佛教の論述は佛法の最弱小の一部分である

 衆生よ!佛教を用いて真、善、忍大法を量ってはならぬ,それは 量れないことだ。人々は皆佛教の経書を法だと称すことに慣れたか らだ。その実は天体が甚だ大きく,佛陀が宇宙に対する認識を超え ている。道家の太極も小層次的に宇宙を理解するだけであり,常人 この一層に至るともう実質的な法が無く,ただ宇宙のへりのそれし きの人に修煉させられる現象だけがある。常人は最低層次の人であ るので,人に真正の佛法を知らせない。しかし人々は聖人が:佛を 敬うなら修煉機縁の因果をまくことができ,修煉の人は呪いを持つ なら高級生命の保護を得ることができ,戒律を守るなら修煉人の標 準に達することができると講じたことを聴いた。歴史上に覚者の講 じた話は即ち佛法であるということではないか?をずっと研究する 人がいる。如来佛が講じた話は佛性の体現であり,法の表現と称す こともできるが,宇宙実質の法ではない,過去は人が佛法の実質体 現を知ることを絶対許さないのだ。何が佛法であるか高層にまで修 煉して始めて悟れる,だから尚更人に真の修煉の実質を知らせない 。法輪大法は宇宙の特性(佛法)を万古以来初めて人に残したのだ ,人に一部の天に上がる階段を残したのに等しい,だからお前は如 何に過去佛教中のものにより宇宙大法を量ることができるのだろう か?

李洪志

一九九五年十月八日