私の輔導站に対する要求に基づいてやれるかどうか,これは一つ とても重要な原則であるのだ!将来法の流伝形式に関係することで ある。何故長期に官界で養成した習慣を放下できないか?輔導站を 常人社会の中の行政部門の仕事方法と態度として対処してはいけな い,何かの文書を発行するやら,何か貫徹、執行のことを行うやら ,何か認識を高めるやら。大法修煉者は修煉の心性と果位層次を高 めることしかできない。ある時に会議を開くことも常人の勤め先の ような形にする,例えば:何、何官が話す,何、何頭目が総括する ,現在社会上の腐敗風習、官僚的な手順、国家までも改革を行う, 一人の修煉の人として,既に末法時期に人類の各方面も駄目になっ たことを知っているのに,何故修煉に一番適合しないその一式の仕 事の方法を放下できないか?我々は決して社会上の行政機構或いは 企業事業部門を造るようにしない。
過去又一部の退職した人は働く事が無く,法輪大法は悪くないと 思って,仕事をしに来たいと提出して,暇で耐えられない空虚感を 填補する。無論いけないのだ!法輪大法は修煉であり,仕事ではな い,我々の一切の工作人員は先ず心性の高い実修者で,心性を修め る模範であり,常人式のリダが要らない。
一九九五年十月十二日