそうなるはずだ。実は我々の法
輪大法を煉る人で漂い上がったものはとても多く,とても正常なの
だ。修煉人が修煉に入ると,脈を通じ始める,それから大周天が通
じたとなると,その時に人が上がれる。
私が言い出したが私はまた皆さんに言い付けようと思う,誰でも
この種の考え方があってはいけない:私は漂うことができれば何と
良いだろう!あなたは追求の観念を生むと,あなたが漂うことがで
きるとしても漂うことができなくなる。煉功は無為を重んじ,空を
重んじるのだ,修めようとする心があるが,得ようとする心が無い
;修煉しようとする心があるが,功を得ようとする心が無い。皆こ
のような一つの状態を抱いて修煉しているのだ。一日中何時も佛に
成ることを考えているなら,それは強大な執着なのだ。この心を除
去しなければ永遠にいけない,だから修煉は人の心を除去すること
だ。あなたは常人の中で如何なるものを執着することも執着心だ。
これを追求し、あれを追求すると言うが,あなたはそれを追求すれ
ばするほど無い。あなたはこの心を放棄して初めてそれがありえる
,皆さんぜひこの理を覚えなさい。常人の中であなたは何かのもの
を得たいなら,あなたは追求しても良い,あなたは学んでも良い,
努力してから得られる;しかし常人を超えるものを,放棄しかしな
いで初めて得られる。何と言うか?求めなければ自ずから得ると言
う。 あなたが言ったその怖い問題について実際は何も怖い事がな
い,漂うなら漂っていい。当時あなたに知らせる人はいなく,教え
る常人中の師父はいないからだ。漂って来たことはとても正常な現
象で,それは人の意念の制御を受けるのだ。あなたは私が降りると
言って,あなたが考えると,彼が降りられる;あなたは上がると言
ったら上がれる。あなたは愈恐れる時また執着心となる,彼がそれ
で落ちやすい,だからぜひ恐れないで。過去ある人が羅漢に修成し
た,喜ぶと彼が落ちた。何故なのか?喜ぶ,人のこの喜びも情けの
体現で,一つの執着でもある。一人の修成した人としては,あなた
は私を罵り,あなたは私の陰口を言っても,私は無頓着である;あ
なたは私を良いと言っても,私は心を動かさない;あなたは私を良
くないと言っても,私は気にしない。だから彼は喜ぶと,彼が落ち
て来た。羅漢に修成したこともなかなか容易なことではない,最後
にこの人は続けて修めるのだ!数年して彼は又羅漢に修成した,彼
は今回は心の中で考えた:私は喜んではいけない,私は喜ぶとまた
落ちてしまうだろう。彼は心の中で自分が喜ぶことを恐れた。とこ
ろが彼が恐れると,彼が又落ちてしまった。この恐れることも執着
心であるからだ。佛を修めることはとても厳粛な事で,児戯ではな
い!だから皆さん必ずこの問題に注意しなければならない。
皆さんが問題を出す前に私はもう一つの問題を言う:我々は煉功
して必ず専一しなければならない。在席の多くの者は以前密宗を習
ったものである;多くの人は佛教を信じるものである;多くの人は
キリスト教や、天主教を信じるものであると私は知っている。私の
思うことでは:修煉は専一でなければならない!何故専一でなけれ
ばならないか?これはごく確かな真理であるのだ!現在末法時期に
人は修成できない,これは一つの主要な原因である。幾つかの原因
が促成したのだ:法に対して理解できない;それに混ぜて修めるの
だ。混ぜて修めることは一つの主要な原因である。あなたはこの功
を煉る以上,あなたは他の功を煉ってはいけない。何故このように
あなたに教えるか?つまりこの“衆家の長所を取る”という言い方
は常人が言ったからだ,常人の技術知識を求めるならこの理だ。し
かし修煉の理は専一でなければならない。佛教の中では不二法門と
言う。あなたは私は佛をも修めるし、道をも修めると言ったら,そ
れでは何も修成できない,誰でもあなたに功を与えないのだ。“修
は自分にあり,功は師父にある”であるからだ。皆さん考えて見て
,気功で鍛えるだけでは佛に修成できるものか?密宗は呪いをすれ
ば,少し意念活動を加えれば,幾つかの手印を結べば佛になれるか
?人の意念は何もならない,ただ願望だけだ。真に作用をするのは
師父である!ある人は考えている:何れも佛家のもので,我々は念
仏をもするし密宗をも学ぶし,佛家気功をも煉る,これは良くない
か?それは人の認識で,神はこのように認識しないのだ。皆さんは
考えて見て:如来佛、阿弥陀佛はどのように修成したのか?自分の
修煉方法に基づいて圓満となったのだ,彼の功も自分の演化形式に
基づいて,彼の世界を圓満させて,彼自分を修成させたのだ。彼の
一切も彼の修煉過程中の彼自身のその修煉形式の要素でもたらした
のだ。
釈迦牟尼佛の圓満方法は“戒、定、慧”と言う。四禅八定等を修
めて,彼のその修煉方法に従って歩む。この一門を修めるにはあな
たの功も釈迦牟尼佛の修煉する功であって始めて,あなたは彼のと
ころまで修煉できる。あなたは密宗を修煉したければ,それではあ
なたは密宗の身、口、意の要求に従って始めて,あなたは大日如来
が主持する天国のところに修めて行ける。何でも煉るなら,あなた
は何も得られない。あなたは浄土を修め,阿弥陀佛を念じる,それ
で後であなたは又禅宗の理論を学ぶなら,あなたは同様に何も得ら
れない。人はその一つの身体しかない,身体を佛体,佛の身体に変
えるには,皆さんが知っているが,それは決して容易な事ではない
,あなた自身はできないのだ。それは佛がやらなければならないこ
とだ,あなたの身体を佛体に変えるなら,それは非常に複雑な事で
,人類の一番精密な機器よりも複雑だ。彼があなたの身体の中に下
して入れた一揃いのものは機制と言う,またあなたに沢山の各種の
佛法神通を圓満させる種を下して,丹田の田に埋めておく,この一
切は皆彼自分のこの一門のもので,あなたは始めて彼のこの一門の
中で修煉でき,始めて彼のその佛国世界の中に修めて行ける。若し
専一しなければ,あなたは身体が一つしかない,どうしてあなたを
二つの佛世界の一人のあなたに修成させることができるか?どうし
て二人を修め出せるのか?佛はあなたがこうすることを見ると皆あ
なたにものを与えない,彼はあなたの心性が良くないと思う。明白
に言えば,あなたは人が佛法を撹乱したいことだ。如来佛が如来佛
に修成したのは何と苦しく、何と難しいだろう!一人の如来佛が如
来に修成するには彼はどれほど大きな苦に耐えて始めて如来に修成
できるだろう!一人の常人のあなたは彼のものを変え、彼のものを
撹乱し,二つのものを一緒に混ぜ,二人の佛が証悟したものを乱し
たいなら,これはまだ佛法を撹乱することではないか?!こんなに
重大であるのだ!しかし現在の和尚と現在の人類は佛法を破壊して
いるが彼は却って知っていない。勿論,あなたが知らないから全く
あなたのせいにしない,あなたを咎めはしないが,何もあなたに与
えない。一人にやみやみと佛法を撹乱させることはあるはずはない
。二門の佛法,二人の如来佛の法を全部あなたに撹乱されるなど。
これは絶対不可能だ!だからあなたは混ぜて修めれば,得るのは不
可能だ。私はただ佛家のものを修めて,私は道家のものを修めず,
私は全て佛家のものを修めれば良いと言うことではない,佛家の禅
宗も修め,密宗も修め,浄土、華厳宗、天台宗をあなたは全部修め
るなら,あなたはやだらにやるのだ,それは出鱈目にやることだ,
何も得られない。本当に何も得られない,だからあなたは一門を守
って修めなけれればならない,あなたはそれで始めて圓満となれる
。
ここで私が言ったことは一つの道理である。どうしてもあなたに
私李洪志のこの法輪大法を学ばせると言うことではない。我々法輪
大法は一つの史前の時期に曾て釈迦牟尼佛の佛教のように人類社会
で大面積的に人を度したことがあるが,今期の人類文明時期には従
来やったことがない。今期の人類が出現してから,我々は初めてま
た持ち出して,最後の一回として持ち出して人に伝えるかも知れな
いが,永遠に不壊なのだ。勿論我々は法輪世界があり,圓満となっ
た弟子は法輪世界に行くことができる。でもどうしてもあなたに私
の法を修めさせると言うことではない。あなたは如何なる一種の法
を修めても良い。彼は正法でさえあれば,あなたはその一法門の真
伝を得られれば,あなたがその一法門の中で圓満となれるとあなた
は思うなら,あなたは修めて良い,しかし私はあなたに必ず専一し
なければならないと勧める。
私も皆さんに教えておく,佛は佛の本当の面目で直接にあなたを
度してはいけない,大いに神通を顕し,佛はここに座って,あなた
に法を説く,それは人を度することではなく,それは法を破壊する
ことと言う。十悪を犯して容赦のできないものも学ぶよ,悟ること
が無くなるのだ,見ると真佛がここにいるなら,誰が学ばないか?
全人類も学ぶのだ。こうではないか?だから常人の中に転生した師
父だけが教えられ,人を度することができる。この中に一つの悟り
の問題がある,信じるか信じないかあなたの勝手だ。しかし法はあ
なた自分で斟酌できる。何しろあなたに責任を持つため私はこの道
理を言い出した,あなたは修めたいから,私はあなたに教える,そ
うしなければ私はあなたに責任を持っていないのと同じだ。あなた
はこのような機縁があって,ここに座った以上,私はあなたに教え
る。如何なる一門も現在ではとても修成し難い,構う人はいないの
だ,肝要なことは皆やだらに修めるのだ。勿論あなたは自分で把握
できれば,あなた自分で修めなさい,あなたは圓満に修成できると
思えば,どの一門で修めても良い,このような道理であるのだ,佛
は人の為に考えるので,私は皆さんに教えたい,あなたが修煉した
ければあなたは専一しなければならない。動作において他のものを
煉ることはいけないだけでなく,あなたは彼のその一門の経を読ん
でもいけない,あなたの思想の中にもその一門のものを生んでもい
けない,意念までも除去しなければならない。煉功は多くのものが
意念によるのだ,あなたの意念が出ると追求となり,あなたはその
ものが欲しいなら,そのものが来る。それでは,あなたの身体の功
が乱れ,法輪が変形し,失効する,あなたはそれで無駄修めをする
。
私は皆さんに教える:この法輪は大変貴重で,私が彼をあなたに
与えたとはいえ,私がこのものを伝えなかった前に,千年道を修め
た人も彼を得たいが得られない。得た後,この人は半分まで修煉で
きたと言える。功は自動的に法輪に演化される,あなたの心を修め
さえすれば,功が長じて,向上して来る。彼は高級生命である,つ
まり,彼はあなたの生命よりも高級である。私があなたに与えたと
はいえ,あなたが修煉したい,佛性が表現して出たからだ。この一
念が出るとあなたを度し,このようにしたのだ,あなたが得たもの
は相当貴重なのだ。佛を修めるのは非常に厳粛な事である,我々も
あなたに彼を撹乱させ,彼を壊させるわけにはいかない。若しあな
たは他のものを混ぜて修めれば,それでは我々は取り戻すほかない
,あなたにこの生命−−高級生命を壊させてはいけない。ある人は
思った,それなら私は他のものを学んだら,この法輪はこんなに威
力が大きいのに,彼はどうして構わないか?この宇宙の中に又一つ
の理があるからだ,つまりあなたは何かが欲しいか自分で決める,
あなた自分が欲しいなら,あなたは邪まなものが欲しい,その邪ま
なものは入らない穴はない,あなたは要らなくてもそれがつけこむ
!あなたは欲しいなら,それがすぐ来る,一秒の時間も無くそれが
着く。その法輪は何故構わないか?あなたが欲しいからだ。だから
皆さんはぜひこの一点に注意しなさい。人が修煉することは非常に
厳粛な、非常に厳粛なことである。
私は中国で功を伝える時,多くの人は天目が開いた層次は割合高
い,天目が開いたでも修めにくい,その高くて大きな神仙に会った
,別の空間の生命体は,かなり大きく変われるし,黄色の衣服をも
着ていて,高くて大きいので,人類は神通が広くて大きいと思う,
あなたに言う:私はあなたを徒弟として取ろう,私について学ぼう
。人のその心が動くと,すぐ彼について学ぶ,当時すぐ壊されてし
まう。彼は幾ら高くて大きくても,彼は三界を出ていないものだ,
彼は何でもない,彼はただこの空間にいないに過ぎない,彼は身体
を変えることができる,だから皆さんはぜひこれらの事に注意しな
さい。またあなたに邪魔をする魔があるよ,私について学ぼう,私
はあなたに少し何かを教える。ある人はそこに座って,特に他の功
を練るものは,何か自発功が出やすい,手印をとてもきれいに打つ
ようだが,私はあなたに教えて魔もこの手ができるのだ。あなたは
誰があなたに与えたのか分からない,だからあなたは彼に従って練
ると,彼はあなたのために身体の中にものを加えてやり,あなたの
身体が乱れてしまう。私は一部の人を見た,あなたはこれを学んだ
り,あれを学んだりしたようなものだと見た,その身体の中は目茶
苦茶で,何でもある,あなたは全然修煉できないのだ。我々は縁を
唱える,あなたは私に会えることも,あなたの縁である。あなたは
真に修めたいなら,我々は徹底にあなたの為に整理してやる。良い
ものを残してやり,悪いものを除いてやる,あなたの身体を順調に
整理して,浄化させて,乳白体の状態に達してから初めて,あなた
は真に功が出て層次を高めることができる。
問:あなたは沢山の法身があって人の修煉を指導することができ
ます,しかし我々はオストラリアにおり,誰が我々を引導しますか
?誰を師となさいますか?
