第一章 概 論

気功は我が国に於いて源が遠く流れが長く,悠久なる歴史を 有している,そのため,我が国の人民は気功を修煉することに は天に恵まれる条件を有している。正法修煉としての仏、道二 大家の気功は,すでに沢山の秘伝大法を公開された。道家の修 煉方法は非常に独特であり;仏家にも自分の修煉方法がある。 「法輪功」(Fa Lun Gong)は即ち仏家気功の高層次の修煉大 法である。伝授班では,私はまず皆の身体を高層次上へ修煉す るのに適合する状態にまで調整させ,それから又皆の身体に「 法輪」(Fa Lun)と「気機」(Qi Ji)を下し,その上で皆に 功法を教える。 このほか,又私の法身はあなたたちを保護す る。しかし,これらのことだけではやはりずっと足りず,まだ 功が長じる目的に達することができず,更に皆が高層次上修煉 の道理を知らなければならないことを要求する。これが本書で 話そうとする内容である。

 私は高層次上に於いて功を講じるので,私はどの脈か、どの ツボか、どの經絡かを修めることは講じない,私は修煉大法を 講じるのであり,真に高層次へ修煉する大法である。初めて聞 いたら玄だと思うかもしれないが,気功に有志する修煉者にとっ ては,細心に身を以て悟りさえすれば,奥義は全部その中にあ る。


一、気功の渊源

われわれが今言っている気功は,実際は気功とは言わないの である。それは中国古代人の独修を源として,或いは宗教の修 煉から来ている。あらゆる丹経、道藏を遍く繙いても,あらゆ る大藏経を遍く繙いても,『気功』との二文字をさがすことは できない。われわれの現有の人類文明程度との段階の発展の中 で,それは宗教の雛型時期を経歴していた。宗教が形成する前 に,気功は已に存在していた。宗教があってから,それは一定 の宗教の色彩を帯びたのである。そのもとの名前は修仏大法、 修道大法という;また例えば九転金丹術、羅漢法、金剛禅に類 する名前もある。われわれが現在それを『気功』と呼ぶのは, 更にわれわれ現代人の意識に適合するためであり,社会上で更 に容易に普及するためである。それは実質的にわが中国の純々 粋々な人体修煉のものである。

気功はわれわれ今番作人類が発明したものではなく,それに は相当に久しく遠い年代の歴史がある。それでは気功は何時で きたのであろうか?ある人は気功はすでに3千年の歴史があり, 唐代時期には盛んだったと言っている。ある人は五千年の歴史 があり,中華民族の文化と同じ悠久であると言っている。ある 人は,出土文物から見れば,已に7千年の歴史があると言って いる。私は気功は現代人類が発明したものではなくて,それは 史前文化であると見る。功能の持っている人の調べによると, われわれが生活しているこの宇宙は已に9回爆発した後の組合 体であるという。われわれが生活しているこの星球はもう何回 となく毀し滅ぼされたことがある。星球はあらためて組合わさ れたたびに,又あらためて人類を増え広がらせた。現在,われ われは已に世界には現代文明を超えた物が沢山あることを発見 した。ダーウィンの進化論によると,人は猿類から進化して来 たのであるという,文明も一万年を超えていない。しかし出土 文物中からの発見では,ヨーロッパのアルピスの岩の洞穴の中 には25万年以前の壁画があり,かなり高い芸術鑑賞の価値が あり,現代人が及ばないのである。ペルー国立大学の博物館に は一つ大きな石があり,上に刻まれてある一人の人は,望遠鏡 を持って天体を観察している。この人像にはすでに3万年あま りの歴史がある。皆が知っているように,ガリレイが1609 年に発明した30倍の天文望遠鏡は,現在まで3百年余りの歴 史にもすぎない,3万年以前どうして望遠鏡はありえるだろう か?インドには一本の鉄棒があり,鉄の含有純度は99点幾つ かのパーセントにも達している。現在の冶金技術でもこんなに 高純度の鉄を煉り出すことは不可能であり,すでに現代技術水 準を超えている。誰がこの文明を創造したのであろうか?人類 はその時まだ微生物であったかも知れない,どうしてこれらの 物が造れるのか?これらの物の発見は,世界各国の科学家たち の重視を引いている。解釈できないので,それを『史前文化』 と呼ぶ。

各時期の科学水準はみな異なり,ある時期は相当高く,われ われ現代人類の水準を超えている。しかしその文明は毀されて しまった,だから私が言う,気功はわれわれ現代人の発明した ものではなく,現代人の創造したものではなくて,現代人に発 見され完全にされたのであり,それは史前文化である。

気功は我が国の特有の産物ではなく,外国にもある。しかし 彼らは気功と呼んでいない,西方の国では魔術と呼ばれている, 米国、英国などの国家ではこんなふうに呼ばれるのである。米 国には某という魔術師がいる,実際は彼は特異功能大師であり, 万里の長城の壁を通り抜けることを演じた。当時彼は通り抜け る時白い布を自己にはおって,壁におおい,それから彼は通り 抜けた。彼は何故このようにするのか?こうすると,たちまち 沢山の人が見,魔術をするのだ。彼はこのようにしなければい けないからである。彼は我が中国では高人が沢山いることが分 かって,彼はこの邪魔立てを受けるのを恐れるので,彼は自分 をはおってから入る。出る時,片手を伸ばして,布を支えてか ら人は歩き出て来た。『玄人は仕事のかんどころをよく見るし, 素人はうわべのはでなところに気をとられる』,こうして観衆 は魔術をするのだと思い込む。彼らがこれらの功能を魔術と呼 ぶのは,彼らはこのもので身体を修煉するのではなく,舞台で 演じて神変を顕示したり楽しんだりすることに用いるからであ る。だから,低層次上から言えば,気功は人の身体状況を変え て,病健身の目的に達するのであるが;高層次上から言 えば,気功は即ち「本体」(Ben Ti)の修煉を指すのである。