(二)消業
世間の理は天上の理と同じであり,人にものの借りがあれば 返さなければならない,常人であっても人に借りがあれば返さ なければならない。人生一世で,あなたが遇った難、劫はみな 業力により生じた結果であり,あなたはそれらのものを返さな ければならない。私達の真に修煉しようとする人,あなたのそ の人生の道路は変えられることになる,あなたのために一種の あなたが修煉するのに適合する道路をあらためて按排する,あ なたのその業力は師父があなたのために一部分を減らし,残り のものは全てあなたが「心性」を高めるために用いるのであり, あなた自身は煉功と心性の修煉を通じてそれをとりかえて,償 還する。今後あなたたちが遇った問題は皆偶然ではない,あな たたちはこの心構えを持たなければならない。あなたに多少の 難を過ごさせて,常人には放下できないものはあなたに全部放 下させる。あなたは沢山の面倒な事に遇うはずである,問題は 家庭、社会の方々面々から出て来る;或いは突然何かの災難に 遇う;甚しきに至っては本来相手の方が良くないのに,あなた だけがこともあろうに非難され、冤罪を蒙らせられるというこ とになってしまう,等々。煉功人は病気にかかるべきではない が,往々にして突然一度ひどい病気にかかることがある,病の 勢いは又ひどいもので,さいなまれて非常に辛い,病院へ検査 に行っても病を検出できない,しかしわけも知らずに病が治さ ずに直った,実際は即ちあなたのある種の負債はこのような形 で返したのである。いつの日か,あなたの妻か夫は謂れもなく あなたに騒ぎをしたり,かんしゃくを起こしたりして,全く取る に足らない事も大きな論争を起こすかも知れない,過ぎた後も さっぱり訳が分からないと思っている。煉功人としてはあなた は何故そんな事が起こったのかはっきり分かるべきである,つ まりそのものが来て,あなたにあの業を返させるのだ。この時 あなたは自分を把握し,心性を守ってその事を解いて,あなたの 消業を助ける彼を大切に扱うと共に感謝すべきである。
「打 坐」は時間が長くなると足が痛くなる,あるのは死なんばかり に痛む? 天目層次の高い人は,非常に痛い時に,煉功人の身体 の内外からとても大きな一塊の黒いものが下へ消えていること が見える。打坐の痛みは陣痛でありしかもかなり骨身にしみる, ある人は悟りが良く,どうしても足を取り下げない,黒いもの は消え去ると白いものへと転化し,功に転化する。煉功人の業 力は打坐と煉功を通じて完全に消去するのは不可能である,更 に心性と悟性を高め,多少の磨難に耐えなければならない。重 要なのはわれわれが人になって善良であるべきであり,私達の 法輪功は善心が早く出られる,多くの人は煉功でそこに座ると, 謂れもなく涙が流れ,何を考えても悲しく,誰でも苦しいよう に見えることこそ,慈悲心が生まれて来たのであり,あなたの 天性、本当の自我が宇宙の特性『真、善、忍』と相通し始めた のである。あなたに善心が出た時,あなたが事をすると非常に 善になる。あなたの内心から外在表現まで,ぱっと見ても非常 に善良であり,その時誰もあなたをいじめはしない。その時誰 かが真にあなたをいじめたら,あなたのその大慈悲心は作用を し,あなたはなぐり返したりしないはずであり,それは一種の力 であり,それはあなたを常人と同じではないように促すことも できる。
あなたが劫難に遇った時,その慈悲心はあなたが 難関を乗り越えることを助けてあげるものである,同時に私の 法身はあなたを見守っており,あなたの生命を保護する,しか し難はあなたに越させなければならない。例えば私が太原で伝 授班をした時一組の年寄りの夫婦が私の班に参加して道渡りを 急いでいた,道の真ん中を歩いていた時,一台の乗用車が来て, ものすごく速いので,さっと老婦人を引っ掛けて倒し,10メー トル余りひきずって,道路に投げ付けた。乗用車は20メート ル余り走って初めて止まった。運転手は車から下りていくらか 聞き苦しい話を言った;車内に座っていた人もいくらか聞き苦 しい話を言っていた。老婦人は何も言わず,この時私が言った 話を思い出した,立ち上がってから,老婦人は:大丈夫,大丈 夫,どこも壊れてはいないと言って,彼女は年寄りの主人を連 れて一緒に講堂に入った。その時若し彼女が,おや! 私のここ も壊れた,あそこも壊れた,あなたが病院へ連れていってくれ と一言でも言ったら。それでは本当にだめになってしまい,彼 女はそうしなかった。老婦人は私に:先生,わたくしはどうい うわけか分かります,これは私の消業することを助けるのです よ! 一つの大難を消しました,一塊の大きな業を消しましたと 言った。彼女の心性、悟性が非常にいいと考えていい,あんな に年取っていたのに,車の速度はあんなに速かったのに,そん なに遠く引きずられて,ひどく地に投げ付けられたのに,立ち 上がった,心は非常に正しい。
ある時劫難が来た時,見たところ非常に大きくて,まるでど う考えても道がない。何日も回っているうち突然に道が見え, 突然に事情には大きな転変が発生したかもしれない,実際は私 達の心性が向上されて,そのものが自然に消えたのである。
思想の境界を高めるには世間の各種磨難の試練を通過しなけ ればならない,この過程中あなたの心性が真に上ったとしたら, 安定したとしたら,業も消え,あなたの磨難も過ぎてしまい, 功も長じるのだ。若し心性の試練の機会中で,心性を守れず, 誤りを犯したら,この時あなたはがっかりしないで,積極的に 教訓を総括し,差をさがし,『真、善、忍』に功夫を重ねるべ きである。次の心性を検査する難題は又踵を接して来るかも知 れない。功力が向上するに連れて,心性を試練する磨難の到来 はもっと猛烈になり? もっと突発的になるかもしれない。あな たが一つ関を越すたびに功力が少し上へと生長する;関が越せ ないなら功は停滞する。小さい試練ならば小さい増長で;大き い試練ならば大きい増長である。各煉功人が大きな苦に耐える 準備をして,大きな困難を迎える決心と気力を持つように望む。 払いがなければ真の功を得ることはできない。気持ちが良く払 いもせず,苦しみに耐えずに功を得るなんて,この道理がない のである。心性を根本的に良く変えず,任何なる個人の執着の 心を持っていても大覚者に修成することはできないのである。