答:この中に彼が一つとても重要な問題を提出した。皆さん知っ
ているが,一人が修煉するならこれは一つ非常に厳粛な問題だ。人
は生生世世に業力があり,前生前世に良くない事をやったので,別
の空間に仇と債務主がある。彼はあなたが修煉することを知ってい
たら,それでは彼はあなたに仇を報いる,それで初めて修煉する人
は生命の危険に直面している。だから私が言ったように,若し師父
がいなければ,あなたが修成することは全く不可能だ,絶対に修成
できないのだ。師父はあなたを見守って,あなたを保護して始めて
,あなたは修成できる。あなたに如何なる大きな問題を起こさせな
いで始めて,あなたは修成できる。修煉の人は過去世界の各地にも
いたが,中国では割合多い。多くの修道の人は徒弟を取る,その後
に道教が出現して,弟子がとても多いけれども,彼が真伝するもの
は一人だけで,彼は始めて彼に問題が無いのを保証できる。彼は一
人しか見守れない,道家は彼は普度衆生の願望を持っていないから
だ。
私は何故こんなに多くの人を伝度することができるか?中国では
現在千万の人が学んでいる,まだ国外の者を加算していない。何故
皆さんに問題が出現していないか?我々の在席のある者は自動車に
衝突されたが,自動車を壊して,彼は確実に問題が無い,痛みも無
い,恐れもない,どこも壊れていない。何故こうなれるか?つまり
それらの債権者はあなたを捜して請求しに来たのだ,しかし我々は
却ってあなたに真に危険を発生させてはいけない。但し,この借り
をやはり返さなければならない。若し師父の保護が無ければ,それ
ですぐ死んでしまう。死んだらどうして修めるか?私は無数の法身
があり,私と同じ顔をしている。彼は別の空間にいる,無論大きく
変わったり小さくなったりすることができる。とても大きく変わる
し,とても小さく変わる。彼の智慧は完全打開したので,法力は佛
のようである,主体は私の処にある,彼ら自分は独立に事をやる能
力があり,彼らはあなたを見守り、あなたを保護して,あなたを助
けて功を演化して,何らかの事することができる。実は彼は即ち私
の智慧の化身である,だから,私はあなたを保護できる。私はオス
トラリアにいないが,大法を既にあなた達に伝えた,法を師として
いい。
問:法身は我々の修煉を指導し我々を保護することができますか
?
答:一人の修煉の人は邪魔の事に遇う時,私の法身はあなたのた
めにこれらのものを解け,出現させず,あなたをも点化する。あな
たは本当に悟らない時,あなたは修煉が悪くないなら,彼はあなた
の目の前に現れてあなたに何かを教える,あなたに音声を聴かせる
かも知れない。あなたの修煉層次が足りないので,彼をあなたに見
させるはずはない,彼はあなたに音声を知らせるが,多数はあなた
が寝ている時彼はあなたに見させる。こうしてあなたは夢を見るこ
とのようで,真なのか偽りなのか,まだ悟りの存在がある,だから
多数は夢の中で見ることができる。若しあなたの定力はとても高い
なら,打坐中にも見える。しかしあなたはいつも私が見たいなら,
それも一種の追求、執着である,だからあなたに見させてもいけな
い。あなたは構わない時,将来あなたは修めさえすれば,必ず見ら
れる。
問:師父は私を保護しますが,私の業障はとても重いです,どう
して保護されますか?
答:これも一つとても重要な問題を提出した。今日の人類社会で
は,人は皆業に業を積み重ねてこの一歩に至ったので,業力は既に
相当に大きくなった。人はこんな大きな業力があるだけでなく,人
の生命は転生できるのだ,動物、物質、植物、高層空間の生物、低
層空間の生物に転生する。六道輪廻だから,皆転生できる。それで
は人は徳と業力を持って行くのだ。現在の人は徳の成分が小さく,
業力が大きい。それで見て行けば人に業力があるだけでなく,セメ
ント、土までも業力がある。過去皆さん知っているが,中国で,農
民は畑で野良仕事をしてその手が若し切れたら,土の粉を少し取っ
て付ければそれが治る,土の粉を少し付けるだけで治れる。現在あ
なたは土に敢えて触れるか?あなたは触れなくても破傷風に罹るよ
!至るところにも業力がある。物質の上に業力があり,植物の上に
業力があり,動物、人にも至るところにも業力がある,だから高層
空間に於いて見れば,人類社会では黒浪は押し寄せる。何故流行病
があるか?とても厳重な流行病は,取りも直さずその黒浪,密集度
のとても大きなその業力団が,ころころして来たりころころして行
ったりするのだ。この処に転がった時,彼は流行病が出現する。現
在人類の業力はこんなに大きい,どうすればいいだろう?私は皆さ
んに教えておくが,あなたは修煉したいなら,つまり私が先程言っ
たように,借りた何匹の命を,すっかり返してから又修めるなら,
恐らく時がたち情況が変わって,あなたも私に会うことができなく
なってしまう。
それではどうしようか?この宇宙の中の人は人になるためではな
く,修煉して帰り,真にあなたを生んだところに帰るためである。
ある人は,私は常人社会の中におり,私はこの常人の情を放すこと
ができないよと言った。修煉したら,私の妻と子供、父母兄弟はど
うしようか?それなら私は生きていてもつまらないものだ。それは
あなたはあなた人の角度に立った認識で,現有の基礎で考えたのだ
。あなたが新しい基礎上に向上して,層次を高めてからあなたはこ
う考えるはずはない,あなたが別の一つの境界の中にいるとあなた
はこのように考えるはずはない。しかし私はあなたに一つの道理を
教えて:誰があなたの本当の身内のものであるか?ここで私はあな
た達の家庭関係を妨害することではないよ,人は六道輪廻の時,あ
なたは現世に人となったが,来世に動物となり植物となる,一世一
世に続き,各生各世にあなたはどれくらいの父母があるか,どれく
らいの妻と子供、姉妹兄弟があるか?あなたはあなたの生命の長い
河の中においては,あなたが数え切れないほどだ。それに人である
ものもあるし,人ではないものもある,どれが真のものであるか,
人はあまりにも深く迷ったものだ!あなたの真の父母は宇宙のあな
たを生んだその処にいるのだ,あそこだけにあなたの父母がある。
生命は二種の出所がある:一つは厖大な物質の運動下に生まれた生
命である;一つは宇宙の物質の運動下に生まれた有形な生命である
,彼自分は人が妊娠したように,生命を生む。このような生命なら
,彼は父母がある。だからあなたの真の父母は,そこであなたを見
ていて,あなたが帰るのを待ち望んでいるがあなたは帰らなく,こ
こに迷っているのに,まだここは皆身内のものだと思っている。
人が人になることは目的ではなく,返本帰真こそ目的だ。一人の
人には若し佛を修めるという一念が出たら,彼は修める機縁がない
が,彼も佛を修める善果を蒔いた。何故こう言うのか?つまり彼に
出たこの一念は大変貴重だ!人はこんな一つの苦しい環境の中,こ
んな一つの迷う環境の中にいても,彼はまだ帰る心があり,まだ佛
を修め善に向かう心がある。それでは,あなたは若し修煉したいな
ら,皆あなたを助けて方法を考えあなたの為に青信号を付ける。人
はこの一念があると,十方世界を震動させ,金のように光り,誰で
も見られる。この人は修煉したい,こうなのだ,業力がこんなに大
きくなって,どうすればいいだろう?それでは方法を採ってあなた
の為に業を消す。業を消すことは無条件に消してはいけない,全部
消してやることもいけない。他人はどの程度までできるか?私は見
ないが,佛教の中の言うことでは,あなたは一世では修成できない
,何回も輪廻して始めて修成できるという,つまりあなたは一遍に
そんなに多くの業を消すことができない。しかしあなたは本当に修
めたければ,我々はこの一生何とかしてあなたに修成させ,この世
で圓満となる。若しあなたは真にとても年を取って,或いは寿命が
とても短くて間に合わないなら,あなたは法輪を持って天年に入っ
て、転生する。生まれるとこれを持って次回の因縁を続けるはずだ
。
一人の人は正法を修めるなら,私はあなたの業力をあなたが修煉
でき,あなたが耐えられるまで消してやり,あなたの為にこの程度
まで消してやる。全部消したらいけない,少しも返さなければいけ
ない。それでは返すこの部分は如何に返すのか?我々はそれをあな
たの修煉の道に置き,全てはあなた自身の業力である,あなたの修
煉中に向上する必要がある不同の層次に置く,それはあなたが心性
を高める時に生じた一関一難として,層次を高める必要がある時に
なると,あなたは幾らかの迷惑の事に会うはずで,或いは身体はど
こかが痛いと思う,それではこれは全てあなたに悟らせる,この時
は自分を煉功人として対処できるか。常人と同じようにこれらの問
題に対処するか,それを放下し,それを淡泊に見ることができるか
。あなたはこの一関一難を向上する良い機会だと見なして放下した
時,あなたはこの一関を通ることができる。一部の人は修煉して彼
は難がとても大きいと思うが,実は大きくない。あなたはそれが大
きいと思えば思うほど,それが高くて大きく変わり,あなたは小さ
く変わる。あなたは若し気にしなければ,彼を気に掛けなければ,
青い山さえ残してあれば,燃やす薪が無い心配はない,師がおり,
法がおり,何を恐れるか?それを相手にしない!放下した時になる
と,あなたは難が小さく変わり,あなたが大きく変わり,あなたは
一歩だけで越えられ,その難は何でもなく変わると発見できる,き
っとこうであるのだ。越えられないのは,実質は彼が執着心を放下
できない,或いは法を信じない。大多数はこの心を放下できないの
でなければ,あの心を放下できないのである,皆心を放下できない
原因があって始めて彼に越えさせられないのだ。彼は人のその一歩
から退くことができないので,彼は越えられない。
問:私は一つの問題があります。私は法輪大法を修煉して既にか
なり長い時間が経ちました,私はむさぼるように先生の本を読んで
,先生の録画を見ます。しかし私が分からない話が一句あります,
つまり先生の言ったお話では:法輪はあなた達は自分で煉るなら煉
り出せないのだ,先生が自らあなた達に一つの法輪を下さなければ
ならないと。それで,私は中国に行って先生に一つの法輪を下して
いただきたいと思っています。これは一つの問題です。もう一つは
,若し法輪がいましたら,どのようにして自分に法輪がいたことを
証明できますか?この二つの問題だけです。
