何の為に見られぬ

 見られれば信じ,見られなければ信じず,これは下士の見なり。 人は迷いの中にあり,造業甚だ多くして,本性を迷わせて豈見られ んや。悟りは先にありて見は後にあり,心を修めて業を去らせ,本 性出でて始めて見らるなり。然るに上士は見てもよし見なくてもよ し,悟りにより圓満となる。衆者には見られるものあり見られざる ものあるは,層次に定められ,根基の至るなり。修者多くが見られ ざるは見を求めるためにあり,此れ執着と為し,故に去らせざらば 見られず。多くが業力に阻まれ,或いは環境不適たり,或いは修め 方の定めによるなり,原因が重きにして多し,人によりて定めたり 。見る者は,見るにしてもはっきりとせぬ所あり,はっきりとせず こそ道を悟り得る。若し自らその場に立ち臨みて,はっきりとせぬ 所無くば,此の人は開功となり,もう修めることならず,其の悟り 無存となり。

李洪志

一九九五年六月十六日