第三章 心性の修煉

「法輪功」の修煉者は皆「心性」の修煉を首位に置かなけれ ばならない,心性が長功する肝心要であると認定しなければな らない,これは高層次に煉功が至る理である。厳格に言えば, 層次を決定する功力は煉って出たのではなく,心性によって修 めて出たのである。心性の向上は言うのは易しいが,行なうの はとてもとても難しい。修煉者は極めて大きな払いがなくては ならず,悟性を高めなくてはならず,苦中の苦に耐えられなく てはならず,「忍」し難いことを「忍」できなくてはならない, 等々。何故ある一部の人は多年煉功しても長功しないのか?そ の根本的な原因は:一は心性を重んじないのである;二は高層 次の正法を得ないのである。この問題は道破しなければいけな い。多くの師父は功を教えることに皆心性を講じ,これは真に 功を教えるのである;それらのただ動作、手法を教えるが心性 を講じない者は,実際は邪法を教えるのに等しい。だから,煉 功人は心性の向上に大いに功夫をしなければならないで,初め て更に高い層次の修煉に入ることができる。


一、心性の内涵

「法輪功」が講ずる「心性」は,『徳』で融貫できることで はない,それは『徳』に含まれる範囲よりはずっと広い,それ は『徳』も入っている方々面々の内容を含んでいる。一人の心 性は「徳」に於いては一種の体現だけであり,単純に『徳』に より心性の内涵を理解することは足らないのである。心性はい かに『得』と『棄』両方面の問題に対処するかということを含 む。『得』とは即ち宇宙特性との同化を得ようとすることであ る。宇宙の特有の性質を構成しているのは『真 善 忍』であ り,一人の煉功人が宇宙特性との同化は個人の『徳』の上に体 現しているのである。『棄』とは即ちそれらの貪り、利、色、 欲、殺、打、盗み、奪い、詐欺、嫉妬等々不良な思想と行為を 放棄することである。若し高層次へ修煉しようとするなら,更 に人のあらゆる固有の欲望への追求を放棄しなければならず, つまり一切の執着の心を放棄しなければならず,つまり個人の 一切の名、利を非常に軽く、非常に淡泊に見なければならない のである。

人は肉体と天性から完全な人を構成している。宇宙も同じで, 物質性のほかに,まだ同時に『真 善 忍』の特性が存在して いる。各空気微粒子の中にも皆この特性の存在がある。常人社 会中の体現としては,良い事をすれば広められ,悪い事をすれ ば懲罰を得る。高層次では功能態が体現されて来る。この特性 に適合する者は即ちよい人であり,それに背離する者は即ち悪 人である,それに符合し、それに同化する者は得道者である。 こうすると煉功人は必ず極めて高い心性をもってこの特性に同 化せねばならぬことを要求される,こうして初めて高層次上へ 修煉することができる。

一人の善人になるのはわりとやさしいが,しかし心性を修煉 しようとするのはそんなに容易ではない。修煉者は心構えを持 たなければならない,其の心を正そうとするには,先ず其の意 を誠にする。人々は世界で生活しており,社会は複雑なのであ る,あなたが善を行おうと思っているのに,あなたに善を行わ せない人もいる;あなたは他人を侵害しないが,他人は種々な 原因であなたを傷害しに来る。この中ではある一部は非自然な 原因に出るのであり,あなたは何故なのか悟れるだろうか?あ なたはどうすべきだろうか?世間の一切の是々非々は,あなた の心性を検測していない時はない。わけのない屈辱に直面して いる中で,あなたの身近な利益が損害を受けた時,金銭の面前 で,女色の面前で,権力の争いの中で,秘策を戦わせて互いに 争う嫉妬し恨みの中で,種々の社会の紛争、家庭矛盾と有形無 形の苦痛の中で,あなたはいつでも厳格な心性の要求に基づい て自分を把握できるだろうか?当然,若しあなたが何でもでき るならば,あなたはすでに覚者であるのだ。煉功人の大多数も 畢竟常人から始まったのであって,心性の修煉も少しずつ少し ずつ高めるのである。修煉に有志の者は大きな苦に耐え及び大 きな困難に対処する決心がなければならない,最終的には正果 を得ることができるのである。広範な修煉者が,心性を厳しく 守って,一日も早く功力を高めるように望んでいる!