答:多くの人は一つの問題を心配している,我々はこの法を学び
たいが,あなたの授業を聴いたことがないし,あなたの顔を見たこ
とがないなら,我々は法輪を持てるか?あるものは何も感覚がない
,先生は我々に構っていないではないか?この問題は多くの人もあ
るはずだ。実は私は既に本の中に書いておいた,あなたは法輪があ
るはずだ。私は普度衆生をしに来たのだ,若し私はあなたに責任を
負わなければ,あなたはこれらのものを見たらあなたに危険をもた
らす,だから私はあなたに構わなければならない。あなたは真に修
めるが私はあなたに構わないなら,私は人を害して,人を死地に置
くことと同じだ,それでは私は報いに遭う,だから私はこうしては
いけない。私はこうした以上,私はあなたに責任を持たなければな
らない。多くの根基のかなり良い人はこの本の各字も法輪であると
いうことが見える。空間は違うからだ,更に深層空間を見ていけば
,各字も私の法身であり,全て佛の形象である,辺旁部首も単なる
佛である。皆さん考えて見て,一人の佛の威力はもうかなり大きい
,あなたはこの本を持って読む時,何故病が治るか?あなたの目は
良くないが,何故あなたはこの本を読めば字がいよいよ大きくなる
か,目も疲れなくなるか?何故あなたはこの本を読めば奇跡の変化
が発生するか?その字は法で構成したのであり,彼はあなたのため
に一切の事をやれる,彼があなたに法輪を下すことができる。私は
まだあなたに構っている法身がある,この一切の事は彼らが全てや
れる,だからあなたは私本人に会わなくても得られる。
感覚に至っては,ある人は彼が敏感で,下腹で回っていると感じ
られるかも知れない,一か所が回っているだけではないよ,全身ど
こでも回っている。我々の在席のある者は過ちの話を言った,今後
注意しよう。我々法輪大法は九つの法輪を煉ると言った。私はあな
たに教えておく,私が真に下してやった法輪は一つだけだ。この一
つの法輪だけでもう威力無比だ,彼は無限に分身できる。あなたが
修煉する初期に,あなたの体を調整するために,私があなたの体外
に下してやった法輪は何百あるか知らない,どこにも回っている。
ある者はここで回っている、そこで回っている,おや全身とも回っ
ている,至るところでも回っていると言った。あなたの体を浄化し
てやり,同化させるには,私は我々のこの功の特性であなたを調整
しているので,あなたは至る処にも回っている法輪がおり,多くて
あなたが数え切れないほどだと思うはずだ。あなたは九つがあると
感じたかも知れない,あなたはそれで九つがあると言う。だから私
はかなり多くの外用の法輪であなたの身体を調整してやる,ある者
は敏感であるが,ある者は敏感ではない。不敏感な者は感じられな
いが,敏感な者は感じられる。ところが感じられても,感じられな
くても,これは全て初期のことだ。感じられる人は彼が順応になっ
て,あなたの身体の一部分になった時,あなたは感じが無くなる。
あなたの心臓が鼓動しているが,あなたはそれが平時鼓動している
ことを知っているか?あなたが手で触ればあなたは分かる。あなた
の胃が蠕動しているが,あなたはそれが動いていることを知ってい
るか?あなたの血液が流転しているが,あなたは知っているか?彼
があなたの身体の一部分となった時は感覚が無くなる,感じられな
くなる。初期にも感覚が無い時もある,初期にかなり大きな一部分
の人は感覚がない,しかし以後の修煉の中で,あなたは多くの感覚
があるはずだ。あなたが修煉さえすれば,私は必ずあなたに構うの
だ。
一番顕著なことはあなたの身体が速く浄化される。中国大陸で多
くの人も知っている,法輪大法を修めることは大変不思議だ!煉る
と病を除く。何故だろうか?多くの人は彼は病気治療を求めていな
い,彼は大法がすばらしいと思って始めて,彼は煉る!その結果は
病が治った。しかし往々にして一部分は効果が良くないこともあっ
た,何故良くないだろうか?彼は法輪大法が病を除けると聴いて,
彼は病を除く目的を抱いて煉りに来たので,彼の病は除けない,“
求めなければ自ずから得る”。あなたは病を除きたいということも
求めることだ,人の身体は業を返すべきで,病があるべきだ,あな
たは修煉の心を抱いて,あなたの病を治療する心を除かなければな
らない,あなたは病を治すことを考えなければ,これらの事に構わ
なければ,あなたは一心に煉功するだけなら,あなたは何でも得ら
れる。しかしあなたは病を治療する心を抱けば,何でも得られない
。過去我々はずっと精神病人と危篤病人を入場させない,つまり,
この危篤病人はあなたは如何にして彼にその心を放下させても,彼
は放下できない。彼の生命はもうすぐ終わるから,彼は彼の病を考
えないことはできるか?彼は夜眠れないのも病のためであるので,
あなたは如何に彼に放下させても彼は放下できない。時に彼は口で
は放下すると言うが,頭の中ではやはりとても強く考えている,だ
から我々は何もできない。何故できないのか?正法を伝えて人を度
するのには要求,とても厳しい要求があるからだ,そうでなければ
我々は邪法を伝えているのだ。あなたはこの一念を変えなければな
らない,我々はそれで始めてあなたの為にやれる,この一念を変え
なければ,我々は何もできない。この一念を変えれば,あなたは常
人ではない,この一念を変えられなければ,あなたは即ち常人だ,
その差はここにあるのだ,だから求めなければ自ずから得るほかに
ない。一部の人は何の考え方も持たずに来て,とても良いと思って
,煉って見よう。人々は皆気功を煉ることを見て,彼もわけが分か
らずに煉りに来たが,彼は却って何も治った。勿論我々は一遍に人
々にかなり高く要求しない,一つの認識の過程が要る,これはかま
わないが,如何なる求める心を抱いて修煉に来てはいけない。
問:先生,申し訳ございませんが,私は三つの問題が聞きたいで
す。第一の問題は私が《轉法輪》を読んだがその中に言ったあの奇
門功について,彼はあなたの煉った功を折らないですが,ある功は
あなたが煉って以後あなたの十分の八を折ってあの世界を充実させ
ます,それでは我々が煉ったこの大法も折りますか?
答:人は常人の中で修煉するので,人は将来佛になる為に具備し
ている一切のものを全て煉り出さなければならない。皆さん知って
いるように,あの佛は彼は欲しい物なら何でもある,しかも神通が
広くて大きく,彼の福分は無比である。彼はどこから得たのか?彼
はどれほど大きな苦しみを嘗めれば,彼はそれほどの福を得る。そ
れでは,彼は長じたこの功が相当高い程度に達して始めて佛に修成
することができる。過去これは我々修煉界でとても高く修煉した人
の間に言うことで,過去常人の中では言わない話だ。一人の修煉の
人として,確かにとても高く修煉して始めて,あなたが圓満となれ
る。何故なのか?あなたは功があるだけであなたが上がったら,あ
なたは欲しいものなら何でも無ければ,あなたは一切の福分もなけ
れば,これはいけない。あなたは修煉過程中に,あなたは彼を全部
修め出さなければならない。全修煉過程中に耐えた苦は,つまりあ
なたの威徳で,苦しみに耐えれば功が長じる,心性が向上したら彼
に功が長じる。だから将来とても高く深い層次に修煉してから,ま
た功の十分の八を取ってあなたのその果位無辺の福分を圓満させる
。あなた自分の小世界の中を充実させる,それはあなたが苦しみに
耐えて修めて得たものだ。あなたが修めて得たその心性基準までも
折って,中に充実して始めて,あなたの福分となる,それはあなた
が苦しみに耐えて得たものだ。しかし残ったその十分の二は,それ
こそあなたの果位である。菩薩の基準に達したら即ち菩薩となる;
佛の基準に達したら即ち佛となる;羅漢の基準に達したら即ち羅漢
となる;更に高い境界に達したらあなたが即ち更に大きな佛となる
。しかし奇門修法は割合複雑であるが,彼自分が功で福徳を圓満さ
せることも必要だ。
問:私の聞きたい第二の問題は:我々は心性があまり高くないの
で,人々に罵られたら,或いは苛められたら,私は心の中で怒って
たまらなかった。それでは先生の言われたことでは人々はあなたを
殴り、あなたを罵り、あなたを苛めることは徳をあなたに与えるの
です,それであなたは心の中で怒ってはいけない,若し怒ったら功
が長じないのですか?
答:一人の煉功人として,あなたは常人の為怒った時既に常人と
同じとなったからだ。怒った時あなたはそとへ推しているが,あな
たは推し返せないに過ぎない。推し返せないのはあなたは畢竟失っ
たからだ,あなたは彼に同じように対処すればそれを推し返す。あ
る人はこう考えていた,この奴は物凄く私を苛めた,私の金を沢山
騙した,私はまだ喜んで彼に感謝するなんて。あなたは私を殴った
,私はまた罵られた,私は罵り返してはいけないばかりか,私はま
だ彼に感謝しなければならない。人々はお前がそれで阿Qとなった
ではないか?あまりにも気が弱いだろう?違う。皆さん考えて見て
,あなたはそんなに高い心性が無ければ,あなたはまだできないの
だ。それは修煉者は意志が強い表現である,常人ではできるか?彼
はそんなに固める意志が無く彼はできないのだ,それは気が弱いこ
とではない。勿論あなたは喜ぶべきだ,皆さん考えて見よう,彼は
若しあなたを苛めなければ,あなたは一塊の徳を多く得るはずはな
いだろう,あなたは一塊の徳を多く得たらあなたは一塊の功を修め
出す,彼があなたを苛める時,あなた自身の業力も消えているよ!
あなた自身は業力を持っていれば佛となれるか?あなたはきれいに
消さなければならない。彼はあなたを苛めたがあなたに徳を与えた
,あなたはまた業を消した,あなたは彼と同じように対処をしてい
ず,心の中はとても平静で,あなたの心性基準が高くなった,心性
は頭上に尺度がある,頭上にあるこの尺度はどれくらい高ければ,
功はどれほど高い。あなたは心性も高くなったし,功も高くなった
,あなたの業も徳に転化した,彼もまたあなたに徳を与えた,あな
たは一挙四得だ。あなたはまだ彼に感謝しないか,確かに内心から
彼に感謝するべきだ。私が先程言ったからだ,人類社会では思った
良いと悪い理は反対になったのだ。高層次に至ったら,人の執着す
るものは全て良くないものだと発見できる。
問:第三の問題は本の中に言った殺生の問題です。殺生は一種の
かなり大きな罪業ですが,一人の人は彼が自殺したら罪だと言えま
すか?
