六、業力

(一)業力の発生

 業力は「徳」と反対である一種の黒色物質である。仏教では それを悪業と言っている;私達の所では業力と言う。だから悪 事をすることは造業と称す。業或いは業力は本人の今世又は前 世の誤ちにより生じたものである,例えば殺生したことがある とか,誰かをいじめたことがあるとか,誰かの利益を争奪した ことがあるとか,背後で誰かについて論議したことがあるとか, 誰かと友好的ではない等々,皆業力を生じることになる。又あ る業力は先祖又は親戚友人から転移して来たのである。ある人 が拳を出して人を打つ時,同時に白色物質を相手に抛り与え, 自分の身のその部分の所が黒色物質に替わる。殺生は最大の悪 事であり,悪事をするということは,非常に重い業力を増加さ せる。業力は人が病になることを引き起す重要原因であり,も ちろんそれが反映されて来たのは必ずしも一種の病だとはかぎ らない,何か厄介な事に遇うかも知れない等々,皆業力が作用 をしているのだ。だから煉功人は決して良くない事をしてはい けない,一切の良くない行為は皆良くない信息を生じ,ひどく あなたの煉功問題に影響することとなる。

 ある一部の人は植物の気を採ることを主張し,功を教える時 にもいかに植物の気を取るかを教える。どんな木は気がいいと か,どんな木の気はどんな色だとか,興味津々語っていた。わ れわれ東北のある公園の中で,ある一部の人が煉ったのは何の 功か分からないが,地面でころがったりする,起きると松の木 をまわって,松の気を採るのである,半年間だけで一面の松が 枯れるまでに採った,これは造業行為であり,これも殺生であ る!祖国を緑化させ生態平衡を維持する方面から言っても又は 高層次から言っても,植物の気を採るのは皆良くないことであ る。広大な宇宙は果てしがなく,至る所に気があってあなたの 採るのに任せている,あなたはどしどし採っていいのに,何故 植物をいじめることばかりするだろうか?煉功人としてあなた の慈悲心はどこに行ったのか?

 万物ともに霊があり。現代の科学はすでに植物には生命があ るだけでなく,そして霊性があり,思惟と感情があり,甚だし きに至っては超感功能があることを認識した。あなたの天目が 法眼通に達した時,あなたは世界が別の景象であることを発見 することができ,あなたがでかけると,あの石、壁、木などは 皆あなたと話をすることができる。いかなる物質にも皆生命体 の存在があり,それが形成された時,已に一つの生命体が注入 されていたのだ。有機物質と無機物質はわれわれ地球上の人類 が分けたのである。廟の人は碗をこわしたことすら彼の心もす まなくなり,何故なら一旦それが破壊された時,その生命体は 釈放されて来るもので,それはそれの生命里程を完成していな いと,行く所がない。だから非常にそれを殺した人を恨み,恨 むほどその人の業力は大きくなる。ある『気功師』は尚狩りに も行く,彼の慈悲心はどこに行ったか?仏道二家とも天理に逆 らわずに事をする。彼がこうするのはとりもなおさず殺生行為 なのだ。

 ある人は彼自身が以前沢山業を造った,鳥を殺し、魚を殺し、 魚釣した等々,煉功ができないことなのかと言った。そうでは ない。あなたはその時知らない時にしたのであり,それはもっ と大きな業力を造ることにならず,今後再びこのような事をし なければいい。尚もするならば知っていながらわざと犯すこと であり,いけないのである。ある学員にはこのような業力が存 在している。あなたは伝授班に参加に来たなら縁があるのであ り,あなたは上へ修煉できるのである。蝿や蚊が部屋に入った ら打つかどうか?皆の現在のこの層次上ではこの事をするなら, 打ち殺しても誤ちとは言えない。追い出せないなら打ち殺した ら打ち殺したでいい。一つのものが死ぬべき時,それは自然に 死んでしまうことになるはずである。釈迦牟尼が在世の時,あ る時彼は浴槽に入ろうと思って,弟子に浴槽を掃除しに行かせ た。弟子は浴槽の中に虫がいることに気がついて,戻って彼に どうしましょう?と聞いた。彼はもう一?:私が君に掃除させる のは浴槽なのだと言った。弟子は会得した,浴槽をきれいに掃 除した。ある一部の問題はあなたはそれをあまり重く見てはい けない,私達はあなたに小心翼々である人にならせるのではな い。複雑な環境の中で,いつも精神の弦を緊く張って,些かの 事をやりまちがえることもひたすら恐がるなら,私に言わせれ ばこれはいけない,これがもう一種の執着になってしまう,恐 がること自体が即ち執着である。

 われわれは一つの慈悲心を持っていなければならない,いか なる事に対しても慈善の心を抱いているなら,容易に問題は起 こらない。個人の利益を少し淡泊にし,心地が少し善良なら, あなたは何事をしてもそれに制約されるので,あなたは悪事を することができない。信じなければあなたは見て見なさい,あ なたはいつもぷんぷん怒る態度を抱き,いつでも争って見よう と,闘って見ようと思うなら,そのいい事でもあなたの面前で は悪くされてしまう。私は常にある一部の人が理屈をつがんだ となると人に譲らないことを見る,彼が理屈をつがんだ時,彼 はやっと人をこらしめるものをつかんだ。同時に私達はある事 に気に食わないからと言って,そそのかして争いを起こさせて もいけない,時にはあなたが見慣れない事は必ずしも誤りとは かぎらない。煉功人として不断に層次を高めている時に,あな たが言い出した一句の言葉に能量があるのであり,あなたは常 人を制約するのであり,やたらに言ってはならないのである。 特にあなたには問題の真相が見られない時, 因縁関係が見られ ない時に,悪事をやりがち,業を造りがちである。