目下各地も研究会から提出した:
大法を精読し
心性を真修し
動作を懸命煉る
……な
どを法或いは私の話等として伝えており、学んで
いる。実はこれは私の話ではなく,もっと深い内涵も無く,更に法
ではない。精読の意は私が法を学ぶことに対する要求とかなり大き
な差異がある。実は読書について私が九五年九月九日に書いた“学
法”の中には既にかなり明確に話した,そして精読の意は“学法”
に対して重大に邪魔をした,今後必ずこの問題の厳重性に注意しな
ければならない。私は既に佛教はインドで伝承が絶えた原因及び教
訓を言った,今後若し注意しなければ法を乱す開始である。注意:
問題が出現したが責任を探さないで,自分がどのようにやったのか
を見るべきだ。誰が書いたのかを追究することもしないで,教訓を
汲み取って,今後注意する。
一九九六年四月二十八日