答:罪だと言える。現在この人類社会は良くなくなった,どんな
へんちくりんな事も出現した。安楽死を言うなんて,注射してその
人を死なせる。皆さん知っているか,何故注射して彼を死なせるか
?彼は苦痛だと思う。しかし我々は却って,彼が苦痛することは業
を消しているよ,彼が来世に転生して,全身が軽くなって,業力は
ない,彼に彼を待っているかなり大きな幸福があると思う。彼は苦
痛中に業を消している時,彼は無論過ごしにくい,あなたは彼に業
を消させずに彼を殺すなんて,それは殺人ではないか?彼は業力を
持って行ったら,来世にも彼は業を返すのだ。それではあなたに言
わせればどれが正しいか?自殺したら又一つの罪がある。人の生命
は手配されておいたものだ,あなたは神の全体全局の順序を破壊し
た,あなたのやった社会に対して尽くした義務を通じて,人と人と
の間はこのような関係に連帯されている。死んだら,それで全部の
この順序は神の手配を乱したではないか?あなたは彼を乱したら彼
もあなたを許さないよ,だから自殺は罪があるのだ。
問:佛はやりたいことなら何でもできますが,佛は心を清らかに
保ち寡欲ではないですか?彼は楽しみを受けることがありますか?
答:ある人は佛はご飯を食べない,佛は人の身体も無いと言った
。この話を聴けば人々は皆佛はこうであるのだと思う。私はあなた
に教える,修煉界の人が言い出した話を,常人の思惟で認識しては
いけない。佛は人の身体が無いということは,分子のこの層の粒子
物質で構成した人のこの汚い身体が無いことだ。彼の身体の一番粗
い顆粒は,表面は原子で,一番微視的な顆粒は宇宙中のもっと微視
的な物質である。彼の物質は微視的であればであるほど,彼の放射
性能量は大きい,佛光普照だから。ある人は佛はご飯を食べないと
言った,佛は人間のご飯を食べない,彼は彼のその層次の中の物質
を食べる。彼は人類の言語名詞である“飯”とも言わない。だから
あなたは佛の境界の中の言語の意味を理解できなく,彼らを理解で
きない,人は人の考え方であるだけだ。
ある常人は佛になったら,なんと面白くないだろう,何も無くな
った,そこに座ると木のようだと言った。私はあなたに教えておく
,佛は彼のその天国世界の法王である。我々は如来と呼ぶのは彼の
心性基準層次体現の呼び方を指すのである。彼は実際には彼のその
天国の法王である。その世界の中にいる無数の衆生を彼は管理して
いる。勿論我々常人が法律で強いて管理するようなことではなく,
彼は完全に慈悲善心で管理している,皆さんは皆その境界基準で,
比べられないほど美しくて良い,彼は常人の中の情けが無い,しか
し彼は慈悲,更に高い境界,更に純潔なものを持っている,一切の
常人の中に具備しているものを彼は全て持っていない。彼は相応の
更に高い境界の中の更に素晴らしいものを具備している,これが高
級生命である,まだ更に高級更に高級更に高級のものがおる。全て
面白くないなら死んだらいいじゃないか。彼は更に美しく良い,そ
の世界に着いて始めて何が幸福か分かる。彼は更に美しく良い,し
かし常人のこれらのものをあなたは放下しなければ,除去しなけれ
ば,あなたは彼を得ることができない。
問:何故奇門功はその功を折らないのですか?
答:奇門功は折らないって,誰が言ったのか?皆修めて得た功を
用いて彼らの果位を圓満させなければならない。奇門修煉は一種だ
けではないよ。いろいろなもので,とても奇特なのだ。彼は修煉過
程中に,あるものは修煉しながらこのものを圓満させている,払い
は同じだ。彼はこの上に長じないので,彼は折らない。折る人なら
彼の功が速く長じる,彼は折らない,彼は修めながら福徳を圓満さ
せるので,彼には長じるのはとても遅い,払いは同じだ。
問:二つの問題です。一番目の問題は:私は最初一日目に打坐す
る時,師父の法身が私の側に,私の左の側にいたことが見えました
,しかし着た衣服は黒色です,満面にえみをたたえました,私はそ
の後資料に書いてあることを読みました。私は初めて見えたのです
ので,今日ご指示をいただきたいです,テレビ番組の色ではないで
す。
答:これも不同の空間のためで一つのコントラストがある。例え
ば,あの道の好きな色は何か?紫色です,だから彼は紫気東来と言
い,紫色は最高だと彼は思う。佛家は黄色,金黄色を好きがる,し
かし彼は同じ色である。それはこの空間においては紫なのだが,あ
の空間においては金黄色である。それでは我々の空間で見た黒いも
のは,別の空間で見たのは白いものである;こっちで見たのは真っ
白いものだが,あっちで見たのはまっ黒いものである;こっちでは
緑色であれば,あっちでは赤色である。彼の全ての色は何れもこの
ような一つの不同の空間の不同の顕現がある,それではあなたはち
ょうどそのような一つの状態の中にいたら見たのはそのような一種
の色である,皆さんはこの一点に注意すべきである,ある時この魔
の妨害はとても酷い,大多数の私の法身は佛の袈裟を着ていて,青
い髪の毛で,くるくると巻かれている青い髪の毛で,とても青いと
ても青い,青藍色である。ある時,極めて特殊な情況で始めて私の
このような衣服を着る法身が見える,極めて特殊で極めて特殊で,
めったに見えない,だから皆さんはこのことをはっりき区別しなけ
ればならない。彼は若し私であれば,あなたの心では彼は私であり
,とても落ち着いていると思う;彼は私でなければ,あなたは心に
疑問号が出るはずだ。
問:私はこの法を学んで既に二カ月経ちました,この二カ月で私
の何十年の病も無くなったと感じました。私が大法を学ぶ目的は私
の業障を除去するのです。この二カ月は,私は本当にとても気楽に
過ごして,少しでも薬を飲みませんでした。これは一点です。もう
一点は,打坐中見たあれは法輪ですか師父にご指示していただきた
いです,私は螺旋式の回転、回転が見えました。しかし,色は一種
の土の色で,泥土の色と同じで,その回転は大変奥ゆかしいが,し
かしこの中の構造が見えません。
答:その法輪はその符号を除いて,その底色の色が変わる。赤、
橙、黄、緑、青、藍、紫、有色、無色で,それが変換できる,だか
ら法輪は皆このような色とは限らない。それに法輪があなた達の身
体を調整する時その回転はとても速い,見ればあの電気扇風機の風
車のようで,あの竜巻が吹くようだ。ある時に回転がとても遅い,
それなら中の構造がはっきり見える。とても速く回転している時容
易に見えない。初期身体を調整する時,彼は自分で速くなるべきか
遅くなるべきか,どう回るべきか知っている,これはかまわない,
全ては正常である。
問:大蓮花手印を打ってもいいですか?
答:大蓮花手印それは一つの定印で,つまり固定の印である,こ
れが大蓮花手印である(手振りをする)。我々が煉功する時に打つ
必要が無い。家のこの佛像には師父に開光してもらう時打つ,或い
は道家老子や,原始天尊や,他の佛像に,あなたは私のその本を持
てば一番良い,写真があるではないか?あなたは私に言うように,
“先生,ご開光をお願いいたします。”と言って,手で大蓮花印を
打ってこの本を捧げて,三秒間で終わる。私の法身は一人の佛像の
ような神の法身が来てもらう。あなたは若し阿弥陀佛に開光してあ
げたいなら,私の法身は一人の阿弥陀佛の法身がこの佛像の上に来
てもらう,これは本当の開光と言う。現在宗教中の実修しない和尚
,それに多くの偽気功師は,彼は開光できない,彼は佛に来てもら
うその威徳を持っていない,それは佛だよ,誰かが呼ぶと来るので
はない。勿論一部は鏡で佛像を照らすことを開光と言う,佛像の目
に辰砂を付けるものもある,真赤の目にする,彼も開光だと言う,
何れもやだらにやるのだ!
問:先程言われましたが,人自身は不同の天国から落ちて来たも
ので,不同の層次から落ちて来たものだ,それでは彼は自然に道理
によっては彼の元の落ちたその天国に帰るべきです,しかし人とい
う層次では,彼はどこが彼の所在の落ちた天国であるか知らないよ
うです,それでは修める時,彼の選択した方法は違うかも知れませ
ん,正に彼が縁のため法輪大法を学んだことのようでしょう。
答:あなたはやはりあなたの元のその世界,あなたの生命を生ん
だその処に帰りたいだろう,願望は良いが。あなたは現在まず解決
することはあなたがどのように帰ることだ,修めて帰る,これは最
も肝要なことだ。他の選ぶ余地は無い,全て無いのだ。全部そこに
並べて置いて,その佛はそこに座っていて,あなたはどれが欲しい
ならそれをあなたにあげると言うことではない。あなたが修めて上
がり,あなたが本当にとても高く修めて,元の位置に帰れることに
至っては,あなたはその世界にいれば,あなたはその世界の親族に
会いに行って,歩き回って見ても良い。あなたがどの世界にいるか
は構わない,あなたはシドニに住むか,それともブリスボンに住む
かどちらでもかまわない。
問:東南アジア地区で天道というものがあってかなり広範に伝わ
っているがどういう事でしょうか?
答:皆さんに教えるが,現在は末劫時期だ,釈迦牟尼佛は末法時
期に,万魔が世に出ると言った。当年釈迦牟尼佛が在世の時,魔は
:俺は今お前の法を乱せないが,お前の法が末法時期に入る時,俺
は俺の弟子孫弟子達を出して出家させてお前の廟に行かせる,お前
はどうするかを俺は見る!釈迦牟尼佛は当時涙が流れた。釈迦牟尼
佛は勿論彼は仕方が無いよ,末法に至ったら,乱れてしまう。彼の
言った末法時期は人だけではなく,廟だけではないよ,人類社会は
至るところにも人類事業を破壊する事の存在があり,このような人
の存在がある。邪教は縦横無尽にするよ!表面上彼も人に善に向か
うことを教える,しかし裏には却ってこのためではない。彼は名の
為でなければ金の為である,或いは一筋の黒い勢力の為である,全
てこれである,だからあなたが見て彼が追求するものは何のものか
?佛法を伝え出すのは人を度する為である,若し彼でお金を儲ける
なら彼は罪がこの上なく重い!勿論魔は彼はこれらを気にしないの
だ。彼は宗教の看板を揚げて或いは人を善に向かわせる看板を揚げ
て人類を破壊し,人の心を破壊し,人の心法を破壊する,これは一
番悪だ,だから私は考えているが,勿論ある話を私は口から出そう
としない。正のものと邪のものはあなたが弁別できる,自分で弁別
しなさい。誰が邪のものか,誰が邪のものではないか私は言いたく
ない。
処が私はあなたに教えることしかできないのは,一人の人は常人
社会の中に来て人を度するには,この事はあまりにも大きい,全宇
宙の神も頷いて同意しなければならない。各方面に及び,人類社会
の全ての上下に対応する民族に及び,沢山沢山の問題に及ぶからだ
,誰かが頭が熱くなってやりたければできることではない。イエス
は何故十字架にクギで止められたかを私は知っている;釈迦牟尼佛
は何故涅槃の道を歩んだか?!正法を伝えることは容易くない,邪
法を伝えるなら却って構う人はいない。構う人はいないことでもな
い,往々に正法を伝える時,邪法が多くなる,どの門に入るかはあ
なたの決まりだ。若し皆同じ門であれば,伝えるのは全て正法で,
世間に邪法が無く,全部処理されたら,それでは人はあまりにも修
めやすいのだ。この法はどのように得たのか,誰もあなたのものを
修める,あなたのこの一門しかない,弟子はあなたの法に対して確
りであるかどうかどう試練するか?だから往々に正法を伝える時,
邪法も伝える,人がどの門に入るかによる。人の悟性を量ることは
,あなたが修煉過程中にあなたを探す人が来て:おや,私について
これを練ろう,私についてあれを練ろう;おや,私は今何かいい功
を学んだよ等等,あなたを引っ張りあなたを試練するはずだ,絶対
あるはずだ。あなたの修煉過程中に,初めから終わりまでこのよう
な現象があり,あなたを引っ張って行く。何故我々はこれらの事に
構わないか?法身は何でも構える。何故これに構わないか?魔を利
用して人の心を試練して,あなたが根本からこの法に対して確りで
あるかどうかを見るからだ,佛を修めることがこんなに厳粛なこと
だ,だからこのような事の存在がありえる。
何しろ良し悪しは私が全部言った,正教でも現在人を度するのも
とても難しい,況して邪教か!あるその人はあのモデルのようの身
ごしらえをして人に持ち上げられて,持って行って至るところへ金
を貰う,人々はまだ彼女を信じる,人はとても愚かだ!法を得ない
時は騙されやすい。
問:思想業とはどういう事ですか?
