大法を千古不変させるには,見ればまだ一つの問題が存在してい る:つまりいつもこのような学員がいる,誇示心と新奇をてらう心 理作用のため,時機があると何らかの大法に邪魔する事をやる,あ る時は非常に重大なのだ。例えば最近の一つの時期以来,私がどの 学員に動作の要領を単独に教えたと言う人がずっといる(実は学員 が私に聞いた時,動作を正すだけだ),従って私が数年来各地での 伝功動作を否定して,公然に私本人がまだいる,録画の功を教える テプがまだある状況下に,大法の動作の変えを行う;学員に煉功テ- プに従ってやらないで,彼に従ってやると教える,何か先生は功が 高いので学員と違うなどの言い方を言って,学員に先ず自分の状況 によりやって,以後又少しつつ変える等等と教えた。
私が功を教えるのは一歩で位につくのだ,目的はつまり学員が出 鱈目に改めるのを恐れるのだ,機制が一旦に形成したともう根っか ら改めることができないのだ。事情は大きくないように見えるが, 実は重大に法を乱す開始である。又ある人は過度動作を単独動作と して,学員に規範的にやらせる,これは新奇を標榜するのだ。目下 ,各地で既にかなり大きな影響を引き起こした。弟子達よ!私の功 を教える録画テプがまだある,何故うっかりと調子を合わせるか? !大法は厳粛な宇宙大法であり,若しその一点を乱したら,その罪 はなんと大きいか。一人の修煉者としては正々堂々と修め,大所に 着眼するのだ。各人の動作も皆同じで少しでも違いが無いのはどう して可能なのか?心をこれらの細小の事に用いないで。動作は圓満 となる一種の形式で,もとより重要である;しかし牛の角先に潜ら ないで,多く心性上に功夫をするべきだ。実は大法に対する邪魔は ,多くが我々の内部から来るのだ,外来の要素は個別の人を乱すだ けで,法を改変させるのは不可能だ。現在であろう将来であろう, 我々の法を乱すものは,それは内部弟子しかでありえない,ぜひ注 意しろ!我々の法は金剛不動のものだ。誰でも如何なる口実、如何 なる原因、如何なる情況で,我々が圓満に用いる動作を少しでも変 えてはいけない,さもなければ動機が良いか悪いかを問わず,全て 法を乱すのだ。
一九九六年五月十一日