(二)主意識(Zhu Yi Shi)の修煉
人毎にも一つの「主意識」がある,平時に事をしたり、問題 を考えたりするのは即ち主意識に依るものである。一人の人に は主意識のほかに,また一つか或いはいくつかの「副意識」( Fu Yi Shi)の存在があり,同時に又家族中の祖先の「信息」 がある。副意識と主意識は同じ名前というのである。副意識は 一般に皆主意識より能力が強く、層次が高い,彼は我々の常人 の社会に惑わされず,彼は彼の特定の空間を見ることができる。 沢山の功法は皆副意識を修煉するという道を歩んだ,彼の肉身、 主意識はただ担体の役割を果たすだけである,この種の事は煉 功人がまだ往々にして知らず,甚だしきに至ってはまだ意気揚 々としている。人は社会の中で生活していて,現実なものを彼 に放棄させるのは大変難しい,殊に彼が執着しているものであ る。だから多くの功法は「定」(Ding)の中で過ごすこと,絶 対的な入定を強調する,定の中で演化をする時,彼の副意識は その社会で「演化」し,演化の中で向上を得るのである。いつ の日か彼の副意識が修めて上へ行ったら,彼があなたの功を持っ て行ってしまい,あなたの主意識と「本体」は何もなくなり, あなたの一生の修煉は水に流れてしまう,それは非常に惜しい。 一部の知名な気功師は,各種の功能がかなり大きく,名望がか なり高いが,しかし彼の功は全然彼自身の身体に生長していな い,彼はまだ知っていない。
私達の法輪功は直接主意識に対して修煉するのであって,功 が実々在々に真にあなたの身に生長することを要求する,もち ろん副意識も一部を得るが,彼は付属の位置において付き従っ て向上するものである。私達のこの功法は即ち「心性」を厳し く要求するものであり,あなたに常人の社会の中で、極めて複 雑な条件の下で心性を錬磨させ,その中から向上を得る,汚い 泥から出た一つの蓮の花のようである,だからあなたが修成す ることを許すのだ。法輪功の珍貴と言えばその珍貴なことはこ こにあり,珍貴といえばその珍貴なことは即ちあなた自身が功 を得ることにある。しかし又非常に難しいのである,難しいと 言えばその難しいことはあなたが最も複雑な環境の中で一筋の 練磨の道を歩いたことにある。
煉功の目的は主意識を修煉する以上,いつも主意識で自分の 煉功を支配しなければならない,主意識が言えば決りだ,副意 識に任せてはならない。さもないといつの日か,副意識が上へ 修めて行ったら,功も持って行かれて,本体(Ben ti) と主意識としては何もなくなってしまう。あなたが高層次上へ と修煉しようとする時,あなたの主意識は眠ったかのように知っ ておらず,あなたが何の功を煉っているのか知っていないのな らば,これはいけない。あなたはあなたが煉功しており,上へ 修めており,心性を高めていることをはっきり知らなければな らない,その時あなたは初めて主動権を握ることができ,あな たは始めて功を得ることができる。ある時あなたが恍惚として いる時に,ある事ができたのだが,あなたもどうしてできたの か分からない,実際は即ち副意識が役割を果たしているのであっ て,副意識が指揮しているのである。若しあなたがそこで「打 坐」しているところ,むこうを目を開けて見ると,むこうには まだもう一人の私がいるなら,それがあなたの副意識である。 若しあなたがそこで打坐しているところ,あなたは北に向いて いるが,あなたは突然:あなたが北にいるのを発見し,あなた は私がどうして出たのかと思ったとしたら,これは真正の私が 出たのであり,座っている者はあなたの肉身と副意識である。 これは区別することができるのである。
法輪功を修煉することは完全に我を忘れてはならず,我を忘 れることは法輪功の修煉大法に符合せず,煉功には必ず頭がはっ きりとしているのを保持しなければならない。煉功の時主意識 が少し強いなら,偏差は出ず,一般のものではそれはまだあな たを侵害することはできない。主意識がかなり弱いなら,ある ものは上がって来てしまう。