答:ある人は脳の中に無意識的に良くない思想が発生できる。我
々は正法修煉である,私は社会に責任を持ち,人類に責任を持ち,
人に責任を持つという原則に基づいてこの事をしている。彼も良い
と知っているが,彼の頭の中で私を罵る,しかも彼に信じてはいけ
ない,これは全部偽りだと教える。何故こうなるのか?人は彼自身
の身体に存在した業力を除いて彼にはまだ思想業力の存在がある。
如何なる物体も生き物だ,思想業も生き物だ。あなたは煉功しよう
とすれば,あなたの思想を浄化し,これらの生生世世に生じた良く
ない人を罵る思想や,形成した観念や,各種の業力を全部除去しな
ければならない。彼を除去して始めて,あなたの本性が出せる。あ
なたは修煉してそれを消そうとし,これらの人を罵る思想概念を除
去しようとするなら,それはいやだ,それが死ぬことをそれは受け
られるものか?それはするとあなたの脳に反応する:これは全て偽
りものだ,彼を罵れ,人を罵れ,あなたは煉功すればするほど彼は
人を罵る,脳の中に人を罵る言葉,とても汚い言葉が生じる,実質
上私はあなたに教える:それはあなたではなく,それは業力で,そ
れは思想業だ。必ずそれを排斥する。我々のこの揃いの功法はあな
たに与えてあなた本人を修めるものだ。若しあなたは自分の思想意
識がはっきりしなければ,人を罵る言葉が出ると心が確りしなくな
る時,あなた自分の主意識もそれに従ったら,煉らなくなったら,
固めなくなったら,それで我々もあなたに構わない。我々が度する
者はあなたであるからだ,あなたは駄目になったら,我々も度しな
いのだ。
このような事は過去とても多かったよ。中国においてある人は思
想の反映がとても激しい。とても激しく罵った,彼は排斥しようと
しても排斥できない。最後に彼は:私は先生には申し訳ございませ
ん!まだ先生を罵ります,私のこの業力はあまりにも大きい,いっ
そのこと私が死のう,刀を取って首を切ろうとした。無論,あなた
は試してはいけない。彼は切ろうとしても切れられない,痛みも無
い,切っても血が出ない。彼はえごじになって,彼は走り出て輔導
員を探して聞いた。彼は私の脳の中でよく先生を罵りますよ,私は
どうしたら良いでしょうか?と聞いた。この輔導員は見ると,彼に
向かって法を読む,彼はとても良いと思う。その後私に聞いたら,
私は彼に教えた。実際はあなたの業力が罵っているのだ,あなたが
罵っているのではない,あなたは如何なる心理負担を持たないで,
あなたは私を罵るのではなくて,業力は罵っているからだ。しかし
あなたは主意識がはっきりしなければならない,それを排斥して,
できるだけそれを排斥して,それに罵らせない。それを排斥して,
それを抑制して,こうして私の法身は知ることができる。あなたは
何をしているか彼は全部知っている,彼は罵らなかった前に分かれ
る。これもあなたに対する試練で,あなたの主意識が確りするかど
うかに対する試練だ。あなたはしっかりすれば,それで暫くの時間
をして私の法身はこの業を消してやる。この種の思想業力は直接あ
なたの修煉を妨害し,直接あなたの悟性に影響するので,我々はそ
れを消してやる。この問題は皆さん覚えておきなさい,この問題が
出現した時弁別しなければならない。
問:一つの問題を質問します,煉功に及ぶ問題ですが,動作と心
性との関係は,動作を強化すれば心性を高めることができますか?
答:直接の関係は無い,しかし動作も圓満となる一つの肝要な方
面で,それもとても主要なものである。我々のこの功は法が人を煉
ることで,あなたは功を煉らなく,あなたは寝ており、仕事をして
おり、ご飯を食べているが,法はいつもあなたを煉っている,24
時間も絶えずにあなたを煉っている,あなたの生きている間の煉功
時間を短縮させた,できるだけ速くあなたを圓満させる。先程言っ
たのではないか,現世にあなたを圓満させると言った,こうしなけ
ればならない。しかしね,我々の煉功の動作は,実質上他の功法の
ような私が煉ると功が増える,煉らないと彼が停まるというような
ことではない。我々が煉ることは私があなたに下してやった一切機
制,体内のと体外の機制を強化しているのだ,あなたはこれらの機
制を強化している。何故私はこの手は灌頂の形式ではなく,発する
ことではなく,放つことではなくて,掌心が身体に向かって動くの
だと言ったのか?私はあなたの体外にその種の気機を下してやった
ので,あなたが気機に取り付いて動く時,あなたの手は煉功の時能
量がとても大きい,気機を強化している,つまりあなたは機制を強
化している。下腹に重ねてふせて,丹田の機制を強化する,あなた
が引っ張る時運動の機制を強化している。だから我々の煉功はあな
たを長期的に煉功させられ,24時間停まらないこの種の機制を強
化し,彼を強化しているのだ,煉功は圓満の手段だ。しかし彼は絶
対なことではなく,彼は圓満の一種の補助手段だ。処が煉功もとて
も主要なことで,この一門で修煉し出したものは,彼が変形しない
のは,あなたのこの揃いのものとあなたの動作とも直接の関係があ
る。我々はまだ術類のものがあり,まだ生命を演化して人を長生さ
せ命を修めるものが中にあり,功能を加持する等等,動作は一定の
役割を果たす。修めることは先に,煉ることは後にする,修めるこ
とは第一位で,煉ることは第二位なのだ。しかしあなたはこの一門
の中で圓満となりたいなら何れも修めるべきで,煉るべきだ。
問:私が煉功する時,何の現象も見えなく,白い光りしか見えま
せん,先生の像が見たいと思うと見えました,幻想ではないですか
?
答:私は二つの問題を分けて言う。天目に見えない人は,更に高
い層次上へと突破するというような一つの要素が存在するかも知れ
ない。悟性がとても高く,とても高く修められる人なら,彼に見さ
せなければないほど,彼は速く修めることができる。彼は苦の中に
迷っており、迷いの中で悟るので,同様に苦を嘗めても,彼は倍に
向上できる。これはちがうのだ,高いところへ修めるかも知れない
。
もう一つは,あなたは見えないとあなたは言ったが,実際にはあ
なたは既に見えた。あなたは無意識の時に白い光りが体を照らした
ことが見えた。それに,あなたはある時見ようと思うと見えた,実
際にはあなたが真に見たのだ,あなたはそれを幻覚と思った。多く
の人は見られる時彼は想像だと思う。私は皆さんに教えるが,人の
目が物を見る時,あなたが既に慣れた,これは目で見たのだと思う
。しかしあなたは思いついたか,あなたが何かのものを見たのは視
神経を通じてあなたの大脳に伝導して図像を反映したので,大脳に
見た何かの物体を反映したのだ。あなたの目はただカメラのレンズ
のようなものであるだけで,彼自身は物を分析し、反映することが
できない,大脳に図像を反映している。大脳に図像を反映する以上
,我々は天目を通じて見たものと人の思想想像は,皆大脳に反映す
るのだ。何を考えているかはあなたは大脳が考えているのだ,物を
見たでもあなたは大脳に像を成すのだ。それではある人は見られる
と彼は想像だと思う。しかし同じではないのだ,あなたが想像して
見たものならそれはそんなに真実であるはずはない,それは運動で
きない,それは固定の画面である。しかしあなたが真に見たものは
運動しているのだ。あなたがこれらに慣れた時,あなたは段々とこ
のように見て行けば,段々と慣れる時間が長くなったら,あなたは
次第にあなたが真に見たと発見できる,しかも少し良く運用できる
かも知れない。
過去ある道家は弟子を訓練する時,せっかく彼に考えさせる,彼
はこの関係を知っているので,彼の功能を訓練する。目の前にリン
ゴが無いが,仮にあなたの目の前に一つのリンゴが置いてあると言
い,どのようなリンゴだと,師父は彼に教える。実はリンゴが無い
,あなたがその匂いを嗅ぐように訓練して,それからあなたはこの
リンゴを見た,どんな様子だと感じる,このように彼を訓練する,
全て大脳の中に像が形成するので,ある人はこの問題をはっきり言
えない。どのみちあなたが想像したものでそれは動かないのだ,あ
なたが見たものはそれが運動するのだ。
問:ある時夜夢を見て,とても恐ろしいものを見ました,私はあ
なたを思いつかなかったです,私が思いついたのは密宗のものです
,しかし私はとても敬虔に法輪大法を修めるものです,それは若し
何時かの日に何かが起こって私が死んだら,元神までも要らなくな
るですか?
答:あなたはあまり本を読んでいないからだ。今大法を修煉して
いるが,密宗のものがまだあなたの思想の中にあるので,夢の中で
思いついたのは密宗で大法ではない。ある人は私に聞いて,生命危
険の事に遭ったことについてはどうするか?私に言わせればあなた
の修煉と関係の無い事は,全てあなたを遭わせない,絶対遭えない
。あなたの修煉と関係のある事は,それでは遭うことができる,あ
なたは今日若し真に生命を失ったら,如何なる一門もあなたに構っ
ていず,全然修めていないと証明する。宗教に至ってはそれは命を
返すことを主張して,一生も修成できなく,命を返してから,来世
続けて修めると言う,それはこれを言うのだ。しかし我々の処では
言わない,我々の処ではあなたにこれらの問題を出現させてはいけ
ないことを言う,真に私の弟子であれば,絶対にあなたを生命危険
に遭わせないのだ。
問:私は当時自分は夢だと知らなかったです。
答:あなたはその時密宗を練るもので,真に修煉もしていない,
つまり作用をしていないので,構う人はいない。ある人は,夢を見
た時地上にある金を見た,自分がそれを取ってポケットに入れたと
言った。実はこれらの夢は全て人に対する試練である,あなたの心
性が確りしているかどうかを見る。ある修煉人は昼間彼はとても良
くできるが,夢の中では駄目だと言った,彼の思想の深い処がまだ
確りしないので,夢の中で彼が確実であるかどうかを試練するので
,この問題が出現するはずだ。出現して良くできなかったら悲しま
ないで,重視すれば必ず良くやる,将来は良くなる。
問:李先生は国内で学習班を行う時彼らに法輪を下してあげまし
たが,今日私はあなたのご授業を聞きましたが,我々にも法輪を下
してくれたでしょうか?またもう一つの問題があります,精神異常
の人が修煉に来ることを受けないが,頭に軽い問題がある者ならど
ういう方法があるでしょうか?
