如何に輔導するか

 各地の多くの輔導員は大法に対しかなり高い認識があり,身を以 て模範を示し,煉功点をかなりうまく組織することができる。しか しよく働いていない輔導員もおり,主に仕事の方法に現れている。 例えば学員を輔導員に服従させるため,目的は仕事を展開しやすい ためであるが,すると煉功点で命令式の方法で仕事を行う,これは いけない。法を学ぶことは自発的である。若し学ぶ者は心からどの ようにやりたくなければ,それではどんな問題も解決できない,し かも矛盾が起こるはずである。若し直さなければ,矛盾を激化し, したがって重大に法を学ぶことを破壊してしまう。

 さらに甚だしき者は,皆を信服させ服従させるため,常に噂をい くらかつくって,或いは人に聞き耳を立たせるものをつくって自分 を声望を高める,或いは独創的な考えを出す,これはすべていけな い。われわれの輔導員は自発的に義務的に皆の為に奉仕をするので あって,師父ではなく,更にこの執着心を持つわけにはいかない。  それでは我々は如何に輔導の仕事を立派にするのか?まず自分を 学員の中に置いて,学員の上にいる心を持ってはいけない。仕事を して分からないことがあれば,虚心にして皆と共同に検討する。誤 ったら,誠心に学員に:『私も皆さんと同じような修煉者です,仕 事の中に誤りを犯すのは免れ難いです,私はこの事で誤りました, それでは正しいやりかたに従ってやりましょう』と言う。皆で共同 に事をうまくやるように希望するという誠意があれば,お前が見て 結果がどうなるか?誰もお前は何者でもないと言わないし,反って お前はよく法を学んでおり,度量が大きいと思うはずだ。その実大 法があり,皆も学んでいるのだ。輔導員の一挙一動が,良いか良く ないか,学員は皆大法を対照して量り,はっきりと見分けられる。 自分を持ち上げる念があると,学員はお前の心性に問題があったと 思う,だから,謙虚こそ事をうまくできるのである。声望は法をよ く学んだことにより立てられたものだ。一人の修煉の人はどうして 過ちがありえ無いか?

李洪志

一九九五年九月十日