(三)功力の把握

ある煉功人は煉功の時間が長くないのに,人のために病気を 治したがり,効くかどうか見てみたい。功力が高くない人にとっ ては,あなたが手を伸ばして試すと,患者の体内の大量な黒気、 病気、濁気を自分の身体に吸ってしまう。あなたは病気を防ぐ 能力がなく,身体にはまた保護カバーもなく,患者と同じ場に なったからである,功力が高くなければ防備できない,自分も 非常に辛く感じるはずである。若しあなたを管掌する人がいな ければ,時間が長くなると,身体のどこもかしこにも病気があ るようになる。だから,功力が高くない人は,他人のために病 気を見てはいけない。ただあなたにもう功能が出て,そして一 定の功力を備えていなければならず,それで初めて気功で病気 を見ることができる。ある一部の人は功能が出て,病気を見る ことができるが,層次がかなり低い時に,実際は積もった功力 で病気を見,自身の能量で病気を見るのである。功は即ち能量 であり,霊体であり,非常に容易でなく積もってきたものであ る,この功を出すことは自己を消耗しているのである。あなた が外へ発功するにつれて,頭の上の功柱の高度は短縮され、消 耗されている,これはとても値がないのである。だから,私は 功力が高くない時に人のために病気を見に行くことを主張しな い。あなたの手法がいくら高いにもかかわらず,自身の能量を 消耗しているのであることにほかならない。

功力が一定の程度に到達すると,各種の功能が出現するよう になる,いかにこれらの功能を使用するかは,非常に謹しむ必 要もある。例えば天目が開いたら,見なくてもいけない,いつ も用いなければ閉じやすくなる。見るにしても常に見てもいけ ない,あまり多く見たら能量漏れも多くなる。それでは,皆が 永遠に用いないようにするのではないか? 当然そうではない。 若し永遠に用いないなら更に修煉して何をするか?問題はいつ 用いるかである。修煉が一定の程度に達し,自我補償能力を備 えた時には,用いることができる。「法輪功」の修煉が一定の程 度に達すると,どれぐらい功を発したとしても,「法輪」は自 動的に「演化」補充し,自動的に煉功人の功力の水準を保持する ことができ,一時一刻も減少し得ない,これが法輪功の特徴で ある。この時になって始めて,功能を使うことができる。