答:私は先ず一番目の問題を言う。私が言ったように,この本の
中のどの字にも私の法身があり,どの字も私の法身形象である。ど
の字も佛の形象である。私は無数の法身がある,私の法身は数字で
計算できない。皆さん知っているが,釈迦牟尼佛は言ったことがあ
り,阿弥陀佛は二百万の法身があると言っただろう。私の法身は多
くて数字でも計算し切れない,数え切れない。人がいくらあっても
私も構える,全人類でも私は構える。勿論我々はただ修煉人に対し
て作用をする。修煉しない人,社会の事には,我々は構わない。だ
からあなたは修煉しようと,念を動かすと,私の法身はすぐ分かる
。また一つの問題がある。あなたは私の現在のこの身体を見れば,
常人の肉体で,これくらいの大きさだけだ,しかし一つの空間をず
らして,あなたは私の身体を見れば私よりずっと高い。各空間の,
私の身体は一つが一つより高い,一つが一つより大きい,一つが一
つより大きい,私の最
大の身体は,それは大きくて言えないほどだ。多くの学員は,一瞬
間に私のかなり大きな身体を見た。彼は:先生,私はあなたの足指
の下に立って,あなたの足指の上が見えないと言った。だからこん
なに大きな身体なら,あなたは考えて見,全地球もこの中にある,
あなたはどこにいても構える。その法輪を,どうしても私が脇にい
て始めて下せるのか?私は脇にいなくても同様に下してやれる。私
はあなたの脇にいなくてもあなたの脇にいるのだ。
あなたの二番目の問題は精神分裂症だ。軽くても良かろう,重く
ても良かろう,我々は明確に規定している:彼が煉功をすることを
主張しない。我々のこの功法は他の功法と違う,我々はただ本人を
度するだけで,本人を度することができなければ,ほかに誰にも与
えない。我々の功は本人の身体に下すだけだ,あなたの主元神を度
するだけだ,あなた自身を度するだけだ,歴史上従来このような事
があったことがない。歴史上あなたは密宗であろう,他の宗教であ
ろう,何れもあなたの副元神を度することだ。これは私が一つの千
古の謎を掲示したのだ。この謎を当時掲示した時,それは本当に抵
抗がとても大きかった。しかし将来,世界が全部美しく良く変わっ
た後,多くの佛は新たに世に出て人を度する。私だけでなく,その
時彼らも人の主元神を度するのだ。この方面を私が変えさせた,一
変させた。人の主元神を度することは,人類の社会道徳の安定に対
して直接ためになるからだ。副元神を度すれば,本人は修煉できな
い,修煉にならない,あなたは宗教の中に入ったとしても,社会は
やはりこのままで,社会に対して大きな作用はない。だから人の主
元神を度すれば彼は修めても良かろう,修めなくても良かろう,彼
は社会で一人の良い人をなす,社会に対して有益なのだ。精神病人
について,彼自分の意識ははっきりしないので,我々は度すること
ができない。我々は意識がはっきりする者を度するのだ,はっきり
しない者に我々がものを与えたら明日他人に取られてしまう。彼は
煉るか煉らないか,彼はもっと我々の規定,不二法門,これも練ら
ない,あれも練らないことを守れない。佛を修めることはとても厳
粛な事であるからだ,彼は全てできないので,度する方法はない。
ある人はどうしても彼に学ばせる,しかし問題が出現したらあなた
自分で責任を持つ。彼は功を煉って問題が起こったら,その時彼は
法輪大法を煉ったせいだと言う。精神病のある人なら我々が全然彼
に教えない,これは肯定なのだ。彼は常人であるので,彼は病気に
罹るはずで,彼に問題が起こるはずだ。彼は煉功場で彼は煉功した
い時彼に問題が起こったかも知れない,それは煉功して起こったの
ではなく,それは彼が時間になると発病すべきことだ。
問:全人類の人は皆同じで,東方では佛教を普及し,西方ではキ
リスト教で,差別はそんなに大きい,佛教は西方ではとても薄弱で
,二つの系統でしょうか?
答:何故西方ではキリスト教で,東方では佛教であるか?東方宗
教或いは西方宗教は,何故違って差異はとても大きいか?実はね,
キリスト教も佛家体系範疇の内のもので,ただ人類の差異,文化上
の差異と天体文化の差異で,人類の外観形象の違い,思惟形式の違
いをもたらした,つまり人の基準特点は違うのだ。それで彼の佛を
修める方法や,高層次上の神に対する認識の概念や,理解が違うこ
とを構成した。実質上は同じなのだ,実質上は皆佛のこの境界のも
のだ。イエスは実質上つまり如来という層次中のものだ。しかしこ
の文化上の違い,思惟概念上の違い,形象上の差異のため,彼は佛
と言わない,東方では佛と言う。勿論,形象上の違い,形象上の差
異のため,イエスの彼のその天国の人は,皆白い布で巻いた衣服を
着ている。ところが佛国世界の人は皆黄色の布で巻いた衣服を着て
いる。髪の型も違う,最大なことは髪の差異である,道家は髷を結
う;佛家の羅漢は坊主頭で;菩薩は中国古代の女のそのような髪の
型である。何故なのか?中国古代のこの身なりと天人の身なりとは
同じだ。実際は天国天上世界の人の身ごしらえと同じだ。ところが
西方でもこうである,それは彼の天国世界のその身ごしらえである
。人はこうであるのだ。勿論現在のこのファッションは全て新式の
ものになった,実は現代人が着た衣服は一番良くなく、一番美しく
ないものだ。
何故白人の世界には佛教は無いか?東方人世界にはキリスト教は
無いか?厳格に言えば無いのだ。私の覚えでは《聖書》或いはこの
一類の本の中に,当年エホバとイエスは皆このような話を言ったこ
とがある:お前らは東へ行ってはいけない。話はまだあるが,私は
この一句だけ覚えた:お前らは東へ行ってはいけない,彼の弟子に
,東へ伝えてはいけないと教えた。彼の弟子は彼の話を聞かずに,
遠征軍に従って東方に来た。この中にそれで一つの問題が出現した
。人種である,世界上の人種は混雑することを許されないのだ。現
在人種が混雑した,すると一つ非常に重大な問題をもたらした。混
雑してから上と対応関係が無くなった,彼は根を失った。混雑した
人種は根を失った,それで天国世界の中に彼を構う人がいなくなっ
たようで,どこにも属しないのだ,どこも要らなくなった。だから
あなたが見たようにこの欧州とアジア大陸との繋がる処は過去砂漠
で,無人区である,交通工具が発達しなかった時,なかなか渡って
来られない。現代化工具の進歩につれて,これは全部打破された,
だから人種が益々混雑になり,これは重大な結果をもたらす。無論
私はこれらのことを言わない,つまり上はこの種の人種を認めない
のだ。
私が先程言った問題は,人種と上は対応の関係だ,上のあの白人
は,この世界の中で,この宇宙の中で,白人はこの宇宙の一小部分
,とても小さい一部分を占めた,それは即ち彼の天国世界だ。とこ
ろがこの黄種人とこの佛の世界,道の世界は非常に多い,全宇宙の
中に殆ど充満した,あの如来佛は多くて恒河の砂と同じように多い
,非常に多く,非常に大きい,黄種人のようなこの種の人の形象は
この宇宙の中で特に多い,だから上下の人種は対応しているのだ。
イエスが言ったお前らが東へ伝えてはいけないという意味は,彼ら
は我々に属しないという。イエスは東へ伝えてはいけないと教えた
が,私もイエスの天国の中に東方人がいないことを発見した。とて
も悲しい!近代に至って,人は皆彼の主の話を聴かない,東方人も
佛の話を聴かない,だから人はこれらの事を混乱させた。私も佛の
世界の中に過去白人がいなかったと発見した,しかしね,私が今日
伝えたこれは何故西方人に伝えるか?私が伝えたのは宇宙の理,全
宇宙の理であるからだ。凡そ私のこの大法の中で修煉しあげた白人
は,将来修成したら彼の身体の形状と彼の修煉形式は皆イエス天国
の人のその形状と同じで,彼が修成したらそんな様子になるのだ。
ところが黄種人が修成したら佛のこっちの形象である。だから両辺
の人を私は全部度することができる。伝えたこの法はもうかなり大
きい,私もあなたに教えるが…,従来もこんなに大きな門を開いた
ことがない,しかし原因もあるのだ。
問:先生が言われた混血児の事はどういう事ですか?
答:先程私が話した混血児の事は,天機を人類に教えた,我々は
如何にしようとすることではない。私は私が一つの更に大きな事を
したと言った,混血の人を私も度することができる,但しこの一つ
の時期だけ,私は彼を度することができる。東方人と西方人は皆地
球にいるが,東西方は一つのものを隔てているのだ,人は知らない
のだ。皆さん知っているがこの東方人が言った,何か“九”や,こ
の発音は良く,持久という;“八”という発音は“発”で,金持ち
になるという,確かに少しだけの作用をすることもできる。東方に
用いられる風水を見るやら,地理を見るやら等等といったものを,
あなたは西方に持って行けば効かない,効果はない,白人には効果
はない。処が白人が言ったその星数や,何か現象や,東方人にも効
果は無い,ある人は効果があると思うが,それはあなたが効果があ
ると思うのだ,実は効果は無い。何故なのか?白人の生物圏では,
その中に彼自分の空間で構成した特殊な物質要素が存在している,
東方人の生物圏の中に彼その生命構成の特殊な物質の存在がある。
人の生命の構成の中にこれらのものを貫いているので,両辺は同じ
ではないのだ。人は混血をした後,あなたは彼が生んだ子供は,混
血児だと見た,しかしわね,この子供の生命の中間に一つの間隔が
ある,分けられてから彼は機体と理知が健全でなく,身体が健全で
ない人となってしまう。現代の科学も知っているが,一世代は一世
代に如かなくなる,だから彼はこのような一つの状態を引き起こす
はずだ。勿論この人は修煉したければ,私はできるのだ,私は処理
できるのだ。修めない常人には勝手にやってはいけないのだ。
問:私は煉功して冲をやる時に,掌が熱いと感じました。私は如
何なる功法もこういうことがないと思います。私が煉功している時
,私が菩薩であるようで,唯我独尊だと思うが,正しいでしょうか
?
答:あなたが煉功をする時,何の意念も加えないで。密宗はこの
ように修める:私が佛である。彼は本来そうではない,彼の肉体は
変わったか?変わっていない。修成したら将来変わったものは誰か
?副元神だ。私がこの法を伝えた時,私は既にあなたに教えた,私
が度したのは主元神だ。それではあなたの副元神が若し修成したら
,あなたは相変わらず六道の中で輪廻する,両側の生命が分けられ
た時,あなたは何も知らないんだ。掌が熱くなるのは正常なことだ
。
問:大法を修煉することには意念を少しでも加えないですか?
答:如何なる意念活動も無い,如何なる意念も執着だ。
問:二つの問題ですが:一つは先生が先程言った東方人と西方人
の問題です,仮に言えば以前多くの者は本来東方人でしたが,転生
して西方人に生まれ変わったら,どうすれば良いでしょうか?
