五、気功治病と病院治病

理論上から言えば,気功で病気を治療することは病院での治 療とは全く違うのである。西洋医は病気を見ることに常人社会 の手法を用いるのであり,化学試験,X線検査などの手段があ るが,この空間の病巣しか観察できなく,別の空間の「信息」 を見られず,病気にかかった原因の所在を見られない。若し彼 の病気が比較的軽いなら,薬物は病原(西洋医学で言う病毒, 気功で言う業)を消滅し或いは追い払うことができる。病気が 非常にひどい場合,薬の力ではもう解決できない,若し薬の量 を増大すれば人も耐えられなくなる。ある一部分の病気は皆「 世間法」(Shi Jian Fa)の内に局限するのではない, ある病気は相当に大きく,世間法の範囲を超えてしまっている, そこで病院では治療できない。

中医は我が国の伝統的な医学 であり,人体修煉特異功能とは切り離せないのである。古代で は非常に人体の修煉に注意され,儒家、道家、仏家,儒学を学ぶ 学生も含めて皆「打坐」を重んじている。打坐は一種の功夫と され,長く続くなら,煉功してはいないが,功と功能を出すこ とができる。中国の針灸は人体の経絡に対して何故あんなにはっ きりと模索できるのか?ツボとツボは何故横につながないのか? まじわってつながないのか?何故縦につないでいるのか?どう してそんなに精確に描いているのであろうか?現代特異功能者 が,目で見たのは中医で描いたのと同じであり,原因は古代の 名医は一般に皆特異功能を持っていたのである。我が国の歴史 上の李時珍、孫思、扁鵲、華佗は,実際は皆特異功 能気功大師である。中医は今日まで伝わって,功能の部分をすて られ,ただ手法を保留しただけである。昔は中医は目で(特異功 能を含む)病気を見るのであって,その後又脈の診る方法を総括 し出した。若し中医の病気を見る手法に更に特異功能の方法を加 えるならば,更に多くの年月が経っても外国の西洋医も中国の 中医に追いつかないと言える。

 気功治病は根本から病気にかかる原因を除くのである。私は 病は即ち一種の『業』であり,治病は消業を助けるのだと思う。 ある気功師は病気治療に黒気を排し,気を排し気を補うことを 講じる,極めて浅い層次では彼は黒気を排出した,しかし黒気 を生む根本原因は彼が分からない,これらの黒気が又あらため て来て,病気は又再発した。実際は黒気が彼に病気があること を生じたのではなく,黒気の存在は彼につらく感じさせるだけ である。彼に病気があることを生じる根本原因は別の空間の中 に一つの霊体があるのである。多くの気功師はこういう事が分 からない。その霊体は非常につよいので,一般は触れられない, それを敢えて触れようとしない。「法輪功」が病気を見るのは 即ちあの霊体に対して手を下し,発病する根本の物を取り除き, そして病がある部位に一つカバーを下して,病気が再び侵蝕し 込まないようにする。

気功は病気を見ることができるが,常人社会の状態には干渉 できない。若し大面積に応用すると常人社会の状態に邪魔して しまう,これは許されないのであり,効果も良くない。皆が知っ ているように,凡そ気功外来診察室、気功病院、気功健康回復 センターを開設した者では,彼が開設しない前の治療効果は悪 くないかもしれないが,一旦開業して病気を見るとその効果が がた落ちとなる,つまり常人を超える法で常人社会の職能に替 えることを許されないのだ。こうしたら必ず常人社会の法と同 じように低くなる。

特異功能は人体を透視して,スライスのように見られ,一層 一層に見られ,軟組織及び身体のいかなる部位を見ることがで きる。今のCT走査は非常に鮮明に見えるが,但し,それは畢 竟機械を用いるのであり,とても時間を費やし,フィルムを沢 山用い,非常に遅いし、ずいぶん金をかける。人の特異功能に よる便利さ、精確さには及ばない。気功師は目を閉じてちょっ と一目すると,直接に患者の身体のいかなる部位をもはっきり と見られる。これは高科学技術ではないものか?これは現代高 科学技術よりも高い高科学技術である。しかし,これぐらいの 水準は中国の古代にはすでにあった,古代にはすでにあった高 科学技術である。華 は曹操の頭の中に瘤ができていることを 見出したので,彼に手術をしようと思っていた。曹操は受けい れず,自分を害すのだと思って,彼は華 をつかまえた,結局曹 操はやはり脳腫で死んだ。歴史上の多くの大中医は皆特異功能 を持っていた,ただ,現代社会の中では人々はあまりにも現実 的な物を追求するため,古い伝統を忘れてしまった。

 私達の高層次気功修煉は,改めて伝統的なものを認識し,実 践中でそれを継承し発揚し,改めて人類社会に幸福をもたらす ことに用いるものである。