根基とは一人の人が先天で持って来た白色物質を指すのであ り,即ち「徳」という有形物質であり,沢山持っていれば根基 は必ずいい。根基のいい人は真に帰しやすく,道を悟りやすい, 彼の思想には障碍がないので,気功を学ぶことを聞くと,修煉 のものを聞くと,彼はすぐ興味を生じて,彼はすぐ学びに行く 気になり,宇宙と相通ずるようになる。正に老子が説いたよう に:『上士は道を聞くと,勤しんで之を行い;中士は道を聞く と,存るが若き亡きが若く;下士は道を聞くと,之を大いに笑 う,笑わないと道に足らない』。容易に真に帰し道を悟る人は 『上士』者に属する。逆に,黒色物質が多い人,根基が悪い人 は彼の体外に一種の障壁が形成している,彼がよいものを受け ることができないようにする。若しいい事に接触する時になる と,それは彼に信じないように促すことができる,実際はこれ が業の作用である。
根基に言及すると必然的に悟性の問題に及ぶ。悟りのことを 言うと,悟りとはつまり聡明なことだと思っている人がいる。 常人で言う聡明な、さる賢い人は私達が言う修煉とは実にその 差が大変大きい,この種の聡明な人は往々にして開悟し難い, 彼はただ現実的な物質世界を重んじるだけで,何をするにも損 をしなく,いかなるいい得になることからも手を放さない。特 にある個別の人は,自ずから学問が大きく,知識があり,とて も賢いと思い込んでいて,修煉の事をアラビアン・ナイトだと 見做している。煉功して心性を修めることは,彼にとっては不 思議なことであり,煉功人は皆馬鹿者だ,迷信だと思っている。 私達が言う悟りは,聡明を指すのではなく,人性の帰真,一人 のよい人になること,宇宙の特性に符合することを指すのであ る。根基は一人の悟性を決める,根基がよければ,悟性もいい はずだ? 根基は悟性を決めるが,悟性は完全に根基の制約を受 けるわけでもない。いくら根基が良くても,理解が悪くて,悟 りつかないならばやはり駄目である。ある人は根基があまり良 くないが,彼は悟性がいいので,上へと修めることができる。 私達は普度衆生であって,悟性を見るが根基を見ない。あなた が持つ良くないものはかなり多いにもかかわらず,あなたは上 へ修める決心さえあれば,あなたのこの一念が出ることが実際 は正念なのである。この考え方があれば,あなたは他人より少 し多く払うにしかすぎない,最終はやはり修成できるのである。
煉功人の身体はすでに清浄なものになったのであり,功が出 てから身体は病気があってはいけないのであって,体内の高能 量物質はもう黒色物質の存在を許さないからである。しかしあ る人はどうしても信じず,いつも自分は病気があると思って, 私は何故こんなに辛いのかとよく言っている!私達に言わせれ ばあなたが得たのは功である,あなたはそんなにいいものを得 て,まさか苦しまないのだろうか?修煉ということは,相対に 払わなければならないのである。実際はそれは皆表面的なもの であり,あなたの身体には少しも影響がなく,病気のように見 えるが,全然病気ではない,あなた自身で悟ることによるので ある。煉功人は苦中の苦に耐えられなければならないだけでな く,更に悟性が良くなければならない。ある人は厄介な事に遇っ たら悟りもしない,私はここで高層次,いかに高標準で自分を 要求するかを講じているが,彼は尚も常人と混同し,彼は甚だ しきに至っては自己を真なる煉功人の状態に置いて煉功するこ とができず,自分が高層次にいられることも信じない。
高層次で言う悟は開悟を指すのである。悟には,頓悟と漸悟 との分けがある。頓悟とは全修煉の過程で皆鎖をかけられたま まで煉ることを指すのである。あなたが修煉の全過程を歩み終 えてから,心性が向上されてから,最後の一瞬間になると,功 能は全部爆発し出され,天目は一瞬間に最高の層次にまで開か れ,思惟は別の空間の高級生命に接触することができるとなり, 突然にぱっと全宇宙の各空間の各単元世界の真象を見ることが でき,そして彼らとの疎通があり,大神通を振るうことができ る。頓悟との道は一番歩き難く,歴代に於いても根基の相当高 い人を選んで弟子とするのであり,歴代に於いても単独に功法 を授けるのである。一般の人は堪えられないものである!私は 頓悟という道を歩いたのである。
私が今皆に伝えたのは漸悟のものに属する。それは修煉の過 程の中で,何かの功能が出るはずならば何かの功能が出るはず である。しかし功能が出たからといって絶対にあなたに用いさ せるわけでもない。あなたは心性がまだ一定の層次にまで達し ておらず,自己を把握できず,悪事をしがちの時,功能は暫時 あなたに用いさせないようにするが,結局やはりあなたにやる のである。修煉を通じて,層次は段々と向上するはずであり, 次第に宇宙の真理を認識し,頓悟とも同じように,最後に円満 に達する。漸悟との道は割りと歩きやすく,危険性がない。難 しいのは修煉の過程をあなたが全部見られるので,あなたは更 に自己を厳しく要求すべきである。