答:それは構わない。これは二種の状況がある:若しこの人彼は
目的があって来たのでなければ,それで彼はこの身体に従って変化
する,我々が変えた者は即ちこの人だ;若し目的があって来たので
あれば,それは別の問題とする,それは別の一種の状況だ。
それに皆さんに教えておくが,この法を宣伝するのはやりかたに
注意すべきである。彼は興味があれば,彼は学びに来る,それでは
あなたも功徳を積んでいる,これも功徳無量の事である。しかし一
点がある,人は学びたくないのに,あなたはどうしても人に学ぶよ
うに勧め,人を引っ張って学ばせるなら,私に言わせれば良くない
。彼は佛を修めたくないなら,佛も彼に仕方がないのだ。人は何を
得たいか,何を求めたいか,人自分で決まりだ。善を勧め,善を勧
め,あなたは彼に教えても良いが,強いて人を引っ張って来てはい
けない,この点は皆さんに教えておくが,我々は如何なる人にも学
べと強いて要求しない。それに,我々の将来の輔導員,或いは責任
者は,仕事をする時,行政式の手段を取ってはいけない。皆さんは
皆修煉の人であるので,法で人を納得させる。皆も法を学んでおり
,輔導員はどこが良くなくやったか,どこが正しくなくやったか,
学員は見つけたらあなたの心性のどこどこに問題があると言う。だ
から彼がやり間違った事を,皆さんはやらない。何故か?皆さんは
皆法を学んでいるから,あなた自分の観念によることではなく,皆
法の要求に従ってやる。無論我々はあなたに対してもこのように対
処するのだ,あなたは学びたければ学んでいい,あなたは学びたく
なければあなたは行ってもいい,我々は如何なる人を傷害しない。
あなたは私はもう学びたくないと言ったら,学ばなければ学ばなく
ていい,あなたは学びたいなら,あなたは修めたいなら,それでは
我々はあなたに責任を負い,絶対できるのだ。形式上は緩んでいる
が,佛を修めることは厳粛なことだ。我々はこんなに大きく、こん
なに厳粛な法に,彼にほんの少しでも偏差が出るようにさせてもい
けない。歴史上従来人にこんなに大きなものを伝えなかった,あな
たは今ここに座って,私が自ずから来た,他人が言うと私が来たよ
うだと思う。あなたに教えるが,あなたに縁があるのはとても可能
だ,いつかこの機縁を造ったかも知れない。何の理由も無く来た者
はとても少ない。皆さんは更に問題を出しても,何でも無いことだ
と思う。あなたの聞こうとすることは法の中から全部解答を得られ
る。
問:修煉の不二法門の問題ですが,ある人は法輪大法を学べば,
混ぜて別のもの,それに他の何らかの伝統の数術のものを学ぶかも
知れないが……
答:佛を修めることは一つの厳粛な問題で,あなたはこの周易、
八卦を研究してはいけないと言うことではない。私は思うが,修煉
時間は限りがある,その時間があればあなたはこの法輪をはっきり
研究できれば,大したものだ,彼より大きいものは無い。現在の常
人社会が知っていた八卦の理と,多くの数術のものでも,銀河系を
超えていない。ところがこの宇宙は大きくてあなたが知れないほど
大きい。三千の我々のこの様な宇宙は,一つの更に大きな宇宙を構
成している。三千のもっと大きな範囲の宇宙は,一つのもっと大き
な範囲の宇宙を構成している,中の神、佛は多くてその数を計れな
いほどだ。あの銀河系は何だと言えるか?とても小さい。大法を学
ぶ人は,あなたは考えなさい,こんなに大きな法をあなたに伝えて
,修煉人はその精力を消耗する必要が無いと私は思う。しかし若し
あなたはこの専門を専攻する者なら,私も反対しない,これは常人
中の学問であるからだ,それではあなたは学んでいい。あなたは私
はアマチュアだと言った。あなたはこの心を引き締める方が良いと
私は思う!私はあなたに責任を持たなければならない,佛を修める
ことは厳粛なことだ。それではあなたはこの法の研究にあなたの精
力を用いるほうが一番良い,あなたは限りなく受益する,如何なる
一種の学問も比べものにならない。
常人の中でごまかしたりしたいことに至っては,私に言わせれば
それはもっとやるべきことではない。それらの低霊のものは全部鬼
であるからだ。あなたはこのものを求めては,我々のこの佛法とは
その差がなんと遠い!それに,それは全部邪まなものだ,鬼だ。な
おまたこの占い者だが,私は本の中で既に詳しくこの問題を話した
。修煉したいなら,それは一つの厳粛な問題だ。一人の人は能量が
あった時,彼が言い出した話は,その事を定めることもできる。常
人の事は安定ではないのだ,こうではないかも知れない,あなたは
人の為に見てこうだと,あなたは言うと,そうなったら,あなたは
それで悪い事をやってしまう。それでは,一人の修煉の人としては
もっと高い基準によって要求すべきだ,あなたは悪い事をやったら
,それはもう一般の事ではなくなった。私はあなたの為に身体を整
理するのは,あなたが修めたいことを見たから,我々がやってあげ
る。あなたは修煉したければ,あなたはこれらのものを放下し,清
浄に,きれいに修煉するほうが一番良い。
問:私は一つの思想負担があります,今日こんなに良い縁があっ
て,法輪大法を学ぶことができました。私は第二巻に言ったことを
読みました,現世修成できなければまだ来世に続けて修めると誓う
ことができます。しかし私の真の目的は圓満に修めることに達した
いです。しかし私は今もう年寄りになったがどうしたら良いでしょ
う?
答:年寄りの人はこのような一つの問題の存在がある。我々のこ
の功はとても速く修められるが,彼が生きている内に修煉に間に合
うか?厳格に言えば,如何なる人に対しても間に合うのだ,いくら
年を取っても同じだ。しかし一点がある,我々の一般人は把握でき
ないのだ,あなたは口で把握できるというが,あなたは実質にやは
り把握できない,あなたはそんなに高い境界に修めていない,あな
たの心はそんなに高い基準に達していないので,あなたは把握でき
ない。我々のこの功は性命双修で,修煉しながらあなたの身体を変
えて,あなたの生命を延長する。性命双修は,煉りながら延長され
,煉りながら延長される,いくら年を取った人でも理論から言えば
,厳格に言えば間に合うのだ。しかし一つの問題がある,凡そ延長
された生命は百パ−セント修煉に用いなければならない,常人の中
に生存するためではない。それでは彼は自分の生命は延長されたの
だと知らず,彼は把握できず,百パ−セントで煉功人の要求に従っ
て実行できない,それなら彼は何時も世を去る危険に直面している
,これはこの年寄りの人が直面している問題だ。
しかしわね,若し彼は真に修成できなかったら,精進しなかった
ら,それで彼は三つの行き先しかありえない:一つはね,つまり来
世続けて修める。私の法身は見てあげる,転生までも見てあげる,
どの家に転生すれば法を得られるか,これも手配するのだ。もう一
つはね,あなたももう修めたくない,人類はあまりにも苦しい,ど
の層まで修めたらその層に行く。あなたが三界を出たら,あなたは
三界以外のその一層の天で衆生になる;あなたが三界を出ていない
ならあなたは三界の中にいる,その一層の天で天人になる。但し三
界の内では,500年か,300年かまちまちで,やはり降りて輪
廻される,ただそこで何百年かの福を受けるに過ぎない,これは一
つの問題だ。またもう一つは,ある人は確かにとても良く修めた,
しかし,やはり基準に達していない,法に対する理解や,或いは少
し特殊な貢献を上げたというような人は,法輪世界に行って法輪世
界の衆生になれる,それも三界以外で輪廻されない。それは勿論良
いことだ。無論このような者は割合少ない,要求は割合厳しい。し
かし彼は佛ではなく,羅漢でもなく,菩薩でもない,彼は法輪世界
の衆生百姓であるだけだ。だからこれはこんなものだ。実際は法を
得たら,あなたのこの佛を修める機縁は既に蒔いた。
問:私は一つの問題があります,人の層次は如何に分けますか?
答:私はこのようにこの話を言ったのだ,私は上士は道を聞かば
勤しんで之を行うと言った,私は老子の言った話を取ったのだ,中
士は道を聞かば,存が如く亡が如き;下士は道を聞かば,大いに之
を笑う。どういう意味か?上士は道を聞かばというのはつまりこの
人は,修煉の事を聞くと,すぐ修めようとする,彼も信じる,この
ような人はめったにいない,一躍で立ち上がる,修めれば最後まで
する,これは上士に属するのだ。上士は道を聞かば,勤しんで之を
行い。中士は道を聞かば,存が如く亡が如き。どういう意味か?つ
まり皆さんが皆学びに来たことを見ると,我々もついて学ぼう,ど
のみち良いと思う。しかし忙しくなると,常人の中のこれらの厄介
な事が出現した時に遭うと,忘れてしまう,どうせ他人は学ばない
から,俺も学ばない。学んでも良いし,学ばなくても良い,これは
中士は道を聞かば,存が如く亡が如きと言う,修成できるかも知れ
ない,修成できないかも知れない。修成できるか修成できないか何
れも自分で決まりだ。下士は道を聞かば大いに之を笑う。あの下士
は道を聞くと,修煉するなんて,ハッハッと笑って,全部迷信だ,
信じない。無論彼は修めることがもっとできない,こうなのだ。各
人はどれほど高く修められるかに至っては,自分のその心はどれほ
ど受けられるかによると私は思う。少し厄介な事に遭っても,あな
たがこの門を出ると,あなたは受けられない。私はここで言ってい
るところ,皆さんは皆これが良いと思う。正法修煉は,持っている
能量は全て慈悲、和祥なので,皆さんはここに座って皆気持ちが良
いと思い,私の話が聞きたい。将来あなた達の修煉もこの様子で,
正法修煉も,このようだ。しかしあなたが門を出るともうあなたで
はない,この頭の中に常人の執着するいくらかのものも上がって来
た,しかもとても強烈で,修煉することなんて,又忘れた,いけな
いと私は思う。
問:又混血児の情況を言っていただけますか?
答:あの混血児について私は既に言った,私はただこの末法時期
に出現した現象を言っただけだ。若しあなたは混血児であれば当然
これはあなたが悪いことではない,あなたの父母が悪いことでもな
い,どのみち人類はこのような一種の混乱現象を引き起こし,この
ような一つの状態が出現した。黄種人と白種人,それに黒種人は,
天上で対応する民族がある。それでは彼のその民族でなく、彼の人
に属しなければ,彼は確かに構わない,これは本当の事だ,私はこ
こでなにかの事を言うことではなく,私が皆さんに教えたことは皆
天機だ。混血児は皆末法時期に出現したものだ,人のせいにしても
いけない。皆は全て波に従って流れを追うので,誰も真象を知らな
い,このように来たものだ。あなたは修煉したければ,私は仕方が
ある。あなたがどの天国に行くかに至って,我々はあなたの状況を
見る必要だ,どの部分の残ったものが多ければ,私はあなたの為に
多く同化してやる,何しろこれらのことだからあなたは修めるだけ
でいい,構わなくていい,法を得た以上まだ何を恐れるか。私は過
去法を説いた時これを言わないのだ,しかしこの事はおそかれはや
かれ人に教えるのだ。
問:人類は全て精進料理を食べればそれはとても良いことではな
いですか?
答:いけない,それはあなたが想像したことだ,天は人のために
人の生活の基準を規定した,こうしてこそ人だ。この肉食の人の身
体に対する熱量補充は野菜を超えているのだ,これは肯定の事だ,
しかし修煉は別の事だ。
問:聞かせていただきます,我々が静功を煉っている時,静の具
体的な基準はありますか?大法を修める人の主元神は何時も自分を
考えるなら,修煉は入定に影響しませんか?
答:主元神とあなたの入定とは別々の事だ。初めに静かになるの
は不可能だ。何故人は静かになれないか?人の執着心があまりにも
多いからだ,あなたの商売や,あなたの学習や,あなたの仕事や,
人と人との間の矛盾や,あなたの子供は病気があるやら,あなたの
父母に世話を見る人はいないやら,世間の事や,あなたの思いつか
ない事は無い,どれもあなたの頭の中に於ける比例もかなり重い。
皆さん考えて見,あなたに言わせればあなたは静かになれるか?あ
なたはそこに座ると,あなたがあなたは考えないと言ったが,それ
が自ずから湧いて来る,だから何の方法でも静かになれない。正に
私が本の中に言ったように,あなたはあなたが口で佛号を念じれば
静かになれる,心を観れば静かになれる,或いはあの数を数えれば
静かになれると言ったが,何れも静かになれない。それは一種の手
段で,絶対の作用をしない。あなたは執着心,常人の中の執着心を
段々と淡泊にするほかにない。淡泊にする時,あなたは自然に静か
になれる。あなたが本当に静かになれる時,あなたは既にかなり高
い境界にいるのだ。しかし一点がある,法輪大法を修煉したら和尚
と同じようになり,何も要らなく,物質上何でも無くなったのか?
