知識分子は大法を学ぶには,一つの最も突出の問題に注意すべき である,つまり大法を一般常人の中の理論著作を学習する方法とし て学び,即応性のある名人語録を選択して自分の行動に対照して学 ぶというようなことである,これは修煉者の向上に対して阻害があ るのである。また或る人は大法に非常に深い内涵があり,不同層次 修煉を指導できるとても高いものがその中にあるということを聴い たので,一字一字に根掘り葉掘りに見る,結局何も見つからない。 これらの長期に亙る政治理論の学習の中でつけた習慣も,一種の修 煉を影響する要素であり,法を曲解した。
皆は法を学ぶ時,どうしても問題を解決しなければならない考え 方を抱いて即応性のある部分を捜して学びに行ってはいけない,そ の実,これも一種の変相の執着である(矛盾があって解決を急ぐこ とは含まない)。大法をよく学ぶには,如何なる目的も抱かずに学 ぶことこそ正しいことである。《転法輪》を一遍見終える度に,少 しでも分かったら向上である;お前が一遍見終えて一つの問題だけ 分かったとしても,それも真の向上を得たことである。
その実,お前は修煉の中で,取りも直さず少しずつ少しずつ、知 らないうちに修め上がってきたのだ。覚えてよ,求めがなくば自ず と得られる。
李洪志
一九九五年九月九日