開悟は慧悟とも言う,我々大法は開功と言う,つまり一人の人は 既に修煉して圓満となって,あらゆる修煉過程を完成して,天国世 界に行くところである。
それでは開悟後の覚者はどんな状態なのか?佛に修成した者は即 ち既に佛となった,菩薩に修成した者は即ち既に菩薩となった,羅 漢に修成した者は即ち既に羅漢となった,且つ道を修める者は即ち 既に道となった,神に修成した者は即ち既に神となった。一部の覚 者は圓満となった後,まだ常人社会で幾らかの事をやる必要である ,或いは何らかの願望を果たす,そのためまだ常人の中で暫くの時 間生活する。しかしこの常人の中の生活は彼らにとってはとても難 しい。彼らと常人との思想境界はあまりにも掛け離れているので, 常人思想の中で考えた一切も強烈な執着と利己的、汚く、人をひそ かに謀る等等邪念である,彼らは皆はっきりと知れる,しかも同時 に千万人の思想の細微な活動を知れる。その上に常人社会の至ると ころにも業力と病毒がある,まだ沢山の人の知れない良くないもの が空気の中に飛び散っている,彼らは全てはっきり見られる。現在 の末劫人類社会は業力が非常に大きい,人は呼吸中でも大量の業と 病毒及び毒ガスを吸い込んでいる。この常人世界は彼らにとって, 実に住み留まり難い。
それでは彼らは又どんな様子であるのか?これもそれらのこれに 執着する学員が推測することである。お前らはこの人が開悟したよ うで,その人が圓満となったようだと見ないで,心を精進実修に用 いて,速く圓満となるようにしよう,他人を見るには及ばない?実 は往々にしてそれらの開悟した者は皆自分を表さずに静かに実修す る弟子であり,年は同じではない,見たら普通人と変わるところが 何も無い,目を引かない人であるのはととも可能である。彼らは一 切神通、変化を十分に具えているが,却って本来人が低級小生物と 同じようで,其れの為に用いる値が無いと発見した。そして人は見 たら又人の各種の低能の認識念頭が生じて,人の歓喜心で執着して 対処する,却って覚者達に耐えさせることができない,常人は佛法 神通の真の偉大な内涵意義の所在を了解し難いのだ。
目下一部のせっかいで思いを精進に置かない学員は,あっちこっ ち誰が開悟したかを探している等等。お前らは考えて見て,開悟し た覚者は彼が既に佛となって,佛の一切を十分具えている,勝手に 人に知らせてはいけるのか?人はどうして佛を知ることができるか ?お前らはあっちこっち彼らを探す時の執着心、勝ち気心、誇示心 、せっかい心、好奇心,求める心を混ぜている,同時にも学員の安 心修煉に邪魔している。そのため,彼らはどんな感じであるかお前 らは知っているか?彼らにとって,人々の目的心を持つ一挙一念も 彼らに辛くさせるよ!
目下一部分の学員はかなり高い層次から法を得に来る者であるの で,彼らがとても速く開悟できる,私の言う学員に二年間の修煉時 間を与えるのはこの部分の弟子を指すのである。しかし我々大法の あらゆる弟子は実修中確かに層次の向上がとても速い,もうすぐ開 悟する者も沢山いる,過去修煉人が想像できないことである。皆が 安心して,絶えずに精進し,怠らずに堅持するように希望する,一 人が圓満したら,私は一人を迎え送る。
一九九六年九月二十六日