そうではない。我々は最大的に常人に符合して修煉する,あなたは
常人社会の中にいるので,あなたは特別になってはいけない,表面
上あなたは取りも直さず一人の正常の人だ,だから最大的に常人に
符合して修煉すべきだ。結婚するべきであれば,若者は結婚すべき
だ,あなたは何かのやるべき商売をやるやら、官になるやら,これ
は影響が無い。我々は一つの道理を説く,この人はこの常人社会の
中でどの階層にもそれの矛盾がある,我々は宗教の枠を投げ捨てる
,道家は彼の太極から飛び出せない,佛教も彼の理から飛び出せな
い,だから我々は宗教の言い方を投げ捨てる,我々は全宇宙の理を
説いているのだ。
我々の発見ではあなたはどの階層の人であるにも拘わらず,あな
たはどんな事をし,どんな仕事をする人にも拘わらず,あなたも修
煉することができる。何故なのか?一人の普通の労働者,彼は彼の
衣食のために,彼は彼の一部の人と人との間,彼と彼の仕事の間に
矛盾が発生している,それではこの矛盾の中で,彼はどのように一
人の良い人になるか。なお一般のホワイトカラ労働者は,つまり職
員だろう,彼は彼のその階層に,如何に良い人になるか,人と人の
間にも相互の利益上の争奪が発生している。いろんな方面で,彼は
如何にこの矛盾の中で彼は一人の良い人になるか。主人になる者,
彼は如何に彼のこの階層の中で商売をするか,主人と主人との間,
人と人との摩擦の間で,彼は如何に一人の良い人になるか。彼も彼
の矛盾の存在がある。大統領になる者も同じで,彼は大統領になる
が,彼はこの国家の為に苦労をしている,彼は思いどおりに行くこ
ともあるし,思いどおりにいかないこともあり,できることもある
し,できないこともあり,国と国との間にも矛盾があるよ,だから
彼は心配をする事がある。人が生きている以上こうであるのだ,だ
から各境界の中で,あなたも浮世から離脱できず,あなたも人と離
れられず,社会から離脱できない,だからあなたも矛盾の存在があ
る。あなたはこれらの矛盾の中で,あなたはどのように一人の良い
人になるか,あなたが一人の良い人になれるならあなたはもう常人
を超えている。
我々の言ったことはこの道理で,物質上からあなたの何かの物を
捨てることではなくて,人のその心を捨てるのだ。商売をあなたは
大きくやっても構わないし,あなたの修煉にも影響しない。あなた
は商売を大きくやったら,無論その金も多く稼げる,しかし心の中
で金を命のように見ていない。蝿頭の小利の為に執着して堪らない
,あなたはそのようにしていない。あなたの家は黄金で造ったのだ
が,あなたの心の中には無く,とても淡泊に見ている。これは我々
修煉人の要求する基準だ。あなたはいくら大きな大官になっても人
民の為に良い事をすることができる,これは我々が要求した修煉人
の基準だ,そうだろう?我々は宗教から飛び出してこの事を言う,
我々はその実質を言う。如何なる一つの環境の中でも修煉できる。
しかし一点がある,常人の中での修煉は,つまり直接人の心を錬磨
する。だから何故私は真にあなたを度することを言ったか?つまり
あなたは真に自分で自分を高め,真にこの社会の圧力を受け,あな
たが真に自分で自分を高めるので,この功をあなたに与えるべきで
,我々はあなたを度する。
副元神も功を得ることができる,しかし何時になってもあなたの
護法で,彼も修成できてあなたに従っている。私は今日この事を言
い出したが,あなた達はまだそれほど高く認識できない。私は皆さ
んに教えておくが,ある人はまだ他の修煉方法を話している,この
功はどうか,あの功はどうかなど,あなたはまだ私が先程言ったこ
の話の意味を認識できない!歴史上の一切の修煉方法もあなたの副
意識を度してあなたを度しなく,あなたを度しないのだ!私は一つ
の千古の謎を掲示したよ!私はとても大きな困難をかけて始めて,
この事を言い出せた。過去あなたはどのように修めてもあなたを度
しない,あなたが修めた者は誰か?あなたが一生修めても,あなた
はやはり六道輪廻に入る,来世にあなたは何に転生するか分からな
い,あなたに言わせればあなたは可哀相ではないか!何故か?過去
宗教でも良かろう,他の修煉方法でも良かろう,この主元神を度し
ない。彼らは主元神はあまりにも度し難い,あまりにも迷っている
と思うからだ。私はこう言ったら,皆さんは分かったと思うかも知
れないが,出掛けるとやはり自分のいつものやり方で行く,常人の
現実の利益の中で,彼が又入り込んで,あなたが争い私が奪う,彼
はきっとこうなるのだ。だから神達は人はあまりにも度し難いと見
ている。しかし私が度するものはお前だよ,あなたの副元神もあな
たと同じ名前で,同時に母胎から生まれたもので,共にこの身体を
主宰している,ただあなたは彼の存在を知らないだけだ。人が度し
たものは彼で,あなたに話をしているようだが,実際は人は彼に話
をしている。あなたは時に何ということなしに何らかの話をした,
しかし,あなたの大脳が言っているのではない。多くの人は打坐し
て,打坐すると何も分からなくなった,座ると何時間も座る。おや
,彼は定から出た時まだ喜んでいた,ほら僕は本当によく煉った,
座ると何時間もする,すっかり定できた。大変悲しむべきだ!あな
たは功を煉ったか?あなたは知っているか?全く他人を煉るのだ。
過去ある道家はあなたの主元神を麻酔して,副元神に修煉させる
ことができる為に,あなたに酒を飲ませる。道家では酒を飲むもの
が多い,自分を麻酔させて,何も知らないほど飲んで,グ−グ−と
寝ている,人は副元神を連れて煉功をする。私が言ったことは千古
の謎だ,私はここでこのように言い出したが。何かこの方法や,あ
の方法なんて,彼らは人が修成できないと見ているからだ,彼は好
意を持つかも知れず,あなたの身体から一人を修め出して,あなた
も徳を積もった,苦しみに耐えたと言える,あなたの青春は畢竟宗
教の中に捨てた。どうするか?来世にあなたをも,一人の副元神に
転生させる,こうであるかも知れない,私はこの機会はとても漠然
としていると見ている。それから又あなたに修煉させる,これもと
ても少ない。しかしある人は彼は福の報いを受けるはずだ。どのよ
うに福の報いを受けるか?大官になり,大金持ちになり,大きな商
売をやる,来世はこのようにやる。彼の一生も畢竟徳を積もった,
福を積もった。在席の者は誰でもこうなりたくないと私は思う。私
がこの事を言い終えた度に,他人はまた私に言い出して,この功は
どうか,あの功はどうか,あの教はどうか,この教はどうかと問う
と,彼の悟性はあまりにも低いと私は思う。皆さんは我々の法輪大
法のその特点を見てもいい,その上に全部ある,人々は皆注意せず
,彼を普通の一句の話として言ったのだ。それは宇宙の規則で,過
去はつまりそうだった。
あなたはこの場を歩き出てから,身体はとても快適だと思うかも
知れない,しかし一点がある,あなたの修煉に従って,あなたは身
体の具合が又悪いと感じる。何故だろうか?あなたの生生世世にも
業力があるからだ。一生一世のものは一遍に押し出せない,一遍に
押し出したら人が当時すぐ死んでしまう。だからこの業力は我々は
漸次に外へ排出する,身体の中から排出する,だからあなたは暫く
して身体の具合が悪いと感じて,病気に罹ったではないかと思う?
!私は皆さんに教えておくが,それは病ではない。しかし表現し出
したら却って非常に苦しい,あるのはとても重い,表現はとても重
い。しかしある人は知っている,彼の具合が悪くなると彼は喜んで
,先生が私にかまっており,私の為に病を除いており,私の為にこ
の業を除いていると言った。ある人は具合が悪くなく身体に感覚が
無い,彼は却ってとても焦っている,先生は私に構っていないか,
どうして業を消さないか?しかし,往々にして一部の新しい学員は
彼は彼の身体の具合が悪いと思うと,彼はこれは病だと思う,薬を
飲もう,彼は煉功しながら薬を飲むのはもっと良いと思う。我々は
一つの道理を見たものだ,病院は業を消す事ができない,医者は修
煉の人ではないので,彼はこの威徳が無い,彼は常人の中の技術者
で,彼はあなたの為にこの表面の苦痛を除くことしかできなく,こ
の病を深層の中に残してやる。薬を飲むのは身体の中へ圧すので,
積み重ねるのに等しく,表面上は苦痛がなくなったが,身体の深層
に積み重ねた。手術を取ることも同じで,例えば瘤が出た,この瘤
を切った,彼はこの表面の物質を切っただけだ,しかし真に病を生
む原因は別の空間にある,彼は処理できない。だからとても酷いこ
の業力病はそれがまた再発するはずだ,あるのは治ったようで,現
世発病しない,それでは来世にそれも捜して来る,彼を深層の中に
圧したので,何しろ再発するのだ。一人の業力は何と言っても返さ
なければならない,取りも直さずこのような一つの道理だ。我々が
やることはあなたの生命の本源上から,あなたの汚いものを全部押
し出すことだ。しかしこのような事をやる人はいない,修煉に限っ
てできる,我々はあなたにこの事をやってあげる。但し皆さんは必
ず心性を把握しなければならない,身体が苦しくなると,おや私は
また病気かと思ってはいけない。あなたは病気に罹ったならあなた
は薬を飲んでいい,我々も構わない,修煉は悟性によるもので,強
情に如何なる事を規定しない。我々は,あなたは具合が悪く思って
も,あなたは薬を飲んでいけないと言っていない,無いのだ。
一部の人は彼は自分を煉功人とすることができない,彼はただ煉
功するだけで彼は法をも学ばない,彼はどんな事でもやる。彼は煉
功をしているが,私の法身も彼に構わない。彼に構わなければ常人
で,彼は病気に罹るはずだ。若し我々はあなたが薬を飲んではいけ
ないと決めたら,あなたは修煉人の基準に基づいて自分に対処でき
なければ,あなたはやはり一人の常人だ,時間になると病気に罹っ
たら,あなたは李洪志が私に薬を飲ませないと言う,だから私は薬
を飲むか飲まないかを言わない,あなた自分で把握する。本来もあ
なたに対する試練だ,あなたは自分を煉功人とすることができなけ
れば,あなたはやはり病気があるのだ,取りも直さずこのような道
理だ。我々は彼の理しか説かないので,私は皆さんに教えておくが
,今後あなたは修煉したければ,あなたが遭った身体が苦しいこと
は,あなたの前生前世の業を推し出したのがとても可能だ。私は見
つけたがある人は,何十生何十世転生したよ,百世以上のもある,
各生各世にも沢山沢山の病が存在している,全てあなたのために排
出しなければならない,何しろ全部あなたの為に除去しなければな
らない。別の一つの空間の中から取り下げたのはもっと多い,あな
たのために一部分を取り下げなければならない。しかし別の空間の
中から全部取ってはいけない,あなたに少し苦痛を受けさせなけれ
ばならない,受けないならこの人は悪い事をやっても返さないのと
同じだ。あなたが修成したその日にあなたを佛の位置に置けば,あ
なたもここにいる資格はないと思う。人々も彼がどのように上がっ
て来たのか?と思う。そうだろう?だからあなたは一部分の苦痛を
受けなければならない。そして受けると同時に,あなたの悟性を高
めることができる。あなたはそれを病とするか?それとも修煉人が
業を消していることとするか?
(1996)
書名:法輪佛法(シドニ−での講法)
作者:李洪志
ISBN:962−8143−05−0
発行所:法輪佛法出版社
香港茶果嶺麗港城4座6樓D室
電話:29872378
FAX:29878319
出版日付:1997年3月