修煉と仕事

 我々法輪大法弟子は,寺院の中で専修する者を除いて,絶対多数 が常人社会の中で修煉している,大法を学んで煉ることを通じて, 皆は皆名、利を淡泊に見られる。しかし法に対して理解が深くない ため,従って一つの問題が出現した:個別の弟子は常人の中の仕事 に対してやらなく,指導者に抜擢されてもやらない,沢山の不必要 な仕事と生活上の邪魔を引き起こして,直接修煉に影響をしている ;また一部の正当の商売をする者は,金財物に対して淡泊に見たと 思い,同時に又商売が他人に傷害して,自分の修煉に影響すると思 うので,やらないのだ。

 実は大法の内涵はとても深い,常人の心を放下することは常人の 仕事を放下するのを指すことではない;名、利を放下することは, 常人社会を離脱することではない。私は一再ならず提出する:常人 社会の中で修煉するものは常人社会の状態に符合するべきである。  もう一方面から見れば,常人社会の指導者の仕事を若し皆我々の ような個人の名、利を放下できる人はやるなら,それで人民にどれ ほど大きな良い処を齎すだろう?若し一人の貪る心がかなり重い人 ならそれは社会に何を齎すだろうか?商売をする人は若し大法を修 めるものなら, 社会の気風がどうなるだろうか?

 宇宙大法(佛法)は最高から最低の一層まで貫通なのであり,完 備なのである,知ってほしいのは常人社会も一層法の構成であるの よ!一人一人が大法を学び,一人一人も社会の仕事をやらないのな ら,それでは常人社会が存在しなくなり,この一層の法は存在しな くなる。常人社会も佛法が最低の一層での体現でもあり,佛法がこ の一層の中におる生命と物質の存在形式でもある。

李洪志

一九九六年四月二十六日