驚醒

 大法を学ぶ実修時間は限りがあるのだ,多くの学員はしっかり掴 むことが分かって,精進して止まらない,しかし一部分の学員は時 間を大切にすることを知らず,考えを不必要な処に用いた。《轉法 輪》という大法が印刷されてから,多くの人は私の説法録音により それと対照して,研究会は先生の話を変更したと言った;また一部 の人は,この本は誰々が助けて書いたのだと言って,したがって大 法を破壊する。今私は皆に教える,大法は私李洪志のである,お前 らに伝度するということは,私李洪志の口から講じ出したのだ,し かも私は法を講じた時如何なる文章草稿と資料も使わず,毎日学員 に何かを講じる一枚の紙しかない,上は非常に簡単で,他人が見て 分からない幾つかの問題しか無い。私は法を講じるたびにも不同の 角度に立って,又学員の受ける能力を見て講じるのだ,だから法を 講じるたびに,同じ問題は私は不同の角度により講じる,しかもこ の法は宇宙の特性で,偉大な佛法の真実な体現で,私が修煉して開 悟した後,私自分の先天の所有を記憶し出して,また常人の言語で 彼を講じ出して,お前らひいては天上に伝えて,法で乾坤を正す。 学者が修煉しやすい為に,私は学員を指定して私の授業の内容を録 音から元の話のまま少しも変えずに記録して,それから私に手渡し てもらって修正を行う,学員は私が修正したものをもう一遍清書し ,或いはコンピュタでプリンタして,私が更に修正を行うためであ るだけだ,《轉法輪》について言えば,私自分は自ら三回修正して から決定稿にして出版したのだ。

 この大法の内涵には他人が一筆もしていない,誰がすることがで きるものか?録音と違うところについて原因は三つある:一、私は 数回の説法を一緒に合わせて修正したのである,修煉に便利のため である。二、私は法を講じる時学員の不同の受ける能力と当時の状 況と環境に基づいて講じたのだ,それで整理して本にするには言語 構造を少し変えなければならない。三、講話と文字は修者が学ぶ時 に誤差が出現するから,調整しなければならないが,やはり私が法 を講じた時の状態と口語を保留した。《轉法輪(巻二)》と《法輪 大法義解》も同様に全く私が自ら修正して出版したのである,《轉 法輪(巻二)》について私は不同の層次の思惟方法で書いたのであ る,だからある人は文法が違い,分からない所があると思っていた ,これらは本来も常人のものではないのだ!実は《巻二》は後の人 がこの時の人類の敗壊程度を了解するのに残したのである,したが って歴史上に人に深刻な教訓を残しておく。しかし《中国法輪功》 は修正本を含めて,それはただ初めに気功の方式で人々に認識させ る一つの過程中のものだけである。

 法を乱すことは多種の形式がある,その中で内部弟子の無意な破 壊は最も気づきやすくない,釈教の末法はこのように始まったのだ ,教訓は深刻なのだ。

 弟子達はぜひ覚えろ,あらゆる法輪大法の経書は皆私が講じ出し た法であり,皆私が自ら修正して整理したのである,今後如何なる 人でも又私の説法録音の中から文字材料を摘録したり整理したりし てはいけない,どんな口実でも全て法を乱すのだよ,所謂講話と文 字差異の対照等々を含める。

 天体の変化、人類の発展は一切も偶然ではない,人類社会の動向 はそれが歴史の手配であり,天象が率い動かした下に出現したので ある,将来全世界ではもっと多くの人が大法を学ぶようになる,こ れは人は頭が熱くなってやりたいと思うとやれることではない。こ んな一件の大事は歴史上で各方面の手配をしないのは可能であるか ?実は私がやった一切は,全て無数年以前に既に手配しておいたの だ,法を得る人を含めて皆偶然ではないのだ,しかし表現は却って 常人中の形式と同じである。実は私のこの世の何人かの師父が私に 伝えたものも,数世の前に私が有意に彼らに得させたのだ,縁が着 くと,彼らが又私に伝え返すように手配した,したがって私の法の 全部を悟らせるように啓発する。だから私はお前らに教える,この 法を人類という一層が学んでいるだけでなく,もっと高い層も学ん でいる,かなり大きな天体範囲が宇宙の特性を逸れたので始めて法 を正すのだ,人類は厖大な宇宙の中では何でもないのだ,地球も一 粒の宇宙塵埃だけである,人は高級生命に重視されたいなら,それ は修めるしかないのだ!高級生命にもなるものだ!

李洪志

一九九六年五月二十七日